2024年7月13日土曜日

久しぶりの散歩

ここ二日、雨で散歩を諦めていました。
久しぶりに歩けたのですが、だんだん雲行きが怪しくなってきた

近畿地方 13日昼過ぎから夜にかけ激しい雨のおそれ」(関西NHK)
三淵嘉子が裁判官になった頃、女性裁判官は敬遠されていました。
そんな状況の中でも三淵嘉子が尊敬した裁判長がおられます。

Ⅰ 女性法律家の誕生とその歩み
 1 私の歩んだ裁判官の道(三淵嘉子)

 三 女性法曹の任官


▼初期の女性裁判官 

 昭和24年以降毎年のように一名ないし二名の女性裁判官が任命された。
初期には女性裁判官はすべて東京地方裁判所に配置されていたが、そのうちに大裁判所であるとはいえ女性裁判官を全員東京地方裁判所に置くわけにはいかなくなり東京以外の裁判所に配置しなければならなくなった。
ところが、地方の裁判所の中には女性裁判官を敬遠するところが多く、殊に小人数の裁判官しかいない裁判所は、女性裁判官は十分に活用できないとして歓迎しなかったようである。
(『女性法律家 復刊版』三淵嘉子他 有斐閣 2024年)
はじめて女性裁判官を受け入れる側には女性に対するいたわりからか、たとえばやくざの殺人事件や強姦事件等を女性裁判官に担当させることははばかれるという気分があって女性裁判官は男性裁判官と同じように扱えないと思うようであった。
従来の女性観からいえば無理のないことかもしれない。
しかし、どんなに残酷な殺しの場面でも、またしゅう恥心を覚えるようなセックスの光景でも一旦職務となれば感情を乗り越えて事実を把握しなければ一人前の裁判官ではない。
女性裁判官は当然のことと考えていたのにも拘らず周囲がうろたえていたように思う。
女性が職場において十分に活躍できない原因の一つに男性側の女性への優しいいたわりから来る特別扱いがある。
裁判官のみならず検察官、弁護士の場合でも女性に対して初期の頃は男性側が必要以上にいたわりの心遣いをし、それが女性法曹を扱い難いと思わせていたのではなかろうか。
 職場における女性に対しては女であることに甘えるなといいたいし、また男性に対しては職場において女性を甘えさしてくれるなといいたい。
私が東京地方裁判所に裁判官として配置されたとき裁判長がはじめていわれたことは「あなたが女であるからといって特別扱いはしませんよ」という言であった。
その裁判長は私の裁判官生活を通じて最も尊敬した裁判官であった。
 このように女性裁判官の配置が大裁判所に片寄り勝ちなことに対して批判が起きたのは同僚である男性裁判官側からであった。
女性だけを特別扱いするのは逆差別であるという意見が出て来て、憲法の番人である裁判所としては女性裁判官を男性裁判官と平等に扱うことになり全国各地の裁判所に配置するようになったのである。
(『女性法律家 復刊版』三淵嘉子他 有斐閣 2024年)
 第七節 いよいよ裁判官に
 <尊敬した裁判長>

 彼女が尊敬した裁判長とは、近藤完爾であった。
 近藤は、当時をこう書いている。
 「(和田さんは)裁判官としての法廷経験はこれからであったから、三人で相談して『当分の間』(三人の裁判官でやる)合議事件を増やしてできるだけ早く裁判事務に慣れてもらうことにした。
……(中略)……
(『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』佐賀千惠美 日本評論社 2023年)
 (和田さんには)先駆者に間々みられる気負いも、その反対の甘えも全然感じられず、極めて自然に明るくのびのびと仕事に打ち込まれ新しい経験の吸収に熱心であった。……(中略)……だから裁判官室はいつも明るく活き活きとして、思ったことは何でも言える雰囲気に包まれていた。
……(中略)……
 こうして三淵さんは急速に裁判所に馴染まれたので、……(中略)……単独事件にも大きく力を注ぐことになった。そちらでは、お手並拝見的な、いわれのない偏見に遭遇したこともあるらしいが、三淵さんがそれを歯牙にもかけず常に毅然としておられたのには敬服した」(『追想のひと三淵嘉子』193頁以下)

(『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』佐賀千惠美 日本評論社 2023年)
朝ドラ「虎に翼」をみていると不思議と現在とリンクする
米津玄師さんの主題歌「さよーならまたいつか!」の歌詞の中に
さよなら100年先でまた会いましょう
 心配しないで
 ……
 100年先も憶えてるかな
 知らねえけれど
 さよーならまたいつか!

とあるんだけど…

先日は、尊属殺重罰規定の最高裁判決が取り上げられたときにあったのが
旧優生保護法は憲法違反 国に賠償命じる判決 最高裁」(NHK 7月3日)

朝ドラ「虎に翼」第15週「女房は山の神百石の位?」 (72)では、
寅子が最高裁長官の発言に反論する場面が描かれていた。
兵庫県では、知事への内部告発をした元局長が自死された。
 ▼女性裁判官と家庭裁判所

 完全な男性社会であった裁判所に新たに女性裁判官が出現したとき、その受入れ態勢の一案として昭和24年1月に新しく発足した家庭裁判所の裁判官が女性の適職ではないかという意見があった。
家庭裁判所は家庭の紛争を解決しその福祉をはかる家事事件と、非行を犯した少年の更生保護、教育を考えてその処遇をきめる少年事件を扱う裁判所であるから女性裁判官向きであるというのである。
昭和25、6年頃のことであったが、たまたまNHKで田中耕太郎最高裁判所長官を囲んで法曹人の座談会があり、私もその末席を汚した。
(『女性法律家 復刊版』三淵嘉子他 有斐閣 2024年)
その中で長官は女性本来の特性から見て家庭裁判所裁判官がふさわしいと思うと発言された。
私は家庭裁判所裁判官として適性があるかどうかは個人の特性によるので男女の別で決められるべきではないと思うと小生意気に反論したが、最高裁判所長官がこのように考えられるようでは大変なことになると内心大いに警戒したのである。
私は最高裁判所家庭局で家庭裁判所関係の仕事をしたことがあり、年齢的に見ても家庭裁判所裁判官にふさわしいということでその第一号に指名される可能性が十分にあった。
先輩の私が家庭裁判所にいけばきっと次々と後輩の女性裁判官が家庭裁判所に送り込まれることになろう。
女性裁判官の進路に女性用が作られては大変だと思った私は、まず法律によって事件を解決することを基本とする訴訟事件を扱う裁判官としての修業を十分に積んだ上で、人間の心を扱うといわれる家庭裁判所の裁判官になろうと自分の方針を立て、人間的に成熟するであろう50歳前後にならなければ家庭裁判所裁判官は受けまいと決心し、裁判所にもそのように志望を明らかにしておいた。
そして私は13年余り地方裁判所の裁判官をつとめて48歳になったとき東京家庭裁判所へ転勤した。
その間家庭裁判所への転勤の話も出なかったし、女性裁判官の配置が家庭裁判所に片寄っているとも見えなかったので、女性裁判官の家庭裁判所適性論は一時の一部の意見に止まったのかと安堵したものである。
 ところが、私が家庭裁判所へ配置された後女性裁判官の先輩グループが次々と家庭裁判所へ配置されるようになった。
よく考えてみると私を始めとして女性裁判官の先輩グループがそろそろ裁判長(部の総括者)に指名される時期になっていた。
地方裁判所では三人の裁判官の合議で裁判が行われることがあるが、家庭裁判所では原則として単独裁判であるから、女性が裁判長の席に坐り、両側に男性裁判官が坐るということはない。
地方裁判所に配置されていれば裁判長になるべき女性裁判官達が次々と家庭裁判所に送り込まれてくる事実をみて、女性を裁判長にすることに男性裁判官の抵抗があるのであろうと思わざるを得なかった。
その頃家庭裁判所に集められた女性裁判官達は折に触れ、この上は誰にも負けない家庭裁判所のベテラン裁判官になろうと励まし合ったものであった。
(『女性法律家 復刊版』三淵嘉子他 有斐閣 2024年)

*『女性法律家』復刊記念サイトはこちら*
今朝の父の一枚です(^^)/

 「雷 ・ 夕立」つづき
 
 夏の雷は、上昇気流で発生する電位差で、激しく放電して熱雷と呼ばれる。
それに対して、四季をとおして寒冷前線で発生するものが界雷(かいらい)、台風や低気圧圏内などで発生するのを渦雷(うずらい)という。
 こまかく分解すると、雷雲から弱い先駆放電があり、地表から伸びる線状放電があり、それらがつながると主雷撃になる。
雲と地表あるいは雲と雲の電位差がなくなるまで放電が続く。
夏の雷では1回の過程で10キロほどの範囲に何本もの電流の道ができる。
雷鳴は落雷の衝撃音ではなく、放電の熱で空気の膨張が音速を超えた衝撃によって発生する。
 雷にまつわるその地域の文化がある。
鰤起(ぶりおこ)しなどの豊漁を知らせる雷もよく知られている。
サンダーバードは、北アメリカ先住民の伝説上の巨大な鳥で、翼を打って飛ぶと雷を起こす。
雷の多いのはブラジルで、毎年落雷で多くの死者が出るほどの被害がある。

  落雷の一部始終のながきこと   宇多喜代子
(『季語の科学』尾池和夫 淡交社 令和3年)