2018年1月17日水曜日

朝から雨で…

今朝は、豪雨予報がメールで届くような天気だったので
眼科と耳鼻科を受診しました。



点眼液の正しい点眼方法
①手を流水でよく洗ってください。
②下まぶたを軽く引き、1~2滴点眼します。
・2~3滴の場合もありますので、医師または薬剤師の指示に従ってください。
・容器の先が、まぶたやまつげに触れないように注意しましょう。
③点眼後1~5分ほどは、まぶたを閉じて、目頭を軽く押させてください。
・手術後は傷口にふれることもあるため、目頭を押えないで目を閉じるだけにしましょう。
・点眼剤を2種類以上もらったら、5分くらいずつ間をあけて使用しましょう。
④あふれた点眼液は、清潔なガーゼやティッシュペーパーでふき取ってください。


通院の後、時間が少しあったので図書室で
ブログに引用する和歌などの資料を探して転記しました。
その後、喫茶店「ゆめどの」で野菜と豆のカレーを食べると体が温まりました(^_^)b
阪神・淡路大震災からもう23年経つのですね(内田樹さんのTwitter)。

 『方丈記』から「文治地震(元暦大地震)」(1185年)に関する文を転記します。
太字の言葉には、注があります。
(いつものことですが、原文通りではありません)

● ● ● ●

  又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振(おほなゐふ)ること侍(はべ)りき。
そのさま、世の常ならず。
山は崩(くづ)れて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地(ろくぢ)をひたせり。
土さけて水わきいで、巌(いわほ)われて谷にまろびいる。
渚漕(なぎさこ)ぐ船は波にたゞよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどはす。
都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟(だうじやたふめう)、ひとつとして全(また)からず。
(あるい)は崩れ、或は倒(たふ)れぬ。
塵灰(ちりはひ)立ち上(のぼ)りて、盛りなる煙(けぶり)の如し。
(ぢ)の動き、家の破るゝ音(おと)、雷(いかづち)にことならず。
家の内にをれば、忽ちにひしげなんとす。
走り出づれば、地われさく。
(はね)なければ、空をも飛ぶべからず。
(りよう)ならばや、雲にも乗らむ。
恐れのなかに恐るべかりけるは、只(ただ)地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか。
かくおびたゝしく振る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしは絶えず。
世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。
十日廿日(はつか)過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ、二三日に一度など、おほうかたそのなごり、三月(みつき)ばかりや侍りけむ。
四大種(しだいしゆ)のなかに水火風(すいくわふう)は常に害をなせど、大地(だいぢ)にいたりてはことなる変をなさず。
昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震振(おほなゐふ)りて、東大寺の仏の御頭(みくし)落ちなど、いみじき事ども侍りけれど、なほこの度(たび)にはしかずとぞ。
すなはちは、人みなあぢきなき事を述(の)べて、いさゝか心の濁(にご)もうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経(へ)にし後(のち)は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。

注)
同じころ 元暦2年(1185)7月9日の大地震。平家物語に類似の文がある。
塔廟 仏舎利を収めてある塔。
竜ならばや 竜だったら、雲にでも乗って難をさけられるだろうか、人間だからそれもできない。
一日まぜ 一日おき。日まぜと同じ。
四大種 仏教では、宇宙一切の物体を構成する元素とされる。
地、水、火、風。
斉衡 第55代、文徳天皇の御代の年号(854-857)。
文徳実録には、斉衡3年3月、京に大地震のあった記事があるが、
奈良の大仏の首の落ちたのは、斉衡2年5月の地震の時で、5月23日条に見える。
すなはちは その時。当時。当座。
あぢきなき事 情けない。はかない。どうにもならない。
心の濁り 心の中の濁り。欲望、煩悩、執念など。
(『新訂 方丈記』)

「かくおびたゝしく振る事は…」以下の現代語訳を転記します。

  こんなにものすごく震動することは、しばらくで止まったけれども、その余震はしばらくはやまない。
これが大地震のあとでなく、ふだんならびっくりするくらいの地震が、一日に二、三十回ゆれない日はない。
十日、二十日と日がたつと、だんだんに間隔が遠くなって、あるいは一日四、五回、二、三回、または一日おき、二、三日に一回などいうふうになったが、おおよそ、その余震は三か月ほどもあったろうか。
 仏教で説く四大種(しだいしゅ)の中では、水・火・風の三つはいつも災害を起こすけれど、大地というものは、特別な変化をしないもので、安定しているはずである。
昔、斉衡(さいこう)のころであったろうか、大地震があり、東大寺の大仏の御首が落ちなどする、ひどいことなどがあったけれどその大地震も今度のはげしさにはかなわいということだ。
そこで今度の大地震を経験した人は、みなこの世がつまらないものだということを話しあって、少しは煩悩もうすらぐように見えたけれど、それから月日がたち、年が過ぎたあととなると、大地震のこと、それによって世のはかなさを嘆きあったことなどを、口に出していう人さえいやしない。
(『方丈記 現代語訳付き』)

今、阪神淡路大震災ばかりか東日本や熊本の大地震のことさえ
忘れてしまっているように思えてしかたがありません。
でなければ、原発再稼働をするなんて信じられないです。
広島、長崎、福島と被爆国であるのに
ICAN 事務局長の首相との面会 政府から“調整困難”」なんですから。

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