聴診してもらって先日の血液検査の結果をみると…
Hが6項目(前回4項目)、Lが2項目(前回1項目)…(-_-;)
主治医の先生にワクチンをこちらで接種できますかと聞くと
ワクチンを保存する設備があるのは大学付属病院と総合医療センターくらいかなと…
電車に乗って行くのは不安ですと話すと肯いておられました。
わりと早く帰宅することができたので、リハビリ散歩に出かけました。
「新型コロナウイルスのワクチン 保存用冷凍庫の確保が課題」(NHK 2020年12月2日)
診察や薬局での待ち時間に読んでいたのが100分de名著のテキスト
「カール・マルクス『資本論』 2021年1月」
100分de名著では専門家が解説してくださるのですが、
伊集院光さんが自分の経験などから例を出してくださったりするので、なるほどと思うことがいっぱいあります。
講師の方も伊集院さんとの会話を楽しんでおられるのが伝わってきます。
番組で触れることができなかったことが、テキストに書かれています。
思い出したことがあります…
高校2年生の時、バス停の近くに本屋がありました。
本棚をみていると黒い箱にはいった本があり、ポケットの中のお金で買うことができました。
「新型コロナウイルスのワクチン 保存用冷凍庫の確保が課題」(NHK 2020年12月2日)
診察や薬局での待ち時間に読んでいたのが100分de名著のテキスト
「カール・マルクス『資本論』 2021年1月」
100分de名著では専門家が解説してくださるのですが、
伊集院光さんが自分の経験などから例を出してくださったりするので、なるほどと思うことがいっぱいあります。
講師の方も伊集院さんとの会話を楽しんでおられるのが伝わってきます。
番組で触れることができなかったことが、テキストに書かれています。
思い出したことがあります…
高校2年生の時、バス停の近くに本屋がありました。
本棚をみていると黒い箱にはいった本があり、ポケットの中のお金で買うことができました。
買った後に気づいた…そのお金は、バスの一ヶ月分の定期代でした。
それから一ヶ月往復2時間以上歩いて通学しました(^^ゞ
その本は、資本論の解説本でした。
内容を覚えていないのでまったく読めなかったと思います(-_-;)
岩波文庫の『資本論』も数ページ読んだだけで挫折しました…
第4回 <コモン>の再生
「コモン」=商品化への抵抗
(前略)
残念な現実は、世界経済が低迷し、イノベーションも停滞するなかで、資本主義が、これまで以上にその暴力性をむき出しにして、やみくもに商品化を推し進めよとしていることです。
例えば、私の住んでいる大阪市では、府と市の二重行政を解消して効率化を図るという、いわゆる「大阪都構想」をめぐって住民投票が行われました。
そんな大阪府が改革の目玉として熱心なのは、港湾部をリゾート開発してカジノを誘致したり万博を開催すること。
けれども、その恩恵を受けるのはゼネコンや国際的なカジノ業者やホテル業者で、地元の人には安い賃労働が少し生まれるぐらいでほとんど意味はありません。
市民の関心と資本の関心がここまで乖離したものを、市は、大阪の経済成長の青写真として謳いあげていました。
(後略)
(「カール・マルクス『資本論』」斎藤幸平 NHK出版 2020年)
2月の100分de名著は「ファノン『黒い皮膚・白い仮面』」
秋満吉彦さんのTwitterに
去年のジョージ・フロイドさんの死が忘れられず
「#BlackLivesMatter」に関わる名著を取り上げたいとずっと願っていた。
2月は「#BlackHistoryMonth」。#100分de名著 は人種差別、
そして私達の内なる差別と真正面から向き合うべく #ファノン「黒い皮膚・白い仮面」を取り上げる
昨日紹介した池田香代子さんのTwitterは、続いています。
家庭が負担できなければ、その子の学びはそこでお終い。
子供の貧困率17%の時代、高校大学は無償というのが世界の趨勢である中で、日本の子供は粗末にされすぎてはいませんか?
子供にかけるべきお金をかけない社会は、まさにゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」。
未来で今の腹を満たしている(続
国立国際医療研究センターのTwitterに
陸上女子1万メートル代表の新谷仁美さんの東京五輪についての言葉です。
「アスリートとしては賛成だけど、一国民としては反対という気持ちです。
命というものは正直、オリンピックよりも大事なものだと思います」。
思わず涙が出てきました。
私たちもコロナ制圧に向けて、精一杯頑張ります。
伝道の書
第二章
一 わたしは自分の心に言った、「さあ、快楽(かいらく)をもって、おまえを試みよう。おまえは愉快(ゆかい)に過ごすがよい」と。しかし、これもまた空(くう)であった。
二 わたしは笑いについて言った、「これは狂気(きょうき)である」と。また快楽について言った、「これは何をするのか」と。
三 わたしの心は知恵をもってわたしを導(みちび)いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天(あめ)が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良(よ)いかを、見きわめるまでは、愚(おろ)かな事をしようと試みた。
四 わたしは大きな事業をした。わたしは自分のために家を建て、ぶどう畑を設(もう)け、
五 園(その)と庭をつくり、またすべての実のなる木をそこに植え、
六 池をつくって、木のおい茂(しげ)る林に、そこから水を注(そそ)がせた。
七 わたしは男女の奴隷(どれい)を買った。またわたしの家で生れた奴隷を持っていた。わたしはまた、わたしより先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊(ひつじ)の財産を持っていた。
八 わたしはまた銀と金を集め、王たちと国々の財宝を集めた。またわたしは歌うたう男、歌うたう女を得た。また人の子の楽しみとするそばめを多く得た。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
九 こうして、わたしは大いなる者となり、わたしより先にエルサレムにいたすべての者よりも、大いなる者となった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった。
一〇 なんでも目の好(この)むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒(こば)まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報(むく)いであった。
一一 そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要(よう)した労苦を顧(かえり)みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕らえるようなものであった。日の下には益(えき)となるものはないのである。
一二 わたしはまた、身をめぐらして、知恵と、狂気と、愚痴とを見た。そもそも、王の後(のち)に来る人は何をなし得ようか。すでに彼がなした事にすぎないのだ。
一三 光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。
一四 智者(ちしゃ)の目は、その頭にある。しかし愚者(ぐしゃ)は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一(どういつ)の運命が彼らのすべてに臨(のぞ)むことを知っている。
一五 わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢(かしこ)いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。
一六 そもそも、智者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。智者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。
一七 そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪(あ)しく見えたからである。皆空であって、風を捕らえるようである。
一八 わたしは日の下で労したすべての労苦を憎(にく)んだ。わたしの後(のち)に来る人にこれを残さなければならないからである。
一九 そして、その人が知者(ちしゃ)であるか、または愚者であるかは、だれが知り得(え)よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労(ろう)し、かつ知恵を働(はたら)かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。
二〇 それでわたしはふり返ってみて、日の下でわたしが労したすべての労苦について、望(のぞ)みを失った。
二一 今ここに人があって、知恵と知識と才能をもって労しても、これがために労しない人に、すべてを残して、その所有とさせなければならないのだ。これもまた空であって、大(おお)いに悪い。
二二 そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得(え)るところがあるか。
二三 そのすべての日はただ憂(うれ)いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜(よ)の間(ま)も休まることがない。これもまた空である。
二四 人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。
二五 だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。
二六 神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積(つ)むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜(たま)わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
それから一ヶ月往復2時間以上歩いて通学しました(^^ゞ
その本は、資本論の解説本でした。
内容を覚えていないのでまったく読めなかったと思います(-_-;)
岩波文庫の『資本論』も数ページ読んだだけで挫折しました…
第4回 <コモン>の再生
「コモン」=商品化への抵抗
(前略)
残念な現実は、世界経済が低迷し、イノベーションも停滞するなかで、資本主義が、これまで以上にその暴力性をむき出しにして、やみくもに商品化を推し進めよとしていることです。
例えば、私の住んでいる大阪市では、府と市の二重行政を解消して効率化を図るという、いわゆる「大阪都構想」をめぐって住民投票が行われました。
そんな大阪府が改革の目玉として熱心なのは、港湾部をリゾート開発してカジノを誘致したり万博を開催すること。
けれども、その恩恵を受けるのはゼネコンや国際的なカジノ業者やホテル業者で、地元の人には安い賃労働が少し生まれるぐらいでほとんど意味はありません。
市民の関心と資本の関心がここまで乖離したものを、市は、大阪の経済成長の青写真として謳いあげていました。
(後略)
(「カール・マルクス『資本論』」斎藤幸平 NHK出版 2020年)
2月の100分de名著は「ファノン『黒い皮膚・白い仮面』」
秋満吉彦さんのTwitterに
去年のジョージ・フロイドさんの死が忘れられず
「#BlackLivesMatter」に関わる名著を取り上げたいとずっと願っていた。
2月は「#BlackHistoryMonth」。#100分de名著 は人種差別、
そして私達の内なる差別と真正面から向き合うべく #ファノン「黒い皮膚・白い仮面」を取り上げる
昨日紹介した池田香代子さんのTwitterは、続いています。
家庭が負担できなければ、その子の学びはそこでお終い。
子供の貧困率17%の時代、高校大学は無償というのが世界の趨勢である中で、日本の子供は粗末にされすぎてはいませんか?
子供にかけるべきお金をかけない社会は、まさにゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」。
未来で今の腹を満たしている(続
国立国際医療研究センターのTwitterに
陸上女子1万メートル代表の新谷仁美さんの東京五輪についての言葉です。
「アスリートとしては賛成だけど、一国民としては反対という気持ちです。
命というものは正直、オリンピックよりも大事なものだと思います」。
思わず涙が出てきました。
私たちもコロナ制圧に向けて、精一杯頑張ります。
伝道の書
第二章
一 わたしは自分の心に言った、「さあ、快楽(かいらく)をもって、おまえを試みよう。おまえは愉快(ゆかい)に過ごすがよい」と。しかし、これもまた空(くう)であった。
二 わたしは笑いについて言った、「これは狂気(きょうき)である」と。また快楽について言った、「これは何をするのか」と。
三 わたしの心は知恵をもってわたしを導(みちび)いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天(あめ)が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良(よ)いかを、見きわめるまでは、愚(おろ)かな事をしようと試みた。
四 わたしは大きな事業をした。わたしは自分のために家を建て、ぶどう畑を設(もう)け、
五 園(その)と庭をつくり、またすべての実のなる木をそこに植え、
六 池をつくって、木のおい茂(しげ)る林に、そこから水を注(そそ)がせた。
七 わたしは男女の奴隷(どれい)を買った。またわたしの家で生れた奴隷を持っていた。わたしはまた、わたしより先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊(ひつじ)の財産を持っていた。
八 わたしはまた銀と金を集め、王たちと国々の財宝を集めた。またわたしは歌うたう男、歌うたう女を得た。また人の子の楽しみとするそばめを多く得た。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
九 こうして、わたしは大いなる者となり、わたしより先にエルサレムにいたすべての者よりも、大いなる者となった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった。
一〇 なんでも目の好(この)むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒(こば)まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報(むく)いであった。
一一 そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要(よう)した労苦を顧(かえり)みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕らえるようなものであった。日の下には益(えき)となるものはないのである。
一二 わたしはまた、身をめぐらして、知恵と、狂気と、愚痴とを見た。そもそも、王の後(のち)に来る人は何をなし得ようか。すでに彼がなした事にすぎないのだ。
一三 光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。
一四 智者(ちしゃ)の目は、その頭にある。しかし愚者(ぐしゃ)は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一(どういつ)の運命が彼らのすべてに臨(のぞ)むことを知っている。
一五 わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢(かしこ)いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。
一六 そもそも、智者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。智者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。
一七 そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪(あ)しく見えたからである。皆空であって、風を捕らえるようである。
一八 わたしは日の下で労したすべての労苦を憎(にく)んだ。わたしの後(のち)に来る人にこれを残さなければならないからである。
一九 そして、その人が知者(ちしゃ)であるか、または愚者であるかは、だれが知り得(え)よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労(ろう)し、かつ知恵を働(はたら)かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。
二〇 それでわたしはふり返ってみて、日の下でわたしが労したすべての労苦について、望(のぞ)みを失った。
二一 今ここに人があって、知恵と知識と才能をもって労しても、これがために労しない人に、すべてを残して、その所有とさせなければならないのだ。これもまた空であって、大(おお)いに悪い。
二二 そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得(え)るところがあるか。
二三 そのすべての日はただ憂(うれ)いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜(よ)の間(ま)も休まることがない。これもまた空である。
二四 人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。
二五 だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。
二六 神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積(つ)むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜(たま)わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)