木陰を通り抜ける風はサラッとして梅雨の蒸し暑い風とは違いました。
関東の方などでは梅雨明けしたみたいなので…
「気象庁 “関東甲信と東海 梅雨明けしたとみられる”」(NHK)
「近畿 猛烈な暑さに 熱中症に警戒を 屋外での活動は控えて」(関西NHK)連休明けの火曜日、夕食を食べているとガリッ…
義歯がとれてしまった…(T_T)
昨日、歯科を受診すると固定するだけで終ったのでホッとしました。
ところが、今朝、朝食を食べながら録画していた番組を見ていると突然…
見られなくなり、音声も聞こえなくなった
4月頃に録画時間が2万時間を超えたのでバックアップをするようにとのメッセージがあったので買い換え時かなと覚悟していたけど……
散歩から帰ってから近くの電気屋さんで録画再生機を予約して帰ってきました。
午後からゴチャゴチャ触っていると録画していた番組が再生できた…?
でも、いつ完全に壊れるか分からない。
新しいブルーディディスクレコーダーが来るまで頑張ってほしい。朝ドラ「虎に翼」第16週「女やもめに花が咲く?」 (79)
星航一の言葉に
「死を知るのと 受け入れるのは違う。
事実に蓋をしなければ生きていけない人もいます。」
[第二章]三淵嘉子―初の、女性の裁判所長
第五節 地獄の日々
終戦をはさんで3年の間に、嘉子は四つの葬式を出した。
…(中略)
嘉子は当時、明治大学の女子部で、民法を教えていた。
ちょうど女子部で勉強していた、佐賀小里は言う。筆者の義母である。
「ご主人を亡くされ、嘉子先生はひどく泣いておられました。顔をむくませて、学校に来られました。
涙で顔が紫色になった人を見るのは、私は初めて。『夫が死ぬと、こんなにつらいめにあうのか。それなら、私は結婚はするまい』と思ったほどでした」
…後略…
(『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』佐賀千惠美 日本評論社 2023年)
Mrs. GREEN APPLEの「コロンブス」についていろいろと批判されていたのですが、
私の世代は、コロンブスはアメリカ大陸を発見したと習っていた。
子どもの頃、夢中になって見ていた西部劇ではインディアンが悪者になっていました。
学校では、歴史を暗記科目のように学んでいるので
そこに落とし穴があるのかなとも思います。
蓮舫さんの白いスーツを揶揄した寄稿をされている方がいましたが、
小川公代さんの投稿(7月13日)に
歴史的には、白い服をまとった人たちが女性参政権運動に参加したので、”白”は女性のエンパワメントのシンボル。
労働者階級の家庭で育ったアレクサンドリア・オカシオ゠コルテスも、女性、黒人、南アジア系アメリカ人として初の副大統領になったカマラ・ハリスも白でアピール。
世界史を学ぶといっても広すぎて、どこから学べばいいのか困ると思います。
好きな分野から学ぶのも一つの方法だと思います。
たとえば
はじめに
トマトがなかったら、イタリア料理はどんなものになるだろう?
辛くて刺激的なトウガラシがなかったら、インドカレーはどんな味になるだろう?
もしジャガイモがなかったら、ドイツ人やロシア人はどんな料理を作るのだろう?
チョコレートがなかったら、フランス人のシェフはどやってムースやエクレアといった、ほっぺたの落ちそうなデザートを作るのだろう?
(『世界を変えた野菜読本』シルヴィア・ジョンソン 著 金原瑞人訳 晶文社 1999年)
まったく想像もつかない。好きな分野から学ぶのも一つの方法だと思います。
たとえば
はじめに
トマトがなかったら、イタリア料理はどんなものになるだろう?
辛くて刺激的なトウガラシがなかったら、インドカレーはどんな味になるだろう?
もしジャガイモがなかったら、ドイツ人やロシア人はどんな料理を作るのだろう?
チョコレートがなかったら、フランス人のシェフはどやってムースやエクレアといった、ほっぺたの落ちそうなデザートを作るのだろう?
(『世界を変えた野菜読本』シルヴィア・ジョンソン 著 金原瑞人訳 晶文社 1999年)
だがイタリアやインドをはじめ世界中のたくさんの地域では、長いことこれらの食材なしで料理が作られてきたのだ。
イタリア人はクリームやチーズや野菜で作ったソースをパスタの上にかけていたし、インドをはじめとするアジアの国の人々は辛味を出すのに、黒コショウ、クミン、コリアンダー、ショウガといった香辛料を使っていた。
また多くの国で甘いお菓子はミルクやハチミツやアーモンドペーストで作られ、チョコレートのようにこってりした食欲をそそる材料は使われなかった。
現代の料理には欠かせないトマトやジャガイモ、トウガラシやカカオなどの食材を、ヨーロッパやアジアではなぜ使っていなかったのだろう?
理由は簡単。
トマトもジャガイモもトウガラシもカカオも、ヨーロッパやアジアなどの東半球の地域にはもともとなかったからだ。 現在よく知られている作物は、東半球原産のものが多い。
コムギやオートムギ、オオムギやコメのような穀物は初めアジアで栽培されるようになり、やがて大勢の人が常食するようになった。
ニンジンやエンドウマメ、キャベツやナスのような野菜、リンゴやブドウ、ナシやモモのような果物、これらはすべてヨーロッパの国々や、インド、中国などのアジアの国々、アフリカの一部の地域で栽培され、食べられていた。 しかしトマトやジャガイモ、トウガラシやカカオは別で、どれもアメリカ原産の作物だ。
これらは西半球、つまり北アメリカ、中央アメリカ、南アメリカにしかなかったのだ。
トウモロコシ、カボチャ、ピーナツ、バニラ、たくさんの種類のインゲンマメもまた原産地はアメリカ大陸だった。
ヨーロッパ、アジア、アフリカの人々は、長いこと西半球にある大陸と行き来することがまったくなかった。
世界の果てにあった大陸にも人間や動物が住み、さまざまな植物が育っていたのだが、ヨーロッパ、アジア、アフリカの人々にはまったく知られていなかった。
しかし1492年、大変化が訪れた。 この有名な年に何がおきたか知らない人はいないだろう。
クリストファー・コロンブスと彼の部下たちが豊かなインドや東インド諸島への近道をさがしているうちに、アメリカ大陸を「発見」してしまったのだ。
最初に上陸したカリブ海の島では、見るものすべてが驚きだった。
「どの木もヨーロッパにあるものとは昼と夜ほどのちがいがある。果物も草花も岩も何もかもがちがっている」 コロンブスはこの不思議な新しい土地はアジアの一部だといってゆずらなかったが、あとにつづく探検家たちはすぐにコロンブスの誤りに気づいて、「新世界」の発見を宣言した。
しかしアメリカ大陸の先住民にとっては、ヨーロッパからの侵入者こそ彼らの世界にやってきた新参者だった。
彼らにとって自分たちの世界は少しも新しいものではなく、ヨーロッパ人の住む世界と同じように昔からあったのだから。 アメリカ大陸にはヨーロッパ人がやってくる何千年もまえから人間が住んでいた。
彼らはさまざまな土地で暮らしていた。
酷寒の北極地方、太陽が照りつける平原、木の生い茂った熱帯雨林、高山。
野生の動物を食糧とする狩猟民や採集民もいれば、畑を耕して作物を育てる農耕民もいた。
それぞれの畑では、家族を、小さい村を、あるいは何千人もの人が住む大きな都市を養えるだけの作物がとれた。
…つづく…
(『世界を変えた野菜読本』シルヴィア・ジョンソン 著 金原瑞人訳 晶文社 1999年)
注:引用文献などは省略しています。今朝の父の一枚です(^^)/
薬用にも食用になるザクロの果実
仏教の「宝珠」に似た形から中国で「吉祥果」として認識された。
果実の中に小さな赤い種子が集まることから多産・子孫繁栄の象徴とされ、仏教で子どもの守護神とされる鬼子母神の像は、手に「吉祥果」としてのザクロを持っていることが多い。
ザクロの種子には卵胞ホルモンであるエストロゲンが含まれ、女性ホルモン活性化作用が期待できるという説もあるので、母性を象徴する鬼子母神に相応しい果実であるといえよう。
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)
「薬草園歳時記(18)ザクロ 2022年6月」(静岡県立大学)