今朝は、風が吹いてひんやりしていたけど、歩いているうちにポカポカしてきました。 池田香代子さんのTwitterに
ドイツ語が必修だった昔、勉強よりスポーツで有名な大学で非常勤してた時、
1クラスに1~2人は、生まれて初めて勉強は面白い、自分は勉強できる、
と覚醒した感で、顔つきが変わっていく学生がいた。
こういう事があるからみんながゼロからスタートの新修外国語はいいよ。
今はそんなゆとりないのかしら
池田さんのスレッドを読んでほしなぁと思います。
「ゆとり教育」についても書かれています。
そして底辺校と言われる高校で講演した時のエピソードも紹介されています。
昨夜の〝逆転人生「貧困の連鎖を断て!西成高校の挑戦」〟を見ていると
本当の学びとはなんだろうと思いました。
貧困は自己責任だと言われるけど、
貧困から脱け出る手立てを教えることで生徒たちが変わっていく。
大阪の教育行政では、生徒数が少ないと廃校になるようだけど、
教育困難校で生徒と懸命に向かい合っている教師たちがいる。
nhk_EtokuのTwitterに(1月23日)
今夜放送した ETV特集
「エリザベス~この世界に愛を~」は、再放送があります!
1月27日(水)深夜24時(1月28日(木)午前0時)
NHKプラスでも!見逃し配信で視聴できます(1月30日23時まで)
ここで行われていることは、中国でのことではありません。
日本で行われていることです。
「入管収容について国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会の意見を真摯に受け止め、
国際法を遵守するよう求める会長声明」(日本弁護士連合会 202年10月21日)
Eテレのこころの時代~宗教・人生~で「それでも生きる~旧約聖書・コヘレトの言葉」が月1回放送されています。
何度か書いていますが、コヘレトの言葉を最初読んだときは、正直、どう解釈していいのかわかりませんでした。
でも魅力的な書だと思っていました。
小友聡さんと若松英輔さんの対談でより魅力的な書だというのが分りました。
コロナ禍の今、読む価値があると思います。
私の持っている聖書は文語訳と1955年改訳版(1969年出版)です。
初め文語訳を転記していたのですが、第2章を転記し終えて挫折しました(^^ゞ
で、1955年改訳版をしばらく転記したいと思います(何回になるか…?)。
1955年改訳版では「コヘレトの言葉」ではなく「伝道の書」となっています。
番組のテキスト『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」 』には、
特別付録として2018年版の「コヘレトの言葉」が載っています。
1955年版で?と思った時に2018年版を見ています。
伝道の書
第一章
一 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
二 伝道者は言う、
空(くう)の空(くう)、空の空、いっさいは空である。
三 日の下で人が労(ろう)するすべての労苦は、
その身になんの益(えき)があるか。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
四 世(よ)は去(さ)り、世はきたる。
しかし地は永遠に変(かわ)らない。
五 日はいで、日は没(ぼっ)し、
その出(で)た所に急ぎ行く。
六 風は南に吹き、また転(てん)じて、北に向かい、
めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
七 川はみな、海に流れ入る、
しかし海は満(み)ちることがない。
川はその出てきた所にまた帰って行く。
八 すべての事(こと)は人をうみ疲れさせる、
人はこれを言いつくすことができない。
目は見ることに飽(あ)きることがなく、
耳は聞くことに満足することがない。
九 先(さき)にあったことは、また後(のち)にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。
一〇 「見よ、これは新しいものだ」と
言われるものがあるか、
それはわれわれの前にあった世々(よよ)に、
すでにあったものである。
一一 前の者のことは覚(おぼ)えられることがない、
また、きたるべき後(のち)の者のことも、
後(のち)に起る者はこれを覚えることがない。
一二 伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。
一三 わたしは心をつくし、知恵を用(もち)いて、天(あめ)が下に行なわれるすべてのことを尋(たず)ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。
一四 わたしは日の下で行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕(とら)えるようである。一五 曲(まが)ったものは、まっすぐにすることができない、
欠けたものは数えることができない。
一六 わたしは心の中に語(かた)って言った、「わたしは、わたしより先にエルサレムを治(おさ)めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。
一七 わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟(さと)った。
一八 それは知恵が多ければ悩みが多く、
知識を増す者は憂(うれ)いを増すからである。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
今朝の父の一枚です(^^)v
スズメたちがアキニレの実を食べていました。
「スズメ」って何者?
スズメといわれる鳥は、世界に広く分布しています。
ヨーロッパにもいます。
ただし、日本のスズメとちょっと違います。
ヨーロッパの人がスズメというと、イエスズメという別のスズメのことをさします。
イエスズメは、日本にいるスズメと同じように町中の鳥で、英名もそのままハウススパロウ House sparrow (Houseは家、sparrowはスズメという意味です)。
ヨーロッパにも日本にいるスズメはいるのですが、おもしろことに森や少し自然の豊かなところにいます。
名前もツリースパロウ Tree sparrow と呼ばれていて、そのとおり林にいるスズメなのです。
日本では町中にいるスズメが、なぜヨーロッパだと林にいるのか、その理由はよくわかりませんが、イエスズメが町中にいるので、林の方に追いやられているのかもしれません。
(続きはまた別の機会に)
(『スズメの謎 身近な野鳥が減っている!?』三上修 誠文堂新光社 2012年)