2024年7月19日金曜日

晴れていたけど

青空が見えていたけど梅雨前線の影響か蒸し暑かったです。
週間予報を見ていると雨が降らないようなので梅雨明けは…

近畿 20日も猛暑日のところも 引き続き熱中症に警戒を」(関西NHK)
 Eテレ2355 真夜中の自由研究SP 仮設小学生
じゃがいもと本体、どこがどうつながってたんか?」事件
ジャガイモが本体とつながっていた窪みをみつける方法が紹介されていました。
知らなかったなぁ…
トビーのうんちくに
スイカのしま模様、よく見ると黒じゃなくて濃い緑色
「○○素」が集中しているそうです。
クラシックTV「グルメとクラシック モーツァルトからロッシーニまで!
で、
ショパンを支えた味として「ショコラ・ショー」が紹介されて
彦摩呂さんが「当時、カカオは高級じゃなかったですか?」と聞くと
清塚さんが
カカオは高級品で、体にも良かったと言われています。
ショパンは体が弱かった。
ショパンの体を心配した恋人ジョルジュ・サンドが毎朝作ってあげていた

と、解説していました。
このカカオ、そしてジャガイモも
 「はじめに」つづき

 アメリカ大陸の農耕民は、自分たちの土地でどんな植物が育つのかよく知っていた。
はるか昔から野生の植物を栽培し、たくさんの種類のトウモロコシやジャガイモ、インゲンマメやカボチャを育ててきたのだ。
やがてこれらの主要作物はアメリカ大陸の大部分で常食されるようになった。
まるまるとした赤いトマトやつやつやしたトウガラシは、初期のヨーロッパ人探検家の目には珍しく映ったようだが、昔からそこに住んでいた人々にとってはありふれた作物だった。
そして彼らは穀物や果物や野菜を調理して食べる方法を何百と知っていた。
(『世界を変えた野菜読本』シルヴィア・ジョンソン 著 金原瑞人訳 晶文社 1999年)
 コロンブスの新大陸到着後、ヨーロッパ人の冒険家が大勢、大西洋を渡ってアメリカ大陸にやってきた。
ほとんどの冒険家は行くさきざきで目にするその土地特有の作物にほんの少し好奇心を示しただけだった。
メキシコを征服したコルテスやインカ帝国を征服したピサロなどのスペインの征服者たちは、豊かな新世界を搾取(さくしゅ)するためにやってきたのだ。
もっとも手に入れたかった財宝は貴金属だった。
彼らはペルーにあったインカ帝国の神殿で金(きん)を、メキシコの鉱山で銀を発見したが、植物にはほとんど関心を示さなかった。
そのうちに貴金属よりもはるかに価値があることが証明されるのだが。
 このように見向きもされなかったにもかかわらず、アメリカ原産の植物はゆっくりとヨーロッパ、アジア、アフリカへと伝わっていく。
その多くは、探検家がお土産や科学標本として母国へもちかえったものだ。
またヨーロッパの探検家たちはアメリカ大陸へもどる際に、母国から植物や動物をもっていった。
コムギやオオムギはすぐにアメリカ大陸で栽培されるようになり、家畜も野原の草を食べるようになった。
そのあいだ、ヨーロッパでも少数の勇気ある農民たちがトウモロコシやジャガイモの栽培を試みていた。
このようにして新旧両世界の人々の生活を変えるような作物の交流がはじまったのだ。
 いまさらいうまでもないが、旧世界と新世界の出会いは多くの悲劇をもたらした。
ヨーロッパの侵略者はアメリカ先住民を殺戮(さつりく)したり、都市を破壊したり、土地を没収したりした。
さらに壊滅的(かいめつてき)な打撃を与えたのは、ヨーロッパ人が知らないうちにもちこんだ細菌による伝染病の発生だ。
たとえばアステカ族の住むメキシコでは、天然痘(てんねんとう)が「人々のあいだにひろがり、壊滅的な状態をもたらした。……非常に多くの人が天然痘で死んだ。歩くこともできず……動くこともできず……手のほどこしようがなかった」。
いくつかの地域ではアメリカ先住民の90パーセントが天然痘やはしかなど、免疫のないヨーロッパの病気で死んでしまった。
 1492年にはじまったふたつの世界の出会いは分裂や混乱をひこおこし、いまもなおその影響が残っている。
しかし、すべてが悲惨な結果を迎えたわけではない。
アメリカ大陸と旧世界との作物の交流は多くの人々の食生活を改善し、そのおかげで世界中の人々がそれまでよりたくさんのものを食べられるようになった。
もっと栄養があり、種類も豊富でおいしいものが食べられるようになったのだ。
 別の分野でもそうだが、おそらくこの交流でもアメリカ大陸は大きな貢献(こうけん)をしたことになるだろう。
トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ、カカオといった作物は、ヨーロッパ、アジア、アフリカの広範(こうはん)な地域における料理や食生活を変えてしまった。
アメリカの作物は、多くの人々の栄養源としてだけでなく、食(しょく)の楽しみにもまた不可欠なものになった。
 このいきさつは、世界史のなかでも非常に興味をそそられる章のひとつである。
(『世界を変えた野菜読本』シルヴィア・ジョンソン 著 金原瑞人訳 晶文社 1999年)
今朝の父の一枚です(^^)/

 サルスベリは何日間咲く? 【猿滑り・百日紅・紫薇】

 夏の花として、私がまっさきに思い浮かべるのは、サルスベリです。
レースのように縮れた花は、赤やピンクや白や薄紫と、色には意外とバリエーションがあって、どこか垢抜けたようです。
真夏の暑苦しさを忘れさせてくれます。
 さて、「さるすべり」の漢字については、「百日紅」と書くのがよく知られています。
が、『広辞苑』の見出しの下には、「猿滑り」「百日紅」「紫薇」の三つがシメされています。
 このうち、中国の古典で最も一般的な名称は、「紫薇(しび)」。
17世紀に王象晋(おうしょうしん)という学者が著わした『二如亭群芳譜(にじょていぐんほうふ)』という植物事典では、項目名としては「紫薇」が掲げられ、「百日紅(ひゃくじつこう)」については解説の冒頭で「一名」として挙げられています。
 つまり、「百日紅」も中国語に由来する名前。
ただ、『二如亭群芳譜』を眺めていてちょっとおもしろかったのは、「四、五月に花が咲き始め、散っては咲いてと受け継がれて、八、九月に至る。それが名前の由来である」という記述でした。

 …つづく…

(『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』 円満字二郎 岩波書店 2020年)