2018年1月3日水曜日

霙も降るような天気でしたが…

出かけようとすると時雨れていました。
しばらくすると雨が止んでくれて青空が見えるほど。
雲どうしが向かい合って話をしているみたい(^^ )

可愛いのだけど落ち着きがないエナガ(*´∀`*)
なんかハート形♡をくり抜いたみたいな雲(^▽^)

巻第十四 恋歌四 743  酒井人真(ひとざね)
大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとにながめらるらむ

大空は、恋しい人の形見であろうか、いや、そうではないのに、
どうしてもの思うたびにおのずと眺められてしまうのであろうか。
形見 人をしのぶよすがとなるもの。
▽恋の思いが空へ向かう歌。
(『新版 古今和歌集』)
  雀らのためにゑをまく人すぎてひととき道に雀むれをり  佐藤佐太郎

雀の警戒心の強さがよく表われている。
雀は、じっと人の行動を観察し、人が注意を向けると鋭く反応する知恵の深い鳥なのだ。 
(『岩波現代短歌辞典』書籍版)

  セキレイ類は下流部にハクセキレイ、中流部にセグロセキレイ、
そして上流部にこのキセキレイがゆるやかに棲(す)み分けています。
キセキレイは山の清流の水辺に棲む鳥というイメージが強いのですが、
条件さえ合えば標高は関係ないようで、
低地から標高2000メートル以上の高地まで幅広くその姿を見ることができます。
(『日本野鳥歳時記』より)
花八ツ手くもりにひくく咲き明りわれの思ひに汝(なれ)あふるるよ  高橋鈴之助
(『昭和萬葉集 巻四 日中戦争昭和12年~14年』講談社 昭和54年)
 常に消えせぬ雪の島 
 蛍こそ消えせぬ火はともせ 
  巫鳥
(しとと)といへど濡れぬ鳥かな 
    一声
(ひとこゑ)なれど千鳥(ちどり)とか  (今様・十六)

【現代語訳】
雪とはいっても、常に消えることのない壱岐(ゆき)の島。
消えないといえば、蛍こそは消えない火を灯しているね。
しとと――びしょ濡れ――という名前なのに全然濡れていない鳥もいるね。
一声鳴いても千鳥とかいう鳥もいるよ。
【評】
「雪の島」に「壱岐の島」(現在は「いき」と読む。長崎県北部の島)を掛け、
「巫鳥」(ホオジロ科の小鳥、ほおじろ、あおじ、ほおあか、くろじなど類似の鳥の総称)に
副詞「しとど」(ひどく濡れるさま)を掛けた言葉遊びの歌。
結句では数字の「一」と「千」を対比的に捉え、全体として名実そぐわぬ洒落を楽しむ。
 巫鳥は、従来の伝統的な和歌に詠まれることはほとんどなかった鳥であるが、
今様の流行期から用例が現れはじめる。
(略)
(『梁塵秘抄』)
舌が見えるほど嘴を大きく開けていたのは…
サンシュユの実を丸飲みしたのです(°°)

Q. 鳥の口はどのようになっていますか?
おおまかにいって哺乳類のくちびるにあたるのが鳥のくちばしです。
かたく,乾いたくちばしには歯がありません。
歯に代るものは食物を砕く強力な砂のう(嚢)です。
砂のうは鳥の体の重心近くに位置しています。
 歯のないことは、がんじょうな顎(あご)や顎を動かす筋肉を不必要にしました。
このことは鳥の頭部を軽くすることになり飛翔への適応をすすめました。
ハトの頭骨は体重のわずか0.2%にすぎません。
この比はほとんどの飛ぶ鳥に認められます。
 鳥の口の中で唾液腺、粘液線それに味を感じる味蕾(みらい)は大部分欠如しています。
例外的に粘着性の唾液腺を舌の上に持っている鳥が昆虫食のキツツキです。
キツツキは餌の昆虫を集めるのにこの唾液を用い、消化には使いません。
ある種のアマツバメの巣は唾液を利用してつくられることが知られています。
 舌は鳥の種によって、それぞれの鳥が求める食物に応じて特殊化しています。
哺乳類の種の間で見られる以上に、鳥の舌は多様性を持っています。 
(『鳥についての300の質問』A&H・クリュックシァンク著
   青柳昌宏訳 講談社ブルバックス 昭和57年)
  死ぬばかり嘆きにこそは嘆きしか生きて問ふべき身にしあらねば
       小式部内侍(こしきぶのないし)(後拾遺集 ごしゅういしゅう・雑三・1001)

  死にそうなくらい嘆きを重ねました。
  生きてご病状をお尋ねできる身ではないので。

 作者は和泉式部の娘で、自身も『小倉百人一首』に採られるほどの歌人であった、小式部内侍。
この歌には、少し長い詞書(ことばがき)が付いています。
まずそれを現代語で引いておきましょう。
  藤原教通(ふじわらののりみち)殿が何日も病に伏せっていたが、回復したあとで、
  「どうして見舞いも寄こさなかったのだ」と言ってきたので詠んだ歌
小式部内侍はこの教通の妻でした。妻といっても正妻ではありません。
正妻は藤原公任(ふじわらのきんとう)の娘がいました。
最終的には80歳まで長生きする教通ですが、ある時けっこう重い病気にかかりました。
 教道は、病気が治った後で、見舞いの手紙くらいくれたらどうだ、と小式部内侍のもとに文(ふみ)を送ります。
危うく死ぬところだったのだぞ、とでも書いてあったのでしょう。
それに応じたのが、この歌です。
私なんか、とてもあなたにお手紙を差し上げられる身分ではないのですから、と言い返しているわけです。
謙遜しているのですが、謙遜するふりをして拗(す)ねているともいえますし、言い訳をしているともいえそうです。
 ただ、たんに拗ねたり言い訳をしたりすことにとどまっていない、切迫した響きをこの歌はもっています。
そのポイントは、やはり「生きて問ふ」の「生きて」にあるでしょう。
ここに注目してください。
生きてこの世にあるうちは、現実のさまざまな壁に阻まれてあなたと一緒にいることができない、
そういう運命を背負っているのです、という含みが感じられます。
そして「生きては問えない」と言う以上、そこには死が前提となっています。
もしあなたが死んでいたら、私も嘆きのあまり死んでしまうのでしょうから、
あの世でお会いできたかもしれないですけれど……と言わんばかりなのです。
 教通と違って、小式部内侍はあまり長生きできませんでした。
そんな彼女の人生を知っていると、この歌の切なさも増してくることでしょう。
(『古典和歌入門』より抜粋)

小式部内侍の死を、和泉式部が悼んだ歌は12月30日の記事を参照してください。
ジョウビタキ♂はニシキギの木に止まり朝ご飯を探していました。
今朝の父の一枚。
フユザクラを見たくなって行くと、メジロが蜜を吸いにきていたそうです。
なんか母に教えてもらったような気がすると話していました(^_^)b

帰宅しようと駐車場を出てしばらくすると、
フロントガラスに雨、さらに霙(みぞれ)混じりになりました。
散歩が終るまで母が守ってくれたんだなと父と話していました(^。^)

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