寒さのピークなのかな?
「寒さ 20日までの辛抱」(えりの気象日記 1月19日)
平川克美さんのTwitterに
マイナンバーってのは、いつもどさくさに紛れてやってくる。
それほど、権力者にとって魅力的な制度なんだろう。
五百旗頭幸男さんのTwitterをリツイート
また火事場泥棒が現れました。
学校の成績といい、コロナワクチンの接種記録といい、
どさくさに紛れて不可解で不愉快な紐付けを画策するから、
未だにマイナンバーカードの普及率が20%台にとどまっているのでしょう。
デジタルの裏に不穏でアナログな企みが見え隠れします。
「ワクチン接種記録、マイナンバーとひも付けを 平井氏、河野氏に提案」(毎日新聞 1月19日)
たった10分間の番組だけど素敵な作品。
Eテレは、5分とか10分という短い時間でも心に響く番組を制作する。
世界を変えた女の子「ココ・シャネル 編」
ガブリエル)
嫌いは出口のない行き止まり。
好き…の前には、たくさんの道が開いている気がする。
好き…の先には、道が続いている気がする。
ナレーション)
昔むかしあるところに、幸せには始まらなかった人生を
自分の「好き」で切り開いた女の子がいました。
デザイナーになった彼女は、女性たちを窮屈な服から解放し
革命を起こしました。
彼女の名前はガブリエル。
またの名を「ココ・シャネル」。
それでも生きる~旧約聖書・コヘレトの言葉 (4)「幸せはどこにあるか」
の中で46分頃に
「あなたの受ける分を七つか八つに分けよ
地にどのような災いが起こるか あなたは知らないからである」(「コヘレトの言葉」11章2節)
に関連して以下のエピソードが紹介されていました。
小友聡)
今、この地上に、どういう災いが起こるか分らない不安な時代。
先が見えない。
こういう時にこそ、しかし、自分が持ってるものを分かち合うんだと。
皆と分かち合うんだと。
現代の今、コロナの時代で先が見えないですね。
この混乱した状況の中で、自分にあるものを他者と分かち合う。
そして共に生きることをコヘレトが教えてるんですね。
私、ここで、ニューヨークのアンドリュー・クオモ知事のことを思い起こすんです。
クオモ知事が「五つのマスク」っていうことを言うんです。
これはニューヨークの病院がパニックになっている時です。
カンザス州の農家 デニス・ルーンケさんが、クオモ知事に、マスク1枚送るんです。
その農民っていうのは、もう70を超えた老人なんです。
自分の家に、たまたま、5枚のマスクがあった、見つかったと。
1枚は、これは自分のために。
そして片肺がない自分の妻のために3枚、マスクをとっておく。
残り1枚をどうするか。
この1枚を、クオモ知事に送るんです。
「使ってくれ」と。
今、大変な状況にある病院、医療関係者に1枚のマスクを提供するんです。
小さなたわいのないことなんですよ。
しかしクオモ知事は、感動するんですよね。
もし、この世界で、今、この世界の中で、皆が1枚のマスクを、提供すれば、
5枚のうちの1枚のマスクを提供してくれれば、皆がそれをすればこの世界は救われる。
こういうことをクオモ知事は言うんです。
これコヘレトの言葉に通じますよね。
Andrew Cuomo知事のTwitter(2020年4月25日)
昨年、10月の100分de名著で「谷崎潤一郎スペシャル」で『陰翳礼讃』が紹介され
ETV特集でも「THE 陰翳礼讃 ~谷崎潤一郎と日本の美~」が放送されました(1月2日)。
前にも書きましたが、谷崎潤一郎の作品は、食わず嫌いだったなと思います。
新潮文庫の『陰翳礼讃・文章読本』を読むと、「厠(かわや)のいろいろ」という随筆があります。
厠についての谷崎のこだわりや蘊蓄が面白いなと思いました。
何回かに分けて転記したいと思いますφ(..)
ちなみに私が厠で感動したのは大学1年の時に高校の恩師に連れていってもらった白馬鑓温泉小屋。
ここは標高日本一の露天風呂が有名なんですが、トイレにビックリ( ゚Д゚)
50年近く前の事なので、今はどうなっているのか分らないのですが、トイレにまたいで下を見ると温泉が流れている。
水洗便所でなく、かけ流しの温泉便所。
座っているとお尻を湯気が温めてくれる温泉ウォシュレット(*´▽`*)
厠のいろいろ
〇
厠で一番忘れらない印象を受け、今もおりおり想(おも)い起こすのは、大和の上市(かみいち)の町で或(あ)る饂飩(うどん)屋へ這入(はい)ったときのことである。
急に大便を催したので案内を乞(こ)うと、連れて行かれたのが、家の奥の、吉野川の川原に臨んだ便所であったが、ああ云(い)う川添いの家と云うものは、お定りの如(ごと)く奥へ行くと一階が二階になって、下にもう一つ地下室が出来ている。
その饂飩屋もそう云う風な作りであったから、便所のある所は二階であったが、跨(また)ぎながら下を覗(のぞ)くと、眼もくるめくような遥(はる)かな下方に川原の土や草が見えて、畑に菜の花の咲いているのや、蝶々の飛んでいるのや、人が通っているのが鮮やかに見える。
(『陰翳礼讃・文章読本』谷崎潤一郎 新潮文庫 平成28年)
つまりその便所だけが二階から川原の崖(がけ)の上へ張り出しになっていて、私が蹈(ふ)んでいる板の下には空気以外に何物もないのである。
私の肛門(こうもん)から排泄(はいせつ)される固形物は、何十尺の虚空(こくう)を落下して、蝶々の翅(はね)や通行人の頭を掠(かす)めながら、糞溜(くそだめ)へ落ちる。
その落ちる光景までが、上からありありと見えるけれども、蛙(かわず)飛び込む水の音も聞こえて来なければ、臭気も昇って来ない。
第一糞溜そのものがそんな高さから見おろすと、一向不潔なものに見えない。
飛行機の便所へ這入ったらこんな工合なのではないかと思ったが、糞の落ちて行く間を蝶々がひらひら舞っていたリ、下に本物の菜畑があるなんて、洒落(しゃれ)た厠がまたとあるべきものではない。
ただし、この場合厠へ這入っている者はよいが、災難なのは下を通る人たちである。
広い川原のことだから家の裏側に沿うて畑があったり、花壇があったり、物干し場があったりするので、自然その辺を人がうろうろする訳だが、始終頭の上に気を配ってもいられまいから、「この上に便所あり」とでも棒杭(ぼうぐい)を立てて置かなかったら、ついうっかりして真下を通ることもあろう。
とすると、どんな時に牡丹餅(ぼたもち)の洗礼を受けないとも限らないのである。 〇
都会の便所は清潔と云う点では申し分がないけれども、こう云ったような風流味がない。
田舎は土地がゆったりしていて、周囲に樹木が繁(しげ)っているから、母屋(おもや)と厠とを切り離してその間を渡り廊下でつないでいるのが普通である。
紀州下里の懸泉堂(けんせんどう<佐藤春夫の故郷の家>)は建坪は少ないが、庭は三千坪からあるのだと聞く。
私が行ったのは夏であったが、庭の方へ長い渡り廊下が突き出ていて、その端にある厠が、こんもりした青葉の蔭(かげ)に包まれていた。
これだと臭気がたちまち四方のすがすがしい空気の中へ発散してしまうから、四阿(あずまや)にでも憩(いこ)っているような心地がして、不浄な感じがしないのである。
要するに、厠はなるたけ土に近く、自然に親しみ深い場所に置かれてあるのがよいようである。
叢(くさむら)の中で、青天井を仰ぎながら野糞をたれるのとあまり違わない程度の、粗朴な、原始的なものほど気持がよいと云うことになる。
〇
もう二十年近くも前のことだが、長野草風画伯が名古屋へ旅行をして帰って来ての話に、名古屋と云う都会はなかなか文化が進んでいる、市民の生活程度も大阪や京都に譲らない、自分はそれを何に依(よ)って感じたかと云えば、方々の家へ招かれて行った時に、厠の匂(にお)いを嗅(か)いでそう思ったと云うのである。画伯の説に依ると、どんなに掃除のよく行き届いた便所でも、必ずほんのりと淡い匂いがする。
それは臭気止めの薬の匂いと、糞尿(ふんにょう)の匂と、庭の下草や、土や、苔(こけ)などの匂の混合したものであるが、しかもその匂が一軒々々少しずつ違っていて、上品な家のは上品な匂がする。
だから便所の匂を嗅げば、ほぼその家に住む人々の人柄が分り、どんな暮しをしているかが想像できるのであって、名古屋の上流の家庭の厠は概して奥ゆかしい都雅(とが)な匂がしたと云う。
なるほど、そう云われてみると、便所の匂には一種なつかしい甘い思い出が伴うものである。
たとえば久しく故郷を離れた者が何年ぶりかで我が家へ帰って来た場合、何よりも便所へ這入って昔嗅ぎ馴(な)れた臭いを嗅ぐときに、幼時の記憶がこもごもよみがえって来て、ほんとうに「我が家へ戻って来たなあ」と云う親しみが湧(わ)く。
また行きつけの料理屋お茶屋などについても、同様のことが云える。
ふだんは忘れているけれども、たまに出かけて行ってその家の厠へ這入ってみると、そこで過ごした歓楽の思い出がいろいろと浮んで来、昔ながらの遊蕩(ゆうとう)気分や花柳情調がおもむろに催して来るのである。それに、そう云うと可笑(おか)しいが、便所の匂には神経を鎮静させる効用があるのではないかと思う。
便所が瞑想(めいそう)に適する場所であることは、人のよく知る通りであるが、近頃の水洗式の便所では、どうもそれが思うように行かない。
と云うのは、他にもいろいろの原因があるに違いないが、水洗式だと、清潔一方になってしまって、草風氏のいわゆる上品な匂、都雅の匂のしないことが、大いに関係しているのであろう。
こういう時にこそ、しかし、自分が持ってるものを分かち合うんだと。
皆と分かち合うんだと。
現代の今、コロナの時代で先が見えないですね。
この混乱した状況の中で、自分にあるものを他者と分かち合う。
そして共に生きることをコヘレトが教えてるんですね。
私、ここで、ニューヨークのアンドリュー・クオモ知事のことを思い起こすんです。
クオモ知事が「五つのマスク」っていうことを言うんです。
これはニューヨークの病院がパニックになっている時です。
カンザス州の農家 デニス・ルーンケさんが、クオモ知事に、マスク1枚送るんです。
その農民っていうのは、もう70を超えた老人なんです。
自分の家に、たまたま、5枚のマスクがあった、見つかったと。
1枚は、これは自分のために。
そして片肺がない自分の妻のために3枚、マスクをとっておく。
残り1枚をどうするか。
この1枚を、クオモ知事に送るんです。
「使ってくれ」と。
今、大変な状況にある病院、医療関係者に1枚のマスクを提供するんです。
小さなたわいのないことなんですよ。
しかしクオモ知事は、感動するんですよね。
もし、この世界で、今、この世界の中で、皆が1枚のマスクを、提供すれば、
5枚のうちの1枚のマスクを提供してくれれば、皆がそれをすればこの世界は救われる。
こういうことをクオモ知事は言うんです。
これコヘレトの言葉に通じますよね。
Andrew Cuomo知事のTwitter(2020年4月25日)
昨年、10月の100分de名著で「谷崎潤一郎スペシャル」で『陰翳礼讃』が紹介され
ETV特集でも「THE 陰翳礼讃 ~谷崎潤一郎と日本の美~」が放送されました(1月2日)。
前にも書きましたが、谷崎潤一郎の作品は、食わず嫌いだったなと思います。
新潮文庫の『陰翳礼讃・文章読本』を読むと、「厠(かわや)のいろいろ」という随筆があります。
厠についての谷崎のこだわりや蘊蓄が面白いなと思いました。
何回かに分けて転記したいと思いますφ(..)
ちなみに私が厠で感動したのは大学1年の時に高校の恩師に連れていってもらった白馬鑓温泉小屋。
ここは標高日本一の露天風呂が有名なんですが、トイレにビックリ( ゚Д゚)
50年近く前の事なので、今はどうなっているのか分らないのですが、トイレにまたいで下を見ると温泉が流れている。
水洗便所でなく、かけ流しの温泉便所。
座っているとお尻を湯気が温めてくれる温泉ウォシュレット(*´▽`*)
厠のいろいろ
〇
厠で一番忘れらない印象を受け、今もおりおり想(おも)い起こすのは、大和の上市(かみいち)の町で或(あ)る饂飩(うどん)屋へ這入(はい)ったときのことである。
急に大便を催したので案内を乞(こ)うと、連れて行かれたのが、家の奥の、吉野川の川原に臨んだ便所であったが、ああ云(い)う川添いの家と云うものは、お定りの如(ごと)く奥へ行くと一階が二階になって、下にもう一つ地下室が出来ている。
その饂飩屋もそう云う風な作りであったから、便所のある所は二階であったが、跨(また)ぎながら下を覗(のぞ)くと、眼もくるめくような遥(はる)かな下方に川原の土や草が見えて、畑に菜の花の咲いているのや、蝶々の飛んでいるのや、人が通っているのが鮮やかに見える。
(『陰翳礼讃・文章読本』谷崎潤一郎 新潮文庫 平成28年)
つまりその便所だけが二階から川原の崖(がけ)の上へ張り出しになっていて、私が蹈(ふ)んでいる板の下には空気以外に何物もないのである。
私の肛門(こうもん)から排泄(はいせつ)される固形物は、何十尺の虚空(こくう)を落下して、蝶々の翅(はね)や通行人の頭を掠(かす)めながら、糞溜(くそだめ)へ落ちる。
その落ちる光景までが、上からありありと見えるけれども、蛙(かわず)飛び込む水の音も聞こえて来なければ、臭気も昇って来ない。
第一糞溜そのものがそんな高さから見おろすと、一向不潔なものに見えない。
飛行機の便所へ這入ったらこんな工合なのではないかと思ったが、糞の落ちて行く間を蝶々がひらひら舞っていたリ、下に本物の菜畑があるなんて、洒落(しゃれ)た厠がまたとあるべきものではない。
ただし、この場合厠へ這入っている者はよいが、災難なのは下を通る人たちである。
広い川原のことだから家の裏側に沿うて畑があったり、花壇があったり、物干し場があったりするので、自然その辺を人がうろうろする訳だが、始終頭の上に気を配ってもいられまいから、「この上に便所あり」とでも棒杭(ぼうぐい)を立てて置かなかったら、ついうっかりして真下を通ることもあろう。
とすると、どんな時に牡丹餅(ぼたもち)の洗礼を受けないとも限らないのである。 〇
都会の便所は清潔と云う点では申し分がないけれども、こう云ったような風流味がない。
田舎は土地がゆったりしていて、周囲に樹木が繁(しげ)っているから、母屋(おもや)と厠とを切り離してその間を渡り廊下でつないでいるのが普通である。
紀州下里の懸泉堂(けんせんどう<佐藤春夫の故郷の家>)は建坪は少ないが、庭は三千坪からあるのだと聞く。
私が行ったのは夏であったが、庭の方へ長い渡り廊下が突き出ていて、その端にある厠が、こんもりした青葉の蔭(かげ)に包まれていた。
これだと臭気がたちまち四方のすがすがしい空気の中へ発散してしまうから、四阿(あずまや)にでも憩(いこ)っているような心地がして、不浄な感じがしないのである。
要するに、厠はなるたけ土に近く、自然に親しみ深い場所に置かれてあるのがよいようである。
叢(くさむら)の中で、青天井を仰ぎながら野糞をたれるのとあまり違わない程度の、粗朴な、原始的なものほど気持がよいと云うことになる。
〇
もう二十年近くも前のことだが、長野草風画伯が名古屋へ旅行をして帰って来ての話に、名古屋と云う都会はなかなか文化が進んでいる、市民の生活程度も大阪や京都に譲らない、自分はそれを何に依(よ)って感じたかと云えば、方々の家へ招かれて行った時に、厠の匂(にお)いを嗅(か)いでそう思ったと云うのである。画伯の説に依ると、どんなに掃除のよく行き届いた便所でも、必ずほんのりと淡い匂いがする。
それは臭気止めの薬の匂いと、糞尿(ふんにょう)の匂と、庭の下草や、土や、苔(こけ)などの匂の混合したものであるが、しかもその匂が一軒々々少しずつ違っていて、上品な家のは上品な匂がする。
だから便所の匂を嗅げば、ほぼその家に住む人々の人柄が分り、どんな暮しをしているかが想像できるのであって、名古屋の上流の家庭の厠は概して奥ゆかしい都雅(とが)な匂がしたと云う。
なるほど、そう云われてみると、便所の匂には一種なつかしい甘い思い出が伴うものである。
たとえば久しく故郷を離れた者が何年ぶりかで我が家へ帰って来た場合、何よりも便所へ這入って昔嗅ぎ馴(な)れた臭いを嗅ぐときに、幼時の記憶がこもごもよみがえって来て、ほんとうに「我が家へ戻って来たなあ」と云う親しみが湧(わ)く。
また行きつけの料理屋お茶屋などについても、同様のことが云える。
ふだんは忘れているけれども、たまに出かけて行ってその家の厠へ這入ってみると、そこで過ごした歓楽の思い出がいろいろと浮んで来、昔ながらの遊蕩(ゆうとう)気分や花柳情調がおもむろに催して来るのである。それに、そう云うと可笑(おか)しいが、便所の匂には神経を鎮静させる効用があるのではないかと思う。
便所が瞑想(めいそう)に適する場所であることは、人のよく知る通りであるが、近頃の水洗式の便所では、どうもそれが思うように行かない。
と云うのは、他にもいろいろの原因があるに違いないが、水洗式だと、清潔一方になってしまって、草風氏のいわゆる上品な匂、都雅の匂のしないことが、大いに関係しているのであろう。
(続く)
(『陰翳礼讃・文章読本』谷崎潤一郎 新潮文庫 平成28年)
今朝の父の一枚です(^^)v
シジュウカラの巣ではありません。
枯葉のベッドに虫がいるようです。
クチバシは黒く、細く尖っている。
このクチバシを使って枯葉の下の昆虫を探したり、小さな木の実を割って食べたりする。
(野鳥シリーズ42 シジュウカラ )
(『陰翳礼讃・文章読本』谷崎潤一郎 新潮文庫 平成28年)
今朝の父の一枚です(^^)v
シジュウカラの巣ではありません。
枯葉のベッドに虫がいるようです。
クチバシは黒く、細く尖っている。
このクチバシを使って枯葉の下の昆虫を探したり、小さな木の実を割って食べたりする。
(野鳥シリーズ42 シジュウカラ )