2021年1月2日土曜日

穏やかな正月二日

大阪は、晴れて穏やかな正月二日目の朝ですが…

新潟・北陸・東北の日本海側中心に雪強まる 大雪影響に注意を」(NHK)
アフリカのことわざのTwitterに

「ゆっくりと進むことが、到着をさまたげはしない」 フラニ人(西アフリカ)

本を読みたいのだけど出版社が倒産しているようです(T_T)
今日もボヤくことを我慢して室生犀星の詩を紹介します(*´▽`*)
  地に燃える

烈しい寒ざらしのかぜふく朝
ゆきずりに私は美しいものを見た
どこの女かしらない
寒さにさらしつくされたやうな頬をして
真赤にほてらして
ちからをあるだけの肉体(からだ)にこめ
とつとつと歩いてゆくのだ
その頬は実際燃えてゐる
うちがわから湧きでてゐる紅みだ
寒風なんぞは何んでもなく見える
そんなものをうけつけない皮膚だ
しつとりと香料のやうな光さへ見える地だ
(『室生犀星詩集』室生犀星自選 岩波書店 1983年)
寒さがすればするほど
霜にあへばあふほど赤くなるくだもののやうに
ますます温かく燃えあがるらしい
風のほうでもみな反れてゆく
とてもかなはないらしく
荒い霜だつて
雪だつてすぐ消されてしまふ
あの上に手を置いたら大変だらう
しかもとつとつとゆくのだ
わき目もふらず
そこらぢうの人々をおどろかし
美しい姿を目に永く描かせ
とつとつと走るやうにゆくのだ
あの様子だと何処までゆくかわからない
あの足をみたら大変だらう
しまひには天まで登つてゆくかもしれない
(『室生犀星詩集』室生犀星自選 岩波書店 1983年)

寂しき都会』(国立国会図書館)を見ると、続きがあって自選集では、削除されているようです。
『奄美諸島の昔話』には各地に伝わっている話とよく似た昔話が載っています。
屁ひりゃ嫁」、「 幽霊の菓子買い」。
そして奄美地方らしいなと思うのが「ハブの恩返し」、
夏にいつも不思議だなと思っていたことを教えてくれたのが「みみず」、
以上、四つの話を転記しますφ(..)
  屁ひりゃ嫁

 「屁をひったら戻されるから、絶対に屁をひってはいけないよ」といいつけて嫁にやったところが、その嫁が、日に日にやせてきた。
そこで姑親(しとううや)が心配して、
「どうしてそんなにやせたのか」とたずねたところが、嫁が、
「『嫁にいって、あちらの家で屁をひったりしたら戻されるから絶対に屁をひるなよ』といわれ、それをこらえているので、こんなにやせているのです」といったところが、
「そうか、そんなに、からだの害になるのなら、かまわないから、屁をひれ」といったところが、
(『奄美諸島の昔話 日本の昔話7』監修:稲田浩二、編者:田畑英勝 日本放送出版協会 昭和49年)
「三ゕ年間、屁をこらえているので、この家の道具をみんなかたづけてくれ」というので、
「では」といって、道具をみんなかたづけて、まっちぶる(ひょうたん)一つだけとりのこしておいてあったところが、それが、天井に上がったり、落ちたりするまで屁をひったので、
「はあー、こんなおそろしい屁をひる女はもう、おいておくわけにはいかない」といって、帰さられることになった。
途中、たくさんのくだもののなっているところがあって、そこを通りかかったら、たくさんの人が集っていて、こずえの実をとろうとしてもとることができず困っていた。
ところがその女が、
「ああ、自分を頼めば一回でみんな落してやるのに」といったところが、
「それをとった者にはいくらでもほうびをやる」ということを約束したのでしょうよ。
そこで、
「私がみんな落してあげましょう」といって、その嫁さんが尻をあげて屁をひったら、一つ残らず落ちたので、たくさんのほうびをもらった。
そこで、
「こんないい嫁さんを帰してはいけない。これは家の宝であった」といって、また連れ帰ったということです。
  (『日本昔話名彙』「へやの起り」)
  語り手・大島本島・大島郡住用村山間 吉永イクマツ
 幽霊の菓子買い

 昔、ありょうたん、ちゅうかな。
 店に、番頭がもう戸を締めようとするころになると、毎晩美しい女が、
 「あむぃ(あめ)菓子くわ(を) 売りんしょれぃ(売ってください)」といって、お金を三厘(りん)ずつ持ってきいきするので(いつも くるので)、『これは不思議だなあ』と思いながらも、売ってはやりやりしていた。
お金を三厘ずつもってはくるのだが、あくる朝になると、その三厘のお金がなくなりなり(なくなり、なくなり)するので、『これはどうも変だ』と思って、『今晩こそはその女の後をつけていってみよう』と思って、後をつけていったところが、すーっと墓の中にはいっていったので、墓の中をのぞいてみると、赤子がオホンオホンと泣いてたそうです。
赤子がオホンオホン泣いているので、『あはー、さては子供をはらんだ女が墓の中で子供を生んで、そのまぶり(霊)が出てきたのだなあ』と思って、すぐ墓を掘りかえして見たところが、親は死んでいるのに、そのそばに男の子が生きていたので、
「これは ぬされた(よかった)」と、その子をとり出し、そこの家にとどけたら、
「はげー、自分の子供がはらんでもおりしたので(死んだので)そのまま、そっと葬式をしたのだが、その子供が生きて出ていたのだなあ」といって、その親のほうたちは大変喜んで、ていねいのあるだけして(大事に大事に)育てたところが、その人は立派なひとになったそうです。
土の中から生まれたので、土持(つちもち)様と名づけたそうです。
 むん語れ だりょっか(もの語り ですが)
          (『日本昔話名彙』「子育て幽霊」)
     語り手・大島本島大和村津名久 福島ナヲマツ
  ハブの恩返し

 昔、ハブが家の中にはいってきた。
すると、そのハブに、
 「お前を殺しはしないから、その代りにここを守れ」といったそうな。
そういった主が家に子供を寝かしたまま畑(はる)へゆき、子供の泣くのも知らずに仕事をしていたそうな。
すると、(*1)まじゅん(ハブ)がはいっていって、その首を子供につかませ、自分のしっぽで子供の背中をたたいていたそうな。
その時に(*2)子供に首をつかませたいたから、ハブの首は小さいのだという。
  (『日本昔話名彙』「動物報恩」)
 語り手・徳之島・大島郡天城町阿布木名 大吉マカ
 *1)まじゅん(まがつ物の意。名瀬では「まじむん」という。ハブと直接その名を呼ぶことを忌みさけた表現。ユタ神の呪え口などではアヤキマダラ・クシキマダラなどとその紋様でこれを表現している)
*2)子供に首をつかまえさせていたから(「それで乳のみ子の握った手を『ハブン首握り』というのだ」ともいう)
 みみず

 神様が昔は、いろいろの動物に食べ物をあたえて、「それを食べよ」と命じていた。
そこで、みみずが神様に、
 (*)「私は、この土を食べたあと何を食べて生きていったらいいでしょうか」とたずねたところが、
 「お前は、こんなに広い土を食べて、それでたりないなら、六月日照りに出て死ね」とおっしゃったので、あんなに、みみずは六月日照りには出て死ぬのだそうです。
  (『日本昔話集成』75「蚯蚓と土」)
  語り手・大島本島・大島郡竜郷村嘉渡 加藤デン)
*「私は、この土を食べたあと何を食べて生きていったらいいでしょうか」(島では欲をする人を評して「ムェージャ ニシ ユク ブェリ シ」⦅みみずのような欲ばかリしての意⦆という。この話によったものであろう)
(『奄美諸島の昔話 日本の昔話7』監修:稲田浩二、編者:田畑英勝 日本放送出版協会 昭和49年)
今朝の父の一枚です(^^)v
カワラヒワの群れがアキニレの実をついばんでいました。
父の言うことには、見上げていると首が痛くなったそうです。
私も高い木の上にいる鳥を写していると血圧が上がってきます(^-^;
そのうえ食べかすがいっぱい降ってくる…