2018年7月12日木曜日

歩くだけで精一杯だけど(゜o゜;)

今朝も暑いです…
気がつけばあまり写真を撮っていませんでした…
この厳しい暑さの中、被災地では断水が続いているようです

雄しべが絡み合っていました
ヤブカンゾウは、雄しべの全てまたは一部が花弁化して八重咲きとなるそうです。
  繋(つな)がれし馬の眼細(めほそ)し合歓の花  伊藤松宇(しょうう)

 梅雨明けが近づくと、いよいよ合歓の開花である。
白い糸を束ねたような房の先のピンクは、まるで夢のように幻想的でさえある。
皇太子妃の美智子さんが、まだ学生のころ、
学内誌に「ネムの木の子守歌」という詩を発表した。
長い間埋れていたが、何年かたって人の眼にふれ、たちまちメロディーがつけられ、
レコードにまで吹きこまれ、世に知れわたったのを思い出した。
合歓の木は夜になると閉じて、あたかも眠ったようになる。
これが「ネムの木」のゆえんである。
花の方は日中はしぼんで、夕方になると開く。
合歓の花が夢のような花といわれるのは、見た感じもそうであるが、
夕方になって美しく咲くからかもしれない。
合歓は落葉喬木で大きいが、花は繊細である。
遠くから、おもわず目を細めて眺めたくなるような淡さがある。
 季語は「合歓の花」。
この句の「馬の眼細し」は合歓の花のこまやかさにも通っている。
繋がれている馬の眼――。
その背景にある合歓の花。
この配合はそう古いものではない。
必然でありそうで偶然であるところが、つかず離れずの効果を出している。
 伊藤松宇は、安政6年(1859)10月18日~昭和18年3月25日。
83歳。長野生まれ。
日本派に属し、明治44年「にいはり」創刊、主宰。
(『俳句日暦・一人一句366』石 寒太 右文書院 昭和56年)
蓮の花南無や菩薩の御手のもの
(『松瀬靑々全句集 下巻』松瀬靑々全句集編集委員会 邑書林 平成18年)
向日葵や母だけに逢ひたき日あり  近藤志織
(『図説俳句大歳時記 夏』角川書店 昭和39年)
父が久しぶりに山に上がりました。
山の上で父と「母さんもがんばって登っていたよね」と話していました。
紫陽花やはかなしごとも云へば云ふ  加藤楸邨
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
かあちゃんが言えて母のない子よ
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)
ゴマダラカミキリのことではありませんが

松枯れはカミキリムシと線虫のしわざ
少し変っているのが、マツの大害虫として知られるマツノマダラカミキリだ。
彼らの成虫は生きたマツの枝の皮を食べ、弱ったり枯れた枝に傷をつけて産卵する。
もともとは数の少ない虫だったが、北米大陸から
マツノザイセンチュウというマツに寄生する線虫が侵入して様相は一変した。
体内に線虫を宿したカミキリムシの成虫がマツの枝をかじると、
線虫がマツの枝に侵入して繁殖し、枝を弱らせてしまう。
するとその枝がちょうどカミキリムシのいい産卵場所になるのだ。
そこで育ったカミキリムシは、体内に線虫を宿して飛び立ち、
他の健康な枝をかじって線虫を媒介する。
この新たな共生関係の成立によって、線虫とカミキリムシはものすごい勢いで増加し、
全国で松枯れの被害を出しているのだ。
(『虫のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
夾竹桃、そのおもひでの花びら燃えて
(『山頭火大全』講談社 1991年)
今朝の父の一枚です。
山の上でスズメが朝ご飯を捕まえたところを撮していましたp(^-^)q

○ ○ ○ ○

ショッピングセンターで買い物をしたあとに三人で夕食を食べました。
話していたことは、今度の水害について
地震は、予測がほとんどできないけど
気象庁などがあれだけ警戒するようにと発表していたのに
政治家は、予想できなかったと仰る。
天皇陛下と皇后さまは被災地へのお見舞いを考えておられるかも知れないけど
先日、脳貧血でご静養されておられたのだから
無理をされないようにしてほしいと話していました。
被災地の方からすれば政治家が視察にくるよりも大きな励ましになるけれど
天皇皇后両陛下の静岡県行幸啓等のお取りやめについて」(宮内庁)

0 件のコメント:

コメントを投稿

申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m