2024年7月3日水曜日

セミの声が聞こえた…

今朝は、曇り空からしだいに日がさしてきて蒸し暑さがましました。
歩いているとセミの声が一瞬聞こえてきたので
これからクマゼミのうるさい季節になると覚悟しました(^_^;

全国的に気温上昇 西日本中心に猛烈な暑さ 熱中症に警戒を」(NHK)
朝ドラ「虎に翼」第14週「女房百日 馬二十日?」 (68)

取り上げられていたのが刑法の尊属殺規定が合憲という最高裁判決
事件の内容は寅子がみんなに話して聞かせていました。
違憲説は「矢野さんという判事と穂高先生」の二人だけでした。


尊属殺重罰規定の最高裁判決。
違憲であると声をあげたのは二人だけでしたが…
寅子は【声をあげることの大切さ】を唱えます。
第5章 新生にむけて
 尊属殺違憲をめぐって


 …前略…

 もう一つ重要な事件として、尊属殺規定の合憲性を争う事件をあげなければならない。
最高裁は1950年10月11日、10月25日の両日(田中長官と真野裁判官そして重遠は旅行中のため不在)、大法廷判決(刑集四巻10号2037頁、2126頁)をもって刑法205条2項(尊属傷害致死)、同200条(尊属殺人)は憲法に違反しないとの判断を示した(いずれも13対2)。
特に、前の判決は違憲判断を示した原判決を破棄するものであった。
(『穂積重遠 社会教育と社会事業とを両翼として』大村敦志 ミネルヴァ書房 2013年)
 多数意見は憲法14条の定める「国民平等の原則」を確認した上で、「しかしながら、このことは法が、国民の基本的平等の原則の範囲内において、各人の年齢、自然的素養、職業、人と人との間の特別な関係等を各事情を考慮して、道徳、正義、合目的性等の要請より適当な具体的規定をすることを妨げるものではない。刑法において尊属親に対する殺人、傷害致死等が一般の場合に比して重く罰せられているのは、法が子の親に対する道徳義務をとくに重要視したものであり、これ道徳の要請にもとずく法による具体的規定に外ならないのである」(刑集2039頁)とし、「原判決は、子の親に対する道徳的義務をかように重要視することを以て、封建的、反民主主義思想に胚胎するものであり、また『忠孝一本』『祖先崇拝』の思想を基盤とする家族社会においてのみ存在を許さるべきものであるというが、夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本、古今東西を問わず承認せられているところの人類普遍の道徳原理、すなわち学説上所謂自然法に属するものといわなければならない」(同頁)としたのである。
 これには二つの反対意見が付されたが、一つは真野の意見であり、もう一つが重遠の意見であった。
 少数意見の内容

 重遠の反対意見を紹介する前に、真野のそれを見ておこう。
真野は多数意見に次のように反論する。
「多数意見はしきりに親子の道徳を強調するが、そしてそれは民主主義を理解しない者の俗耳には入り易いものであるが、子の親(直系尊属)に対する道徳の中から、正しい民主主義的な人間の尊厳、人格の尊重に基づく道徳を差引いたら、その後に一体何が残るのであろうか。それは(一)子の親に対する自然の愛情に基く任意的な服従奉仕と、(二)親の恩に対する報恩としての服従奉仕の義務に過ぎない。…いわゆる孝道の核心は報恩である点において、封建武士の知行、扶持、禄に対する報恩を核心とする封建的主従関係と同じ根本原理に立つものである。この孝道は…身分的に不平等な人間の間の関係であって、平等の個人の間の関係ではない」(2044頁)。
 これは真っ向からの封建道徳否定論である。
重遠の違憲は結論において真野意見と一致するものの、立論の仕方はずいぶんと異なる。
第一の要点は次の点にある。
「普通殺人に重きは死刑にあたいし軽きは懲役三年に以て足れりとしてかつその刑の執行を猶予して可なるごとき情状の差異あると同様、尊属殺にも重軽各様の情状があり得る。いやしくも親と名の附く者を殺すとは、憎みてもなお余りある場合が多いと同時に、親を殺しまた親が殺されるに至るには言うに言われぬよくよくの事情が一掬の涙をそそがねばならぬ場合もまれではあるまい。刑法が旧刑法を改正してせっかく殺人罪に対する量刑のはばを広くしたのに、尊属殺についてのみ古いワクをそのままにしたのでは、立法として筋が通らず、実益がないのみならず、量刑上も不便である」(2047頁)
 第二の要点は次の点にある。
重遠は言う。
「多数意見は、刑法の殺親罪規定は『道徳の要請にもとずく法による具体的規定に外ならないから』から憲法十四条から除外されるという。しかしながら憲法十四条は、国民は『法の下に』平等だというのであって、たとい道徳の要請からは必ずしも平等視せられるべきでない場合でも法律上は何らの差別的取扱をしない、と宣言したのである。多数意見は『原判決が子の親に対する道徳をとくに重視する道徳を以て封建的、反民主主義的と断定した』と非難するが、原判決は『親殺し重罰の観念』を批判したのであった、親孝行の道徳そのものを否認したのではないと思う。多数意見が『夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本、古今東西を問わず承認せられているところの人類普遍の道徳原理』であると言うのは正にその通りであるが、問題は、その道徳原理をどこまで法律化するのが道徳法律の本質的限界上適当か、ということである」(2050頁)。
 そして重遠は自ら答える。
「『孝ハ百行ノ基』であることは新憲法下においても不変であるが、かのナポレオン法典のごとく『子ハ年齢ノ如何ニカカワラズ父母ヲ尊敬セザルベカラズ』と命じ、または問題の刑法諸条のごとく殺親罪重罰の特別規定によって親孝行を強制せんとするがごときは、道徳に対する法律の限界を越境する法律万能思想であって、かえって孝行の美徳の神聖を害するものと言ってよかろう。本裁判官が殺親罪規定を非難するのは、孝を軽しとするのではなく孝を法律の手が届かぬほど重いものとするからである」(2051頁)
 四半世紀を経て

 よく知られているように、この大法廷判決は23年後になって変更されることになる(最大判昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁)。
この判決は次のような構造を持つ。
 ①憲法14条は合理的な根拠のない差別的取扱いを禁止しているところ、刑法200条は身分関係の存在を理由に刑を加重するものであり、差別的取扱いにあたる。それゆえに、合理的な根拠の有無が問われる。
 ②尊属に対する尊重報恩は刑法上の保護に値し、尊属殺は人倫の大本に反し、特に重い非難に値する。それゆえ、尊属殺重罰は不合理ではなく、量刑上重視するだけでなく法律上の加重要件としても、直ちに合理的根拠を欠くとは言えない。しかしながら、加重の程度が極端な場合には憲法十四条に違反する。
 ③「卑属が、責むべきところのない尊属を故なく殺害するがごときは厳重に処罰すべく、いささかも仮借すべきではないが、かかる場合でも普通殺人罪の規定の適用によってその目的を達することは不可能ではない。その反面、尊属でありながら卑属に対して非道の行為に出で、ついには卑属をして尊属を殺害する事態に立ち至らしめる事例も見られ、かかる場合、卑属の行為は必ずしも現行法の定める尊属殺の重刑をもつて臨むほどの峻厳な非難には値しないものということができる」(270頁)。
 以上のように、昭和48年判決も尊属殺重罰規定が直ちに違憲だと断ずるものではなかった。
ただ極端な加重は違憲となるとしたのである。
その実質的な理由は③として引用した通りであるが、これは重遠が述べた第一点に相当すると言える。
こうして重遠の主張の半ばは四半世紀を経て多数意見となったのである。
 なお、事実関係を見ると、48年判決の事件は加害者の情状が十分に考慮され、減刑がなされてよい事案であったことが窺われる(この事件については、谷口優子『尊属殺人罪が消えた日』〔筑摩書房、1987〕を参照)。
(『穂積重遠 社会教育と社会事業とを両翼として』大村敦志 ミネルヴァ書房 2013年)
 『尊属殺人罪が消えた日』は絶版になっているので手元にある本から

第三編 個人的法益に対する罪 第一章 生命・身体に対する罪
 第一節 殺人の罪  一 殺人罪  (二)尊属殺人罪


 …前略…
(3) 最大判昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁になって、はじめて刑法200条の規定を違憲とするにいたった。
この事案は、14歳の時に父に無理に姦淫された後10余年間不倫な関係を強制され、たえかねた母が別居した後は父と夫婦同様の生活を営まされて5人の子供まで生ませられ被告人が、職場の青年と相思の仲となって結婚するに至ったために父に結婚の諒解を求めたところ、父は連日結婚反対ないし妨害の脅迫的言辞をくりかえしつつ被告人の行動を一日中監視し、夜は性交を求めて安眠を妨げたため、被告人は極度の心身の疲労におちいり、かような状態が約10日間続いた後、飲酒して暴言をはきながらしがみついてきた父をおもいあまって絞殺したというものであった。
 …後略…
(『刑法綱要各論』団藤重光 創文社 昭和60年改訂版)
今朝の父の一枚です(^^)/
トチの実を写していました。

 トチ

 …前略…

 栃の木はどちらかというと水辺を好む木だ。
広葉樹の中でも乾いたところは樺(かば)や楢(なら)や栗(くり)などが育ちやすく、湿ったところは橅(ぶな)や桂(かつら)や栃(とち)が育ちやすい。
私の住む飛騨の方ではいまだに『栃洞(とちほら)』という地名が残っている。
洞というのは飛騨では谷間といことで、栃洞といえば栃の木が育つ谷間という意味だ。
そして栃洞の栃は伐採せずに、村の人が秋に栃の実を収穫した。
栃は栗やドングリの実がなるのと同じころ、3~4センチ以上もあるくらいの大きな果実がなり、熟すると先が三つに裂け(なぜか絶対に三つ)、そして焦げた茶色の丸っこい種が顔を出す。
これが栃の実だ。
栃の実は澱粉(でんぷん)分が多いので、縄文の昔から食用にされていた。
ただし、栗やクルミや椎(しい)などとちがい、アク抜きが必要だ。
ドングリと同じように灰汁(あく)で煮詰めた後、水洗いを繰り返して食用に適するようにする。
『栃餅(とちもち)』や『栃の実煎餅』として最近おみやげものとして人気が出てきた。
(『森の博物館』稲本正 小学館 1995年)

栃餅(とちもち) 代々伝わる里山の味」(みちしる 2011年)