出会った方に
照りつける日ざしとセミのジリジリというような声に
鉄板で焼かれているみたいだと話すと
「焼肉の気分やなぁ」と返事が返ってきました。
「近畿地方各地で猛暑日 京都市で39度予想 熱中症に警戒」(関西NHK)昨日、クモの網にかかった2匹のクマゼミを見かけました。
今朝、確認すると… 網にかかった獲物を取り押さえる
多くのクモは、網の中心でじっとしているが、種類によっては近くの葉の裏などに隠れている。
小さな木の葉などを網に投げつけると、獲物と勘違いして大急ぎで走りよってくるころもあるのでためしてみよう。
網に引っかかったのが生きた昆虫であれば、クモはおしりから幅広い糸の帯を出し、足を上手に使って獲物をグルグル巻きのミイラにしてしまう。
しかしはがれやすい鱗粉を持ったチョウやガの場合には、網に鱗粉だけ残して逃げて行くのを防ぐために、いきなり咬みつくことが多いそうだ。
また虫が小さい場合や、ジョロウグモなどクモの種類によっては、獲物を糸でグルグル巻きにはせずに、咬みつくだけで獲物を捕まえる。
(『虫のおもしろ私生活』 ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)「イーロン・マスク氏 トランプ前大統領への巨額献金報道を否定」(NHK 7月25日)
トランプ候補への支持を表明したマスク氏
性転換した子どもを「殺された」と主張されているようです。
〝「社会問題に意識高いウイルスに殺された」……〟(産経新聞 7月23日)
自己の性に違和感を持つ人を認められないのでしょう。
神谷美恵子さんの『遍歴』を読むとギリシャ時代の方が
現代よりも科学が進んでいたのかもと思ってしまう。
「(1935年)(浦口真左)」は、転記者の補足です。
ペンドル・ヒル学寮の話
日本人の二人ぐらし
(1939年)三月の終りころ、キャロライン・グレヴスンが英国へ帰って行ったあと、彼女の住んでいた部屋に、マサ(浦口真左)と私は二人で引越してよい、とアン・ブリントンが言った。
日本人同士で住めることは私たちにとってどんなに気の休まる、うれしいことだったろう。
引越したあと、私たちは二週間ほど浮かれて、スケッチをしたり、お汁粉を作ったり、朝ひどく早く起きて散歩したりした。
(『神谷美恵子著作集9 遍歴』みすず書房 1980年) 三週間もすると二人は落着いて勉強するようになった。
マサは毎日ペンシルヴェニア大学へ通って植物学の実験をし、私はブリンマー大学へ通ってギリシャ語を勉強していたから、昼間は二人とも一緒に部屋にいるということはあまりなかった。
また夜中でも、試験の前などは、マサは徹夜したり、朝三時ごろ起き出したりすることもあったが、私は平気で眠っていた。
かと思うと私のほうが何かの感興にかられて夜中に庭へぬけ出し、草の上に足を投げ出し、二時間も三時間も月を眺めたり、ものを書いたりしていることもあった。
ある午後のこと、明るい初春の光のあふれる部屋で、ふたりは珍しく机を並べて本を読んでいた。ペンドル・ヒル学寮の話
日本人の二人ぐらし
(1939年)三月の終りころ、キャロライン・グレヴスンが英国へ帰って行ったあと、彼女の住んでいた部屋に、マサ(浦口真左)と私は二人で引越してよい、とアン・ブリントンが言った。
日本人同士で住めることは私たちにとってどんなに気の休まる、うれしいことだったろう。
引越したあと、私たちは二週間ほど浮かれて、スケッチをしたり、お汁粉を作ったり、朝ひどく早く起きて散歩したりした。
(『神谷美恵子著作集9 遍歴』みすず書房 1980年) 三週間もすると二人は落着いて勉強するようになった。
マサは毎日ペンシルヴェニア大学へ通って植物学の実験をし、私はブリンマー大学へ通ってギリシャ語を勉強していたから、昼間は二人とも一緒に部屋にいるということはあまりなかった。
また夜中でも、試験の前などは、マサは徹夜したり、朝三時ごろ起き出したりすることもあったが、私は平気で眠っていた。
かと思うと私のほうが何かの感興にかられて夜中に庭へぬけ出し、草の上に足を投げ出し、二時間も三時間も月を眺めたり、ものを書いたりしていることもあった。
私は翌日の下読みのためプラトンの『饗宴(シュンポシオン)』を開いていた。
「あら、おもしろいことが書いてあるわ。プラトンて、ゆかいなことを考え出す人ねえ」
「――」マサはフィンドレーの『医学生のための物理化学』という本に没頭していて聞こえないらしい。 「ねえ、マサさん、お聞きなさいよ、訳して見せるから」
「え? 何?」マサは顔をあげた。
「プラトンはね、愛ということについて、幾人かの人の意見を述べさせ、例の通り散々ひきずりまわしたあげく、自分の考えに納得させてしまうのよ。その考えというのがふるっているのよ。」
「どんな風に?」
「つまり男と女の間の愛というものの由来はこうだっていうの――」
私はたどたどしく本文を訳し始めた。
「そもそも初めには、今のように二つではなく、三つの性がありました。男と女と、そしてこの二つを合わせたものと。この三番目のものはかつては存在していたのですが、今はもう失われて、ただその名ばかりが残って、人を非難するときに用いられています。原始人はまんまるくて、四つの上肢(て)と四つの下肢(あし)を持っており、頭には反対の方を向いた同じ顔が二つついており、首はまんまるでした。耳は四つあり、陰部は二つ。……さてこのように三つの性があったというのも、太陽と月と地球と、この三つのものがあるからなのです。男は太陽の子、女は地球、「男女(アンドログノス)」は月の子です。この人たちはみなまんまるでたいへん力が強く、あえて神々に刃向かおうとしました。ホメーロスのいうところによれば、この人たちは天に昇って神々の上に手を下そうとさえした、とうことです。ゼウスを初め神々は、どうしたものかと散々思案したあげく、ゼウスの次の名案におちつきました。『奴(やつ)らのうぬぼれを砕き、行儀よくしつてけてやるために、奴(やつ)らを二つに割ることにしょう。そうすれば数は増えるが力は減るだろう。』……ゼウスはこう言って人間を二つに割りました。ちょうど漬物をつくろうとするとき果物を半分に切ったり、ゆで卵を髪の毛で二つに切ったりすような工合に。」 「ふうん、そのころでも、ゆで卵を髪の毛で切るときれいに切れるっていうことがわかっていたのねえ」
マサは妙なところに感心している。
「それでね、半分ずつにされてしまった人間は、一つの完全な存在になるために、うしなった半身を求めるんですって」
「それじゃその三つの性とかいうのは、どういうことになるの」 「ああ、あれはね」私は笑い出してしまった。
「もと男だった人が半分になれば、半身として男を求め、もと女だった人が半分になれば女を求め、三番目の「男女(アンドログノス)」が半分になったときだけ異性の半身を求めるのだって説明しているのよ。ギリシャ時代には男色が公然として行なわれていたから、こんなことを考えついたんでしょうね」
「ふうん」マサはいつものように、ちょっと笑ったきり窓外へ眼をやって何かもの思いにふけっている様子だった。
ぶなの木の若葉が風に吹かれて小さくふるえている。
私はまたせっせと字引を引き始めた。 「あなた結婚のこと、どう思っているの? いつかブリントンさんたちが、どうしてミエコは結婚してないんだろう、って私に聞いていたわよ」とつぜんマサはたずねた。
「そういうあなたは?」
「私? まあ、いつか結婚するでしょうね。わからないけれど」そういう彼女は何か物思わしげであった。
彼女に問われて仕方がなく、私は自分が当分は少なくとも結婚を考えてはいけない健康上の理由があることを説明し、
「ほんとうに健康が恢復しているのだったら、また医学をやりたいところなのだけれど」とつけ加えた。 「やれるじゃないの」マサが言った。
「あら、あなたそう思う?」私は急に眼の前がさあっと開けたような気がした。
そう、私はやっぱり、医学をやるべきだったのだ。
ギリシャ文学は老後の趣味(ホツビー)にしておけばいい。
「だって、あなたは時どき、まるでねごとみたいに、『病人が私を待っている』なんていうでしょう? 妙なことをいう人だって、私、初めから思っていたわ」
これで私の方向転換への第一歩が始まった。
これについてだけでもマサにどんなに感謝してきたか知れない。
しかし、その後、どれほどの反対をうけ、どれほどあきらめかけたか、一々記すのもわずらわしい。
ためらわずに使命の道一すじに、というタイプとはおよそかけはれた歩みであった。
(『神谷美恵子著作集9 遍歴』みすず書房 1980年)今朝の父の一枚です(^^)/
ムクドリも木陰に避難していました。
第2章 住宅地や餌台にくる鳥――ムクドリ
✤マケドリ
ムクドリの特徴は、何といっても集団で生活していることである。
ムクドリのことを、地方によっては〝マケドリ〟というが、マケとは群れのことである。
エサをとるときも、移動するときにも、数十羽~数百羽もの群れをなし、鳴き声もにぎやかである。
繁殖期には雌雄の番(つがい)で子育てをするが、巣と巣の距離が接近していてルーズなコロニーをつくることもある。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)
「そもそも初めには、今のように二つではなく、三つの性がありました。男と女と、そしてこの二つを合わせたものと。この三番目のものはかつては存在していたのですが、今はもう失われて、ただその名ばかりが残って、人を非難するときに用いられています。原始人はまんまるくて、四つの上肢(て)と四つの下肢(あし)を持っており、頭には反対の方を向いた同じ顔が二つついており、首はまんまるでした。耳は四つあり、陰部は二つ。……さてこのように三つの性があったというのも、太陽と月と地球と、この三つのものがあるからなのです。男は太陽の子、女は地球、「男女(アンドログノス)」は月の子です。この人たちはみなまんまるでたいへん力が強く、あえて神々に刃向かおうとしました。ホメーロスのいうところによれば、この人たちは天に昇って神々の上に手を下そうとさえした、とうことです。ゼウスを初め神々は、どうしたものかと散々思案したあげく、ゼウスの次の名案におちつきました。『奴(やつ)らのうぬぼれを砕き、行儀よくしつてけてやるために、奴(やつ)らを二つに割ることにしょう。そうすれば数は増えるが力は減るだろう。』……ゼウスはこう言って人間を二つに割りました。ちょうど漬物をつくろうとするとき果物を半分に切ったり、ゆで卵を髪の毛で二つに切ったりすような工合に。」 「ふうん、そのころでも、ゆで卵を髪の毛で切るときれいに切れるっていうことがわかっていたのねえ」
マサは妙なところに感心している。
「それでね、半分ずつにされてしまった人間は、一つの完全な存在になるために、うしなった半身を求めるんですって」
「それじゃその三つの性とかいうのは、どういうことになるの」 「ああ、あれはね」私は笑い出してしまった。
「もと男だった人が半分になれば、半身として男を求め、もと女だった人が半分になれば女を求め、三番目の「男女(アンドログノス)」が半分になったときだけ異性の半身を求めるのだって説明しているのよ。ギリシャ時代には男色が公然として行なわれていたから、こんなことを考えついたんでしょうね」
「ふうん」マサはいつものように、ちょっと笑ったきり窓外へ眼をやって何かもの思いにふけっている様子だった。
ぶなの木の若葉が風に吹かれて小さくふるえている。
私はまたせっせと字引を引き始めた。 「あなた結婚のこと、どう思っているの? いつかブリントンさんたちが、どうしてミエコは結婚してないんだろう、って私に聞いていたわよ」とつぜんマサはたずねた。
「そういうあなたは?」
「私? まあ、いつか結婚するでしょうね。わからないけれど」そういう彼女は何か物思わしげであった。
彼女に問われて仕方がなく、私は自分が当分は少なくとも結婚を考えてはいけない健康上の理由があることを説明し、
「ほんとうに健康が恢復しているのだったら、また医学をやりたいところなのだけれど」とつけ加えた。 「やれるじゃないの」マサが言った。
「あら、あなたそう思う?」私は急に眼の前がさあっと開けたような気がした。
そう、私はやっぱり、医学をやるべきだったのだ。
ギリシャ文学は老後の趣味(ホツビー)にしておけばいい。
「だって、あなたは時どき、まるでねごとみたいに、『病人が私を待っている』なんていうでしょう? 妙なことをいう人だって、私、初めから思っていたわ」
これで私の方向転換への第一歩が始まった。
これについてだけでもマサにどんなに感謝してきたか知れない。
しかし、その後、どれほどの反対をうけ、どれほどあきらめかけたか、一々記すのもわずらわしい。
ためらわずに使命の道一すじに、というタイプとはおよそかけはれた歩みであった。
(『神谷美恵子著作集9 遍歴』みすず書房 1980年)今朝の父の一枚です(^^)/
ムクドリも木陰に避難していました。
第2章 住宅地や餌台にくる鳥――ムクドリ
✤マケドリ
ムクドリの特徴は、何といっても集団で生活していることである。
ムクドリのことを、地方によっては〝マケドリ〟というが、マケとは群れのことである。
エサをとるときも、移動するときにも、数十羽~数百羽もの群れをなし、鳴き声もにぎやかである。
繁殖期には雌雄の番(つがい)で子育てをするが、巣と巣の距離が接近していてルーズなコロニーをつくることもある。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)