2018年1月7日日曜日

七草

久しぶりに雨を心配せずに歩けました(^_^)v
エナガに出会ったけど忙しそうでした(^0^;)

 アトリは『古事記』や『日本書紀』の時代から知られる古い鳥の名のひとつです。
当時の表記は、「臘觜鳥」、「足取」、「阿等利」、「臘子鳥」といった例が知られ、
いずれも「アトリ」または「アットリ」と読み、「集まる鳥」を意味していました。
 平安時代には同じ読みで「獦子鳥」という表記が見られるようになりました。
「獦」とは狩りのことで、アトリの大群を、
狩りの時に大挙して獲物を追い立てる勢子(せこ 狩子)に見立てた命名です。
美しい鳥を意味する「花鶏」という漢字表記もありますが、これは誤用といわれています。
 ともあれ、アトリは奈良時代から大群をつくる鳥としてよく知られていました。
確かに、冬から春先にかけて、アトリは数百、あるいは数千、
時には万単位もの数が群れを成すことがあります。
農耕地に降りて採食していた群れが飛び立つ際には
「地面が動いた」とさえいわれるほどの壮観な大群になることがあるのです。
 江戸時代、寛政年間には、
京都の嵯峨野の大群のアトリが飛来し話題になったという記録があります。
樹木に群れるアトリ見たさに多くの見物客が訪れ、
茶店まで設けられるほどの人気だったとか。
(『日本野鳥歳時記』より抜粋)
今日は、七草ですが露地のセリはまだこんな様子です。
旧暦の1月7日は2月22日です(^_-)

 巻第二十 4456
  薩ノ妙観ノ命婦の報えた歌
健男(ますらを)と思へるものを。
 大刀佩(たちは)きて、
  樺(かには)の田居(たゐ)に芹ぞつみける

あなたは、立派な男子でいらっしゃると思うているのだが、
それに大刀を帯びたなりで、
樺の里の田圃において、芹を摘んでいらっしゃったことだ。(おやさしいお心よ。)
 左大臣が後に口吟(くちずさ)まれたという。
(『口訳万葉集(下)』)
 1月7日に七草粥を食べるのは、奈良時代の昔から伝わる風習です。
百人一首にも「君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手(ころもで)に雪は降りつつ」(光孝天皇)という有名な歌があります。
新春の野に出てまだ若い青菜を摘んで食べることは、
春の息吹を体に取り入れることでもあり、万病を除く効果があると信じられたのです。
中国の古俗には、元日から八日までの各日に、
鶏、狗(いぬ)、羊、猪、牛、馬、人、穀を当てはめて占うという定めがありました。
ゆえに七日目のこの日を「人日(じんじつ)の節句」と呼び、
七草の菜を食べて身を清めたのだそうです。
人日の節句は、江戸時代に入って、五節句のひとつに数えられ、
武家社会の重要な行事のひとつとなりました。
 春の七草の多くは、今も野山や畑でよく見られる植物ばかり。
「君がために若菜つむ」を実践したいところですが、
残念ながら新暦の一月ではそれもむずかしそうです。
(『和ごよみで楽しむ四季暮らし』より抜粋)
 鳥の一番の特徴は羽毛があることです。
空を飛べるかどうかというこは、鳥であることの決め手ではありません。
羽毛のあるダチョウやペンギンが空を飛べず、
羽毛のないコウモリやムササビが飛ぶことでもわかるでしょう。
 そうはいっても、羽毛は飛ぶことと切り離せません。
いくつかの例外はあるにしても、鳥の体は飛ぶのに適したつくりになっているのです。
 飛ぶための推進力を生み出す翼は、何枚もの羽毛で形づくられています。
体は風の抵抗を受けにくいように流線形ですし、
胸には翼をはばたくために大きな筋肉がついています。
鳥が「ハト胸」なのは、この筋肉がふくらんで見えるためです。
(『野鳥ブックス1 BIRD WATCHING―野鳥と出会うために』日本野鳥の会 1981年)
 私はカラスを主な研究対象にしていますが、
よく「夜にカラスが鳴きながら飛んでいる。
鳥は夜は目が見えないはずなのにどうして?」という質問をされます。
実際にカラスは、夜間でも飛ぶことがあり、
送信機をつけたカラスが夜間にねぐらから別のねぐらへ移動した追跡記録もあります。
 また、春や秋の夜に、耳を澄ますと様々な鳥の声が上空から聞こえてきます。
渡り鳥の声です。
これはあまり知られていませんが、小鳥などの渡り鳥は、夜間に飛んで移動します。
昼間はタカなどの天敵に狙われるので、安全な夜間に移動しているのです。
 このようにカラスも小鳥も夜空を自由に飛んでいます。
鳥目で物が見えなければ飛ぶことはありませんから、
実際、多くの鳥たちは鳥目ではなく、夜でもちゃんと見えていることがわかります。
 ではなぜ、鳥は夜、目が見えないといわれるのでしょうか。
それはニワトリが鳥目だからです。
たしかに、暗闇のなかで寝ているニワトリに背後から近づき、
さっと手で押さえると簡単に捕まえることができます。
このようにニワトリが夜に目が見えないため、
鳥全部が鳥目であると言われているのでしょう。
さらにニワトリの場合は、鳥目どころではありません。
ニワトリの目は、視力自体が弱く、人間の約10%しか見えていないのです。
(『ポケット図解 鳥の雑学がよ~くわかる本』)
ソシンロウバイ(素心蠟梅)が花を咲かせていました♪
コゲラが木を突く時に目をつぶっている。
相当の衝撃になるはずですよね…
  はづかしき朝寝の薺はやしけり  高橋淡路女

【鑑賞】
 薺粥の薺は、だいたい六日の晩か七日の早暁(そうぎょう)
(はや)し言葉を唱(とな)えながら打つものとされている。
作者はその七日の朝、うっかりと寝過ごしてしまったのであろう。
近所の家々ではもうとっくにすんだはずのその薺打ちを、
あたりはばかるように始める作者である。
囃し唄の方は声をひそめて唄うということもできようが、
俎の上で薺を打つ音はいやおうなしにひびきわたるというものだ。
正月早々の朝寝ということもはずかしいが、遅い薺打ちもはずかしい。
若い主婦の含羞(がんしゅう)が、その薺打ちの控え目の音とともに伝わって来るようである。
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
ナズナのロゼットを探していたら、花が咲いていました(^。^)

  薺打つ音が母呼ぶ亡き母を  林 翔(しょう)

 見て楽しむ秋の七草に対し、春の七草は食用にする。
古くからの風習で、1月6日の晩にまな板に載せた薺(なずな)などの野草を包丁の背でたたき刻んで、神棚に備え置く。
七日朝それを下げて粥に入れて食べるところが多い。
これが七種粥(ななくさがゆ)であり、無病長寿を願って食べるわけだ。
江戸時代、正月七日は御節供(せつく)の一つに当てられ、七日正月などともいわれた。
七種粥は重要な折り目の日の食品である。
 ところで<薺打つ音>は、だれがたてているのだろうか。
作者は生後十ヵ月のとき、母を亡くしたという。
以来、恋しい人は母であり、薺打つ音にも思い出されていとしくなる。
その純情さを今も忘れず、人格形成に役立てた俳人だ。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)
今朝の父の一枚です(^_^)b

はくせきれい【ハクセキレイ】
 セキレイ科の体長約21cmの鳥。
頭頂、背、尾は黒色。
翼は黒色で、雨覆と外側風切が白色、顔は白く、黒い過眼線がる。
腹面は白色で、胸に大きな黒い斑がある。
ユーラシア大陸に広く分布し、わが国では九州以北で繁殖し、冬南へ移る。
江戸時代中期から、〝はくせきれい〟〝しろせきれい〟の名で知られ、
〝うすせきれい〟〝はじろせきれい〟〝ほとけせきれい〟
〝むなぐろせきれい〟〝わたりせきれい〟の異名がある。
(『図説 日本鳥名由来辞典』)

○ ○ ○ ○

夕食は、姪も一緒に食べに行きました。
入院している伯母の様子などを父から聞きました。
父が散歩の時に写真を撮っている話になり、
今朝、ハクセキレイが
飛び立つところを撮せたと嬉しそうに話していました。
母はハクセキレイに出会うのを楽しみしていて
いつも父が胸から下げている写真の中には
そのハクセキレイを嬉しそうに見つめる母の笑顔が写っています。
その写真を妹や姪に見せながら懐かしそうに思い出話をしていました。

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