2020年1月8日水曜日

梅が咲き出した(^^♪

朝は、大雨予報のメールが届き、風まじりの大雨
父を内科に車で送った後、眼科を受診。
今日から学校が始まっていて雨だったのためか
2番目に診察を受けることができました。
帰宅後、父が戻ってきたので買物に出かけました。
午後からリハビリ散歩に出かけると強風…
そんな中でも散歩コースの2カ所で梅が一輪ずつ咲いていました(^^♪
障害者殺傷事件 被告 殺害など認めるも法廷で暴れる」(NHK)
被告人の責任能力が問われていますが、
被告人にどのような動機・背景があって犯行に及んだのか
また、当初、罪の意識を感じさせないような発言をしていたのは何故かなど
解明してほしい点がいくつかあります。
Eテレ趣味どきっ! 神社めぐり の第5回「日本橋七福神めぐり【商売繁盛】」で
七福神の中で唯一日本の神様として恵比寿様のことを紹介していましたね。
(再放送が1月14日火曜日午前11時30分~ )
以前、紹介した文ですが、再度、転記しますφ(..)
エビス
 エビス(夷、恵比須)は、日本固有の生業の守護神に起源する神といわれ、コトシロヌシノカミ、蛭子(ひるこ)と習合して普及した。
(『日本宗教事典』村上重良 講談社学術文庫 1988年)
 エビスの名は、異国人の意味で、エビスが外から訪れる神とされたことに由来する。
エビスが山の神、田の神と習合した例もあるが、とくに漁民との結びつきが深く、豊漁の神であるとともに、海中から出現する神、漂着する神として信仰された。
クジラ、サメ、イルカをエビスとよんだり、釣具の浮子や身元不明の水死者をエビスとよぶ地域が全国的に分布しているのも、エビスの複合的な性格を示すものであろう。
 エビスの信仰は、海辺の漁村から内陸に及び、畿内では摂津国の広田社の末社夷(えびす)社が西宮社に発展し、エビス信仰の中心となった。
室町時代には、エビスは現世利益神、福神として信仰されるようになった。
漁業の神にふさわしく、タイを抱えて釣竿を手にしたエビス顔の神像も、室町時代に定型化された。
手工業と商業がめざましく発展し、日明貿易が活発化した室町時代には、都市を中心に福神信仰が流行し、エビスと大黒天(大黒)を一対の福神とする信仰が普及した。
 エビス、大黒の信仰は、民間では大黒の札を配り、大黒舞を持ち歩いた遊行の芸能集団と、陰陽師系の遊芸であるエビスまわしの活動によって普及し、家にエビス・大黒をまつる風習が一般化した。
家屋の主柱を大黒柱とよぶのも、柱にエビス・大黒を祀ったことから来ている。
江戸時代以降、エビスは商業の神として都市で信仰されるようになり、商家では、正月または十月の二十日にエビス講をひらいてエビスをまつる風習がさかんになった。
(『日本宗教事典』村上重良 講談社学術文庫 1988年)
記紀の中で伊邪那岐命と伊邪那美命から最初に生れる子どもが水蛭子(ひるこ)・蛭子(ひるこ)です。
《新潮日本古典集成》古事記』より「水蛭子」について転記しますφ(..)
水蛭子(ひるこ)
名義は「水蛭(ひる)のような手足の萎(な)えた不具の子」。
「ひる」は「痿痺、比留無夜末比(ひるむやまひ)」(和名抄<わみょうしょう>)「痿、ヒルム」(名義<みょうぎ>抄)とあるように「委縮する」の意の「ひるむ」の語幹で、「水蛭」は虫の名となったもの。
神代紀上には「次に蛭児(ひるこ)を生む。已(すで)に三歳(みとせ)になるまで、脚(あし)(なほ)し立たず」とある。
(『《新潮日本古典集成》古事記』西宮一民 新潮社 昭和54年)
活動はなく、「葦船(あしぶね)に入れて流し去(う)てき」とあり、流し捨てられてしまう。
結婚において、女が男より先に発言したため水蛭子(ひるこ)が生れたとある。
男から女に声をかける習俗があったのに反したからである。
古代習俗は禁忌(タブー)と呪術(マナ)とで倫理が構成される。
禁忌(タブー)を犯すことは邪悪となり、その邪悪の形象として水蛭子が生れる。
だから水蛭子(邪悪)を遺棄する。
葦船に入れたのは、葦は邪気を払う呪力(じゅりょく)があると信じられたからである(「宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神」の項参照。「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みづほ)の国」の「葦」も同じ)。
この呪力を行使するのが呪術(マナ)である。
神代紀上に「天磐櫲樟船(あめのいはくすぶね)に載せて、風の順(まにま)に放ち棄(す)つ」とあるのも、防虫剤の樟脳(しょうのう)を採る樟(くすのき)で邪気を払う木である。
これに入れて水に流し棄てるとは、邪気を払う乗物に乗って水を渡ることによって霊魂の新生を獲得するという信仰に基づいた誕生儀礼とみられる。
続く「淡島(あはしま)」も「淡(あわ)め(軽蔑し)憎む島」の意と解されているが、「薄い頼りない島」の意ではなかろうか。
このように、最初に出来損いの子を生む創成神話は世界に例が多い。
そして、それが兄妹相姦の結果である場合もあって、伊耶那岐(いざなき)命と伊耶那美(いざなみ)命との結婚もそれだとみる説がある。
しかし、岐・美二神が兄妹であったとは記紀には記していないし、また水蛭子の誕生の理由も相姦ではなかった。
記紀の文脈を離れて世界神話の類型によって理解する方法は可能であっても、岐・美二神結婚の背景に近親相姦を想定させるものはない。
一方、神代紀上に「大日孁貴(おほひるめのむち)」(天照大御神の別名)とあるので、それに対する「日子(ひるこ)」だとし、これが流されるのは女尊男卑で母系制の名残りとみる説がある。
「ひるこ」を「日子(ひるこ)」とみるのはよいが、「男性の太陽」の意ではなく「日(ひる<太陽>の子(こ)」とみるべきで、日神の子が船で海を漂流するという信仰や、日神の象徴を船で送迎する民俗もあり、「空(うつ)ほ船」説話(貴種漂流譚<たん>)も古くからある。
したがって、記紀の文脈を離れるなら、「日(ひる)の子(こ)」の意に解すべきものと考える。
このように、元来太陽信仰に基づく「日子(ひるこ)」であったものが、田の作業において血を吸う「水蛭(ひる)」に付加されて記紀の説話になったものである。
一方「蛭子」の文字が「えびす」と読まれるのは、貴種漂流譚の流れであって、貴人の子が諸国を漂流し、艱難辛苦の末、ある国に迎えられて成功するというように、他国(えびす)から到来する客神としてもてなしたことによる。
この神を始祖とする氏族はない。
 水蛭子(記上) 蛭子(児)(紀、神代上)
(『《新潮日本古典集成》古事記』西宮一民 新潮社 昭和54年)