2021年1月1日金曜日

今年もよろしくお願いいたします

新しい年があけました。
一日でも早く、安心して暮らせるように願っています。
今朝は、気温が低く、風も冷たかったです。
でも、小さな島国なのに大阪と違って大雪の地域もあります。

大雪 あすにかけて続く見込み 日本海側中心 交通影響に警戒」(NHK)
一瞬の出会いだったのでピントを合わせることができませんでしたが、鷹(オオタカ?)に出会えました。

Eテレ0655が初夢は今日から明日にかけての夢だと教えてくれました。
夢でなく、朝に鷹を見ることができたので、なおさら縁起がいいのかな(^^)v
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【今日の名言】
 すべて真の生とは出合いである。


――マルティン・ブーバー/植田重雄訳『我と汝・対話』「我と汝」

この本、気になる!
グレーテルのかまど「室生犀星のようかん」で犀星のことが紹介されていました。
番組の最後に紹介された詩

 猫のうた

やさしい人についてまはる、
きびしい人にはつかない、
いつもねむつてゐながら
はんぶん眼をひらいて人を見てゐる。


手元にある自選詩集には

 愛猫

抱かれてねむり落ちしは
なやめる猫のひるすぎ
ややありて金のひとみをひらき
ものうげに散りゆくものを映したり
葉のおもてにはひかりなく
おうしいつくし 法師蟬
気みぢかに啼き立つる賑
(にぎ)はしさも
はたとばかりに止みたり
抱ける猫をそと置けば
なやみに堪えずふところにかへりて
いとも静かにまた眠りゆく

(『室生犀星詩集』室生犀星自選 岩波書店 1983年)
お正月なのでぼやくのは止めて(ぼやきの種はいくらでもありますが(^^ゞ…)
心温まる民話を紹介したいと思います。
転記しながら目が霞みました
この本の挿絵も素晴らしいので本を手に取ってみてください。
(「岩波少年文庫創刊70年」岩波書店)
 王さまの旅

 たいそうなさけぶかい、王さまがありました。
王さまは、ながいこと位(くらい)についていましたが、だんだん年をとったので、そろそろ、王子に位をゆずろうと、考えました。
それにつけても、いままで、じぶんの治(おさ)めていた国が、ほんとうに、しあわせかどうか、貧しさや、心のなげきのために、泣いているものが、まだまだ、たくさんいるのではないかと、そのことが、いつも気にかかってなりませんでした。
(『ネギをうえた人―朝鮮民話選―』編:金素雲(キムソウン)、挿絵:金義煥(キムウイファン) 岩波少年文庫 2001年新版)
 「都(みやこ)にばかりいては、ほんとうのことはわからない。じぶんは、よい王であったか、どうか、それを知るには、じぶんの目で、じぶんの治めている国を、見てまわるにかぎる。」
 これが王さまの、考えでありました。
 王さまは、ごく身近なけらいを、ひとりだけつれて、都をたちました。
 王さまが、旅に出たことは、そばにつかえているけらいたちのほかは、だれも知らないことでした。
けらいたちは、王さまの口から、かたく口どめされていました。
それで、だれにも、そのことは、もらしませんでした。
 王さまは、けらいとふたりして、国じゅうをまわりました。
どこかのごいんきょさんのような、なりをしていましたから、それが王さまのおしのびとは、よもや気のつくものがありませんでした。
 よいことにも、わるいことにも、出あいました。
 あるところでは、じぶんと同じ年で、生まれた月日まですこしもちがわない、年寄りにあいました。
王さまは、その老人と仲よしになりました。
老人は田舎(いなか)で、たくさんのハチを飼っておりました。
 「どのくらいありますかね。」
 と、王さまがハチのかずをたずねますと、
 「さあ、十万はありましょうな。」
 と、老人が答えました。
  同じ月、同じ日に生まれた、この老人と、じぶんを、王さまは心の中で、くらべてみました。
 田舎で生れて、十万匹のハチの王さまとなることも、わるくない。
いや、ことによると、この老人のほうが、じぶんよりは、はるかにしあわせな、よい王さまかもしれない――。
そんなことも考えました。
 さて、ある村へだどり着いて、王さまは、一夜(いちや)をすごすことになりました。
月のよい、しずかな晩でした。
 けらいを宿(やど)にのこしたまま、王さまはひとりで、夜ふけの街をあるきました。
そういうときに、王さまは、いままで見聞きした旅のできごとを、もう一ど心の中で、吟味(ぎんみ)してみるのでした。
 ふと、王さまは、ひくい、かすかな歌声を、耳にとめました。
その歌声は、かたむきかけた、一軒(けん)の草ぶき家(や)から、もれていました。
 寝しずまった、ま夜中に、その家だけ灯(ひ)をつけていました。
王さまは、歌声にさそわれて、窓の下に身をよせると、すきまから、なにげなく中をのぞきました。
 ほのぐらい灯(ひ)の光に、ふしぎなありさまが、うつしだされました。
 ごちそうのいっぱいならんだ、お膳(ぜん)の前で、六十ばかりの、おかあさんと思われる年寄りが、涙をながしておりました。
 そのそばで、手ぬぐいをかぶった若い女が、舞(まい)をまい、男がひとり、ひくい、しずかな声で、歌をうたっておりました。
そのうえ、男は、たもとの広い麻(あさ)の喪服を着ていました。
 親に死なれた人は、顔の見えない大笠(おおがさ)をかぶり、麻の喪服を身につけて、三年忌(さんねんき)をすごすのがならわしです。
それで、歌をうたっている男も、喪中(もちゅう)の人だとわかりました。
 王さまには、どうにも、がてんがいきませんでした。
しばらくためらったうえで、とうとう、王さまは、その家へはいっていきました。
 中の三人は、びっくりしましたが、王さまは、夜中におとずれたことの、おわびをいって、
 「どんなわけがあるのか、さしつけなくば聞かせてほしい。」
 と、たのみました。
 喪服の男は、いかにも困ったように、うつむいて、だまっておりました。
すると、年寄りが、涙をふきながらいいました。
 「旅のお方がせっかくのおたずね、この場のようすをごらんになっては、ふしぎに思われるのも無理ではありませぬ。じつは、こういうわけでございます。」
 年寄りの話によると、喪服の人は、むすこで、舞をまったのは、その人の妻でした。
もともと貧しい暮らしのうえに、長いわずらいのあとで、父親がなくなりました。
若い夫婦は、心をあわせて、ふた親に孝行をつくしましたが、父親のなくなったあとは、いっそう、おかあさんをたいせつにしました。
 母親が六十一になりました。
六十一のおたんじょうは、還暦といって、年寄りにとっては、またとないよろこびの日です。
物もちの家ならば、大きな牛を、まるまる一匹つかうほどの、にぎやかなお祝いがあるのですが、貧しい夫婦には一斤(きん)の肉を買うことさえ、ままなりません。
 思いあまって、若いよめは、じぶんの髪の毛を切り落としました。
それを、かもじやに売って、しゅとめのために、ごちそうのお膳を作ったのです。
 わずかなごちそうでは、人をよぶこともできません。
昼まは人目(ひとめ)があるというので、わざわざ、人の寝しずまった夜、心ばかりのお祝いがひらかれたのでした。
手ぬぐいをかぶって、しゅうとめの目をつくろいましたけれど、どうしてそのお膳ができたかを、年寄りは知っておりました。
 年寄りの口にあう、すきなごちそうがありました。
けれど、年寄りは、そのごちそうがのどをとおりません。
お膳の前で泣いている母親をなぐさめようとて、よめは舞をまいました。
むすこはそれに合わせて、歌をうたっていたのです。
 そこまで話すと、年寄りは、またも声をしのんで泣きました。
そして、とぎれとぎれのことばでいいました。
 「おはずかしいことを、お耳にいれました。なにごとも、この場かぎりにどうぞ忘れてやってください。」
 王さまは、胸のせまる思いに、しばらくは、なぐさめのことばもありませんでした。
喪服のむすこをかえりみて、王さまはたずねました。
 「ときに、あなたは、どういう学問をなされたかな。」
 「はい、四書五経(ししょごきょう*)を、ひととおりは、ひもときました。」
 むすこは、つつましく答えました。
 「それでは、なぜ科挙(かきょ)を、受けなさらんのじゃ。」
 「のぞんではおりますものの、母を養(やしな)わなければならぬ身で、それも思うにまかせませぬ。都までは、遠い道のりです。一どや二ど出ましても、わたくしのような身分では、なかなか、むずかしいと聞いておりますので――」
 むすこはそういって、口ごもりました。
 科挙というのは、王さまのおひざもとで、何年めかに一どずつ、ひらかれる試験のことです。
この試験にとおったものは、位(くらい)をさずけられ、重い役目につくようになっていました。
けれども、千人にひとり、とおるかどうかという、むずかしい試験です。
だれでも及第(きゅうだい)するというわけにはいきませんでした。
  王さまは、その喪服のむすこを、改(あらた)めてしげしげとながめました。
(きよ)い、澄(す)んだ心が、顔かたちにもあらわれておりました。
貧しさににごらぬ、すっきりとした眉(まゆ)が、いっそうそのむすこを、たのもしく見せました。
 「そうそう、なんでも今年の暮に、都では、また科挙がひらかれるそうな。ぜひ、こんどは、あんたも出てみられるがよい。」
 王さまは、そういって、手もとから、何まいかの銀をとりだしました。
そして、
 「これは、老人のこころざし、すくないが、科挙の入り用に役だててくだされ。」
 と、辞退(じたい)するのを、無理やりに、手に取らせて、その家を出ました。
 秋がおわると、王さまは都へもどりました。
もどるとすぐに科挙をひらくように、命令しました。
 にわかのおふれに、人びとはふしんがりましたが、それよりもっとおどろいたのは、試験の題です。
いよいよその日になって、試験の場所に、はりだされたのは、
 〔喪歌僧舞老人歎(そうかそうぶろうじんたん)。〕
 の七文字(しちもじ)でした。
 「喪(も)の人はうたい、坊主(ぼうず)あたまの人は舞い、老人は泣く。」
 こんなふしぎな文句(もんく)は、千巻(せんがん)の本を読んだ人にも、のみこめません。
われこそはと、はせつけた何千という学問じまんの人たちも、この、なぞのような試験の題には、さじを投げて引きさがりました。
 その中で、ただひとり、みごとにこの題を解(と)いた人がありました。
それが喪服のむすこであることは、いうまでもありません。
もともと、学問があるうえに、じぶんのことが題にだされているのです。
さては、あの老人が、王さまであったのかと、むすこは、いまさらのように、ふかいなさけに泣きむせんで、一生一代(いっしょういちだい)のりっぱな文章を書きあげたのでした。
 解いたのもひとり、位をさずけられたのもただひとりです。
しあわせな実をむすんだ貧しい夫婦の真心(まごころ)は、やがて世間(せけん)に知れわたって、王さまのりっぱななさけとともに、人びとの語りぐさになりました。
四書五経――むかし、中国の聖人の孔子がはじめた儒教という学問の、一ばんたいせつな本で、四書というのは、大学、中庸(ちゅうよう)、論語、孟子の四冊、五経というのは、易経(えききょう)、書経(しょきょう)、詩経(しきょう)、春秋(しゅんじゅう)、礼記(らいき)という五冊です。
このお話のあったころの人たちは、みんなこれを勉強していたのです。
(『ネギをうえた人―朝鮮民話選―』編:金素雲(キムソウン)、挿絵:金義煥(キムウイファン) 岩波少年文庫 2001年新版)
今朝の父の一枚です(^^)v
出かける間におせちをいただきながら、この公園があるから楽しんで歩くことができる。
ここがなかったら淀川の河川敷を歩くしかないと話していました。
河川敷だと木陰がないので夏の暑い時期は歩けません。