2024年7月14日日曜日

雨は止んだけど…

公園に向かっている途中で本降りになったので心配しましたが、止んでくれました。
でも、梅雨の蒸し暑さは…
今まで声だけだったけどアブラゼミをみることができました。

近畿地方15日夜にかけ雷雲発達のおそれ 突風や落雷など注意」(関西NHK)
朝ドラ「虎に翼」第15週「女房は山の神百石の位?」 (74)

直明が
就職先に悩んでる時話を聞いてくれるって言ってたのに結局 聞いてくれなかった。
……
みんなが新潟に行っちゃうのも寂しい!
いい年して何言ってるんだって思うだろうけどみんなと離れたくない!
戦争の時みたいに あんな思いは嫌だ!

などと本音を語ります。
甘えのように聞こえるけど、男らしさ女らしさを求められる空気は、
男もしんどい世の中だと思う。
とりかへばや物語』について吉本隆明と河合隼雄の対談の一部を転記します。

Ⅳ 『とりかへばや物語』の謎
 女装愛好の素因


吉本隆明 たとえば文学者で、夏目漱石も、奥さんの夏目鏡子の『漱石の思ひ出』を読んでいますと、漱石は女装をするのがとても好きだというのがありますね。女性の着物を引っ張り出しては着てみたというのがありました。それから三島由紀夫さんの『仮面の告白』でも、天勝が好きで、お母さんの着物を引っ張り出してきて着て、天勝の奇術の真似をしてというのが出てきますね。それに特別意味をつけるのはいいか悪いかともかくとして、そういうことはありますね。そういう場合に、それは誰にでもあるんだ。それが少し強調されて出てきているというふうに理解すべきなんでしょうか。それともやっぱりそれはちょっと異常ということと関係あるんだよというふうに解すべきなんでしょうか。
(『吉本隆明「五つの対話」』新潮社 1990年)
河合隼雄 僕は心理学者の中に入るかどうか分からないですけど、異常ということにほとんど関心がないんですよ。

吉本 なるほど。そうですか。

河合 みんな似たようなもんでね。

吉本 ああ、なるほど。

河合 関心がなさすぎていかんのかもしれませんけど。ただし、その人自身が自分は異常だからもうちょっと普通になりたいと言われたら、その人のご要望は聞かないかんと思っていますけれども、私のほうから、何が異常だこれが異常だというようなことを言ってみても仕方ないし、あまり関心もないという立場ですね。

吉本 なるほど。
河合 だから、男性と女性が入れ替わる、あるいは入れ替わりたい、入れ替わり得るというようなことは、すべての人間にあるというふうに僕は思っています。それを非常に拡大して描いてくれていますけどね。特に文学者なんかになるような人は、表現の限界を極めたいという気持ちが起こってくるから、どうしてもそれはそういうことなると思いますね。

吉本 なるほどね。そういう理解ですね。それはとても面白いですね。この『とりかへばや』の作者というのも、エロスと言いますか、性については相当爛熟した意識を持っていて、それを十分に表現出来るだけの手腕があった人なんじゃないかなと思います。

河合 と思います。これだけの描写。この作者、女と思われますか男と思われますか。
吉本 もし素因的なあるいは資質的なということを認めるとすれば、やっぱり漱石・三島由紀夫的資質が濃くあった男ではないかと思っています。僕はその系列に入れたいです。

河合 僕はなんとなく女だと思っていたんです。というのは、一つは、どうしても女性のほうが主人公だという気がするんです。

吉本 女性のほうが主人公?
河合 二人のきょうだいで、女のほうが主人公じゃないかという気がして。そして、もう一つは、全体的な取り替える可能性というのかな、決まりきったシステムじゃなくて、そういうものを見ながら、ふわーっと全体をつかんでいくような力。それはもちろん当時のことも考えて、それで女性じゃないかなと思っていたんですけど、これは男性説と女性説と相半ばするぐらいあるそうですよ。

吉本 ああ、そうですか。

河合 だから吉本さんの男性説を聞いて、しかし今言われたように、漱石・三島の系列で、どちらも女装に興味をもっていた、つまり女と「とりかへ」られる可能性をもっていると考えると面白いですね。
吉本 それは分かりませんけど、そういうふうに理解すると、ここは一番見事なクライマックスだなと思える中納言が女性だというのを知らないで、宰相中将が近づいていって、それでなんとなくそこの場の雰囲気で抱きたくなって、身を寄せたら女だというのが分かってという、そのところのたいへんエロチシズムを発散するあの描写をみて、やっぱりこれは男で、しかもわりに素因的には漱石・三島由紀夫系の素因がある人じゃないかという、都合のいい解釈をしたんです。

河合 そう言われると、それは非常にぴったりきますね。

吉本 いや、いや。それは本当に勝手な、いいかげんな解釈なんです。

河合 それは僕もいろいろ考えてみますけど、ちょっと宿題にさせてもらって。男か女かというのは。
(『吉本隆明「五つの対話』新潮社 1990年)
 四 新家庭

 …前略…

 しかし機嫌の悪いのもその時限りで、次の日かその次の日かには、私の年始の紋付を着て歩いてふざけておりました。
いったい自分でもきちんとしたなりをしていることの好きな人でしたが、また女のきれいな着物を着ることが好きで、私が脱いでおくとよくそれを羽織って、褄(つま)を取ってみたりなんかして、家じゅう歩き回ったものでした。
…後略…
(『漱石の思い出』夏目鏡子述 松岡譲筆録 文春文庫 1994年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ジャカランダの実を写していました。
ジャカランダの実とは!?」(萩の台公園)

 実や種子の役割

 植物は動けません。
地面に根を下ろして葉を広げます。
子どもの植物がその場を動かなければ、親子とか子同士で、水や光や栄養を争うことになります。
親植物の近くだと病気や虫も移ってきやすくなります。
だから植物は、かわいい子に旅をさせるのです。
 植物は種子を作ります。
種子には体の設計図、つまり遺伝情報(DNA)という秘密の暗号コードが託されています。
母植物は種子に心づくしのお弁当(貯蔵栄養)を持たせて、旅に出します。
この養分は種子が呼吸したり根や芽を伸ばしたりする際のエネルギーになります。
 種子は、授粉・受精を経て両親から遺伝情報を受け継ぎますが、種子ごとに少しずつ異なっています。
多様な性質の子が育つので、環境の変化にも対応でき、ウイルスや細菌、菌類などの恐ろしい病原体の変異にも対抗して、未来へと世代がつながります。
…つづく…
(『実とタネキャラクター図鑑』多田多恵子 誠文堂新光社 2017年)