昨夜の雨が雪になったみたい…
「19日 一層寒くなりそう」(えりの気象日記 1月18日) サヘルローズさんのTwitterに
生まれた場所 : 地球
人類 : 人間
政治 : 自由
宗教 : 愛
こんなに純粋に生きたいね。
いま、
苦しい時代だからこそ、
『独りじゃないよ』
と伝え続けたい。
(Tシャツを着た女の子画像)
情熱大陸「竹内善之[パン職人]」
空襲に耐え、阪神淡路大震災にもビクともしなかった「奇跡の窯」、そして88歳の竹内さんの手から生れる食パン。
見逃し配信を1月24日(日)23時14分まで見ることができます。
フロイン堂のインスタグラム
グレーテルのかまど「東北応援!スイーツ」では、三つのスイーツが登場します。
番組に送られた箭内道彦さんの手紙
まだ道半ばの復興、そしてコロナ。
人と人の間に引かれた無数の線を消すために必要なことは、「AかB」の二者択一ではなく、
やわらかな「第三の答え」を求め、探し出すこと。
三角のゆべしは、いつもそう教える。
互いを受け容れ合う餡と醤油が
ふるさとへの思いを深める。
「くたびっちゃべ(おつかれさん)」と、
いつだってみんなをねぎらい続けてくれながら。
こんなに美味しい菓子が在り続けることもまた
我々が故郷(こきょう)に胸を張る誇りのひとつなのです。
あんがどない(ありがとう)
ETV特集「円空 仏像に封印された謎」を見ていたら円空の亡き母への思いが伝わってきました。
番組の中で『近世畸人伝』に描かれている円空が紹介されていました。
「僧 圓空 附 俊乗」を転記したいと思います。
漢字を新字体に変えていますし、現代語訳にすることはできません(^^ゞ
僧 円空 附 俊乗
僧円空は、美濃国竹が鼻といふ所の人也。
稚きより出家し、某の寺にありしが、廿三にて遁れ出、富士山に籠り、又加賀白山にこもる。
(『近世畸人伝』伴 蒿蹊著、森 銑三校註 岩波文庫 1940年)
ある夜白山権現の示現ありて美濃のくに池尻弥勒寺再建のことを仰たまふよしにて至りしが、いくほどなく成就しければ、そこにも止らず、飛騨の袈裟山千光寺といへるに遊ぶ。
其袈裟にありける僧俊乗といへるは、世に無我の人にて交善ければ也。円空もてるものは鉈(なた)一丁のみ。
常にこれをもて仏像を刻むを所作とす。
袈裟山にも立ちながらの枯木をもて作れる二王あり。
今是を見るに仏作のごとしとかや。
又あらかじめ人の来るを知る。
又人を見、家を見ては、或は久しくたもつべし、或はいくほどなく衰べし、といへるに、ひとつもたがふことなし。
或時、此国高山の府金森侯の居城をさして、此所に城気なし、といへるに、一両年の間に、侯出羽へ国がへありて、城は外郭計となりぬ。また大丹生(おほにふ)といへる池は、池の主人をとるとて、常に人ひとりはゆかず、二人ゆけば故なしといへり。
さるにあるとき円空見て、此の水この比にあせて、あやしきことあり。
国中大に災にかゝるべし、といひしかば、もとより其ふしぎを知る故に、人々驚き、いかにもして此難を救ひ給はれ、と願ひしかば、やがて彼鉈(なた)にて、千体の仏像を不日に作て池に沈む。
其後何の故もなく、はた是よりは、ひとり行人もとらるゝこと止みけりとなん。
この国より東に遊び、蝦夷(えぞ)の地に渡り、仏の道しらぬ所にて、法を説て化度せられければ、その地のひとは今に至りて、今釈迦と名づけて余光(よこう)をたふとむと聞ゆ。
後美濃の池尻にかへりて、終をとれり。
美濃飛騨の間にては、窟上人といひならへるは、窟に住る故かも。
〇彼袈裟山の俊乗は、人の空言(そらごと)するを何にまれまこととす。
蓮華坂といへる所に、蓮華躑躅(つつじ)といふもの有。
其花のさかりに人戯ていふ、かの花に背をあててあぶればいとあたたか也、こゝろみ給へ、と。
俊乗ある日教けるまゝにしたるに、春日のかげうつろひて、いかにもあたたかなるを、日影とおもはで、まことに花のゆゑとよろこびしとなん。
又ある人あざむきて、坂を登るには牛馬のごとくはひて登れば苦しげなし、といへるを、まことにして、袈裟のふもとより八町が間、嶮(けん)なる坂をはひ登りけるが、是は、人のいひしに似ずいとくるし、といへりとぞ。
かくおろかに直(なほ)き人なれば、円空も悦交られしなるべし。
(『近世畸人伝』伴 蒿蹊著、森 銑三校註 岩波文庫 1940年)今朝の父の一枚です(^^)v
ツグミがクロガネモチの実を食べていました。
クロガネモチ モチノキ科
ヒヨドリ、レンジャク類、ツグミ類など
山地の広葉樹林内などに生育する。
公園や庭木などにも植えられているが、街路樹になっているものが多い。
実が熟すのは遅く、早くても11月頃になってから。
赤くなっても鳥がよく食べるのは12月頃になってからで、主に採食するのはレンジャク類。
他にはツグミやヒヨドリ、カラス類が採食する程度である。
また、餌の少ない年にはメジロやジョウビタキなども採食することがある。
本種と同じ仲間のモチノキは、ヒヨドリ以外が食べることは少ないようだ。
(『野鳥と木の実』叶内拓哉 文一総合出版 2006年)
グレーテルのかまど「東北応援!スイーツ」では、三つのスイーツが登場します。
番組に送られた箭内道彦さんの手紙
まだ道半ばの復興、そしてコロナ。
人と人の間に引かれた無数の線を消すために必要なことは、「AかB」の二者択一ではなく、
やわらかな「第三の答え」を求め、探し出すこと。
三角のゆべしは、いつもそう教える。
互いを受け容れ合う餡と醤油が
ふるさとへの思いを深める。
「くたびっちゃべ(おつかれさん)」と、
いつだってみんなをねぎらい続けてくれながら。
こんなに美味しい菓子が在り続けることもまた
我々が故郷(こきょう)に胸を張る誇りのひとつなのです。
あんがどない(ありがとう)
ETV特集「円空 仏像に封印された謎」を見ていたら円空の亡き母への思いが伝わってきました。
番組の中で『近世畸人伝』に描かれている円空が紹介されていました。
「僧 圓空 附 俊乗」を転記したいと思います。
漢字を新字体に変えていますし、現代語訳にすることはできません(^^ゞ
僧 円空 附 俊乗
僧円空は、美濃国竹が鼻といふ所の人也。
稚きより出家し、某の寺にありしが、廿三にて遁れ出、富士山に籠り、又加賀白山にこもる。
(『近世畸人伝』伴 蒿蹊著、森 銑三校註 岩波文庫 1940年)
ある夜白山権現の示現ありて美濃のくに池尻弥勒寺再建のことを仰たまふよしにて至りしが、いくほどなく成就しければ、そこにも止らず、飛騨の袈裟山千光寺といへるに遊ぶ。
其袈裟にありける僧俊乗といへるは、世に無我の人にて交善ければ也。円空もてるものは鉈(なた)一丁のみ。
常にこれをもて仏像を刻むを所作とす。
袈裟山にも立ちながらの枯木をもて作れる二王あり。
今是を見るに仏作のごとしとかや。
又あらかじめ人の来るを知る。
又人を見、家を見ては、或は久しくたもつべし、或はいくほどなく衰べし、といへるに、ひとつもたがふことなし。
或時、此国高山の府金森侯の居城をさして、此所に城気なし、といへるに、一両年の間に、侯出羽へ国がへありて、城は外郭計となりぬ。また大丹生(おほにふ)といへる池は、池の主人をとるとて、常に人ひとりはゆかず、二人ゆけば故なしといへり。
さるにあるとき円空見て、此の水この比にあせて、あやしきことあり。
国中大に災にかゝるべし、といひしかば、もとより其ふしぎを知る故に、人々驚き、いかにもして此難を救ひ給はれ、と願ひしかば、やがて彼鉈(なた)にて、千体の仏像を不日に作て池に沈む。
其後何の故もなく、はた是よりは、ひとり行人もとらるゝこと止みけりとなん。
この国より東に遊び、蝦夷(えぞ)の地に渡り、仏の道しらぬ所にて、法を説て化度せられければ、その地のひとは今に至りて、今釈迦と名づけて余光(よこう)をたふとむと聞ゆ。
後美濃の池尻にかへりて、終をとれり。
美濃飛騨の間にては、窟上人といひならへるは、窟に住る故かも。
〇彼袈裟山の俊乗は、人の空言(そらごと)するを何にまれまこととす。
蓮華坂といへる所に、蓮華躑躅(つつじ)といふもの有。
其花のさかりに人戯ていふ、かの花に背をあててあぶればいとあたたか也、こゝろみ給へ、と。
俊乗ある日教けるまゝにしたるに、春日のかげうつろひて、いかにもあたたかなるを、日影とおもはで、まことに花のゆゑとよろこびしとなん。
又ある人あざむきて、坂を登るには牛馬のごとくはひて登れば苦しげなし、といへるを、まことにして、袈裟のふもとより八町が間、嶮(けん)なる坂をはひ登りけるが、是は、人のいひしに似ずいとくるし、といへりとぞ。
かくおろかに直(なほ)き人なれば、円空も悦交られしなるべし。
(『近世畸人伝』伴 蒿蹊著、森 銑三校註 岩波文庫 1940年)今朝の父の一枚です(^^)v
ツグミがクロガネモチの実を食べていました。
クロガネモチ モチノキ科
ヒヨドリ、レンジャク類、ツグミ類など
山地の広葉樹林内などに生育する。
公園や庭木などにも植えられているが、街路樹になっているものが多い。
実が熟すのは遅く、早くても11月頃になってから。
赤くなっても鳥がよく食べるのは12月頃になってからで、主に採食するのはレンジャク類。
他にはツグミやヒヨドリ、カラス類が採食する程度である。
また、餌の少ない年にはメジロやジョウビタキなども採食することがある。
本種と同じ仲間のモチノキは、ヒヨドリ以外が食べることは少ないようだ。
(『野鳥と木の実』叶内拓哉 文一総合出版 2006年)