2018年7月21日土曜日

ちょっとの違いで…

公園に着くとさっそく出会ったのがクマゼミ
クマゼミの羽化」(動画)

アブラゼミはまだ鳴きません(^。^)
いろいろなセミ」(動画)
SWITCHインタビュー 達人達「市川猿之助×青柳貴史」の中で
市川猿之助さんが骨折したときに実感した歌を紹介されていました。

巻第十六 哀傷歌 861
  (やまひ)して弱くなりにける時によめる  業平朝臣(なりひらのあそむ)
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日(きのふけふ)とは 思はざしりしを

最後に誰もみな行かなければならない道だとは前々から聞いていたが、
わが身自身がそうなるのは、昨日今日といふほど差し迫ったことだとは、思ってもみもしなかったのに。

『伊勢物語』の最終125段にも見え、在原業平の辞世の歌として物語が構成されている。
◇かねて 前もって、以前から。
◇思はざりしを 「を」は、逆説の意を含みつつ詠嘆的に言いさす終助詞。
(『新潮日本古典集成 古今和歌集(旧版)』奥村恆哉校注 新潮社 昭和53年)
ニホンカナヘビはすぐに隠れてしまいました。
朝早くから散水が行われていました。
今朝は、少し雲があって風も時々吹いてくれました。
ほんのちょっとしたことですが、昨日よりも歩くのが楽でした(^-^)
ためらわず朝鮮服の少女来る通りすがいて涙ぐましも  田井安曇
(『現代の短歌』高野公彦編 講談社学術文庫 1991年)
打ち水をまつようにセミの鳴き
(『風天 渥美清のうた』森英介 文春文庫 2010年)
わが手足意志うしなひてねむる夜を羊歯は螺旋をほどきてゆきぬ  斎藤 史
(『昭和萬葉集 巻十五 昭和元禄 昭和43年~44年』講談社 昭和55年)
アオサギに見つからないか心配したのですが、大丈夫でした(^_^)v
チョウトンボ(トンボ科)
ヤマトシジミ(シジミチョウ科)

しゞみ蝶飽かぬ日さしにひらひらす
(ひら「ひら」はくの字点)
(『松瀬靑々全句集 下巻』松瀬靑々全句集編集委員会 邑書林 平成18年)
メマツヨイグサ(アカバナ科)
誰の横顔かな(^。^)
山を歩いていた頃は疲れると空を見上げ
雲がさまざまに変化する姿を見て気持ちを切りかえていましたp(^-^)q
百日紅浮世は熱きものと知りぬ
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
(ゆる)せよと請うなかれ赦すとはひまわりの花の枯れるさびしさ   松実啓子

(…略…)
 裏切った人間を、ゆるすのとゆるさないのと、どちらが愛情が深いだろうか。
一般的には、ゆるすほうが、相手を理解し、心を優しく広くもった結果だと考えられるだろう。
家族的な愛や友情においては、そうかもしれない。
が、恋愛においては、思いが深ければ深いほど、ゆるすことはできないのではないかと思う。
つまり、もし「ゆるす」という気持ちになれたとしたら、それは何かをあきらめ、何かが終わったということなのだ。
そのことを、掲出歌は言いあてている。
 ゆるしゆるされるとは、恋愛関係のピリオドなのだ、と作者は考えている。
それはまるで「ひまわりの花の枯れるさびしさ」なのだ、と。
 だからあなた、ゆるせだなんて言わないで。
私はまだまだ終わりにするつもりはないの。
愛と背中あわせの憎しみを持ちつづけます。
それはつまり愛しつづけるということと同義なのです――
変化球のように見えて実はまことにストレートな、高らかな愛の宣言とも言える一首だ。
 同じ作者に「赦すとはついに言わざりいつまでもわれの憎悪を背負わせおく」という歌もある。
やや説明的でナマな感じがするが、迫力のある歌だ。
関係を終わらせないという執念のようものが伝わってくる。
 ゆるすよりもゆるさないほうが,愛をあきらめるよりも愛しつづけるほうが、多くのエネルギーを必要とするだろう。
傷つくことや疲れることを恐れていては、恋愛は、できない。
  まつみ・ひろこ 1951年、大阪府生まれ。
     「心の花」所属。歌集に『わがオブローモフ』
(『あなたと読む恋の歌 百首』俵 万智 朝日文庫 2001年)
  萱草に日ざしささやく午後のわれ病みおり翼なき歌かきて  寺山修司

 明るさがむしろさびしいと歌った人もいる。(宮原望子)
(『岩波現代短歌辞典(書籍版)』岡井 隆 監修 岩波書店 1999年 )

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