2024年7月2日火曜日

梅雨空で蒸し暑かった

梅雨の時期は蒸し暑いのはしかたがないのだけど。
雨の降り方がすごいですね…
今朝は、小雨程度だったので出かけました。
歩いているときは、傘をささずに歩けましたが……

これまでの大雨で危険性高まる 近畿中部 土砂災害に警戒を」(関西NHK)
朝ドラ「虎に翼」第14週「女房百日 馬二十日?」 (67)
仕事抜きで法律と向き合えるこの時間が…。
寅子は 楽しくて楽しくてたまりませんでした。

と語られるときに優未の淋しそうな姿が映ります。

伊藤沙莉さんは、懸命に働いていた母の姿を思い浮かべながら演じているのではないかと思っています。
ひとり親が子育てを懸命に頑張り、支援を受けられずに倒れそうになっていることを聞きます。
寅子の時代は、祖父母が子守りをしたり、地域が子どもたちを見守っていたと思います。
今は、核家族化や地域の繋がりが希薄になっているから子育てが孤立化しているように思う。
星朋彦が読み上げた『日常生活と民法』 の序文
同名の著書があり「三淵忠彦 著、関根小郷、和田嘉子 共補修」)

「今次の戦争で日本は敗れ国の立て直しを迫られ民法も改定されました。
私たちの現実の生活より進んだところのものを取り入れて規定していますから
これが国民になじむまで相当の工夫や努力と日時を要するでしょう。
人が作ったものです。
古くなるでしょう間違いもあるでしょう。
私は、この民法が早く国民になじみ
新しく正しいものに変わっていくことを望みます。
民法は、世間、万人知らねばならぬ法律であります。
決して法律家にのみ託しておいて差し支えない法律ではありません。
私のこの拙著がいささかにても
諸君の民法に対する注意と興味とを
喚起する縁(よすが)となることをえましたならば
まことに望外の幸せであります。
昭和25年6月 星 朋彦」。

(「三淵忠彦」ネタバレを含みます)
朝ドラ「虎に翼」第14週「女房百日 馬二十日?」 (66)

)4月から 身体障害者福祉法という法律が施行されてね。
よね)身体障害者手帳を申請すればさまざまな支援を受けることができる。
申請書を用意しておいたからここに名前と住所を。

轟とよねが話していた「身体障害者福祉法」などについて
現在は、第5版が出ていますが、改訂版から転記しますφ(.. )
2 戦後の障害者福祉制度の始まり
 初めての障害者福祉法の制定


 第2次世界大戦敗戦後の状況は、敗戦による国家財政の破綻と悪性インフレーションの激化、国民生活の貧困化などの社会問題が山積した。
加えて、海外の植民地や占領地から大量の引揚者の流入、戦争による傷痍軍人だけでなく、一般国民の戦傷者の増大といった問題も発生した。
こうした社会問題に対する緊急避難措置として、貧困問題に対しては1945(昭和20)年の生活困窮者緊急生活援助要綱、 46年の(旧)生活保護法に基づいた対策がとられた。
(『障害者福祉の世界〔改訂版〕』佐藤久夫 小澤温 有斐閣アルマ 2003年)
 障害者対策に関しては、1947年に身体障害者の収容授産施設が12カ所設置され、職業訓練を中心に取り組んだ。
1948年には国立光明寮設置法によって視覚障害者向けの国立施設が初めて誕生した。
この施設は戦前の失明した傷痍軍人向けの施設であり、戦後処理として戦前の傷痍軍人対策の遺産を一般国民向けに転用した事例である。
この背景には、戦前の軍事行政の解体に伴う傷痍軍人への特別な保障を打ち切るGHQ(占領軍司令部)の方針があり、軍事保護院の管轄していた多くの施設が厚生省に移管され、一般国民の障害者対策に利用されていくプロセスがあった。
 敗戦直後の時期はこうした混乱の中にあって当面の問題に取り組むことに終始し、障害者を収容保護する対策が中心であった。
しかし、急増した身体障害者に対して収容保護施策だけでは不十分であり、量的にも質的にも対応することが困難であることが明らかになった。
他方、1946年には日本国憲法が公布されて、2章でふれたように、社会権保障、生存権保障としての基本的人権の考えを明確にした。
このことは、戦前の傷痍軍人に対してのみ提供されていた国家保障が広く国民一般に対しても成立し、一般障害者への福祉施策が国家による公的な責任によってなされるという原則を示した点が重要である。
 このような社会状況から障害者福祉に関する立法の必要性が高まってきた。
1948年になると厚生省は身体障害者福祉法制定推進委員会を設置し、身体障害者に対する福祉法の制定の具体的な作業に着手した。
1949年には身体障害者福祉法案は国会で可決され、1950年の4月から施行された。
この法律はわが国の障害者福祉の法律として最初のものであり、救貧対策から障害者福祉対策が分離された点では画期的な意義を有している。
(『障害者福祉の世界〔改訂版〕』佐藤久夫 小澤温 有斐閣アルマ 2003年)
「傷痍軍人」対策から 始まった日本の障害者福祉〟(NHKアーカイブス 戦争証言)
(アメリカから来日した)
ヘレン・ケラーは、全国を講演して回り、政府やGHQとも懇談。
身体障害者への支援を訴えます。
これを機に政府は、傷痍軍人だけでなく、身体障害者全体に対象を広げた法律を作ります。
1949年、日本で初めてできた障害者のための法律「身体障害者福祉法」。
義足や義手などの給付や、職業訓練など、社会復帰を目的としたものでした。

……

ヘレン・ケラー女史来訪 岩国・東京」(NHKアーカイブス 1948年)
今朝の父の一枚です(^^)/

第2章 住宅地や餌台にくる鳥
 ムクドリ 駅前で眠る巨大な群れ
 ✤空飛ぶ三角形


 ムクドリは、農耕地や河川敷などのひらけたところの地上でエサをとる習性がある。
住宅地や公園、ゴルフ場などにも多く、おなじみの鳥である。
全身ほぼ黒褐色で、足と嘴はオレンジ色。
腰の部分の白斑が目立ち、顔や頬の白っぽい部分は個体によって異なっている。
幼鳥は淡い褐色じみている。
尾が短いので、空を飛ぶときには両翼と頭部とで三角形に見え、〝空飛ぶ三角形〟の愛称もある。
 全国的に普通に観察される種ではあるが、中部から関東地方にかけて多く、西日本方面では少ない傾向がある。
四国や九州の一部では繁殖していないところもある。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)