曇り空のようで、途中で青空が見えたり、ポツポツと雨が降ったり…
変な天気ですが、昨夜から体調も変なのでどうしようかなと思ったけど
少しだけ気分を変えるのに歩きました。
午後から少し楽になり、本屋に行って本を探していました。
ETV特集「すべての人々に尊厳を~緒方貞子が遺(のこ)したもの~」
を見ていて、緒方貞子さんはカッコいい人だなと改めて思いました。
久し振りに国谷裕子さんを見ることができました!(^^)!
国谷さんがEテレの番組に出演されているのを見て、
Eテレのスタッフは気骨があるよなぁと思う。
(再放送は23日木曜日午前0時~、22日の深夜)
100分de名著「呉兢 貞観政要 第3回 チームの力を鍛える」も見ごたえがあった。
二つの番組とも今の日本に何が必要なのか、ヒントを与えてくれています。
緒方貞子さんの番組の後半で中村哲さんのことも話をされていました。
中村さんの活動について
「広がりを支援するのが人間の安全保障」であるといこと
「包括的」な活動には終りがないということも話題になっていました。
月刊誌『世界 2月号』に澤地久枝さんの追悼文が掲載されていました。
その最後の方を転記しますが、
いつから中村さんが「日の丸とJAPAN」の文字を消さなければならなくなったのか…
(「痛哭の記 中村哲医師のこと」澤地久枝より)
…前略…
アフガンの人たちの一部は、異国軍の暴力に対して、テロ行為による報復をおこなった。
ソ連軍に対して、米英軍兵士に対して、あるいは異国軍の加担者であるとみなした人たちに対して。
厄除けめいて日の丸を車のボディに描いてきた医師は、日の丸が危険防止の方法たり得ない状況に立ちいったとき、日の丸とJAPANの文字を消した。…略…
(『世界 2020年2月号』岩波書店)
昨日の記事で波平恵美子さんの『ケガレ』を紹介しましたが、
宮田登さんの『ケガレの民俗誌 差別の文化的要因』にこんな一文があります。
(「Ⅲ 性差別の原理 三 成女の期待」より)
月経に対する本来の感覚には、有名な神話上のヤマトタケルとミヤズヒメの説話にみられるように、「不浄」とする観点はなかったはずである。
のちに『延喜式』では、月経を「一身の穢」と表現しているのだから、他に伝染する死の穢れとちがっている。
また「赤汗」という表現もとられており、一身から出る汗のように生理作用という理解もあった。
「凡神事ニハ血ヲ忌ム、血ノ出ル間は忌ムベシ」(『神祇道服忌令』)という、流血そのものが禁忌の対象となったとすれば、大量の血が流出する現象が本来の穢れということになろう。
神社神道の確立にしたがい、産穢(さんえ)の規定も中世の『諸社禁忌』などではかなり厳しくなり、『延喜式』の段階よりも厳重になっている。……
(『ケガレの民俗誌 差別の文化的要因』宮田登 ちくま学芸文庫 2010年)
『日本文学全集01 古事記』から現代語訳を、『《新潮日本古典集成》古事記』より注記の一部を転記しますφ(..)
なお『日本書紀』には「宮簀媛(みやすひめ)をめとって、長く留まられた」という記述で終わっています。
ヤマトタケルの死
そこから科野(しなの)へ抜け、科野の坂の神を服従させて、尾張の国まで戻り、先に約束しておいた美夜受比売(ミヤズヒメ)のところに到着した。
食事の時にミヤズヒメが大きな盃(さかずき)に酒を満たして差し上げた。
この時、襲(おすい)の裾に生理の血がついていた。
(『日本文学全集01 古事記』池澤夏樹訳 河出書房新社 2014年)
ヤマトタケルがそれを見て歌うようには――
ひさかたの 天(あめ)の香具山(かぐやま)
とかまに さ渡る鵠(くび)
弱細(ひはぼそ) 手弱腕(たわやかひな)を
枕(ま)かむとは 我(あれ)はすれど
さ寝(ね)むとは 我(あれ)は思へど
汝(な)が著(け)せる 襲(おすひ)の裾(すそ)に 月立ちにけり
(ひさかたの)天の香具山を鎌のように細い白鳥が渡ってゆく。
その白鳥の首のようにしなやかでなよなよとした腕のきみと
枕を共にしようとしたら、抱いて寝ようとしたら、
きみが着ている服の裾に月が昇った。
これに対してミヤズヒメが答えて歌うには――
高光(たかひか)る 日の御子(みこ)
やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)
あらたまの 年が来経(きふ)れば
あらたまの 月は来経往(きへゆ)く
諾(うべ)な諾な 君待ち難(がた)に
我が著(け)せる 襲(おすひ)の裾に 月立たなむよ
(高光る)太陽の御子、(やすみしし)私の高貴な方。
(あらたまの)年が来るように、
(あらたまの)月は去ります。
仰(おっしゃ)るとおり、あなたを待ちくれなくて、
私の服の裾に月が昇りもしましょうよ。
と歌った。
その夜二人で共に寝て、大事な刀である草薙の剣をミヤズヒメのところに置いたまま、伊服峡(いぶきの)山の神を討ち取りに行った。
(『日本文学全集01 古事記』池澤夏樹訳 河出書房新社 2014年)
・倭健命が美夜受比売と共寝をしようと思うけれど、月経中なのが、うらめしいと詠んだのに対して、比売は、長い間あなたを待ちかね月経が現れたのも当然ですよと応酬した。
・歌の応酬にもかかわらず「かれしかして」で承(う)け、直ちに「御合ひまして」と続けている。
一般に月経中の女性は、巫女として神に召された身であるから不可触の禁忌があった。
しかるに月経中の比売が倭健命に献饌(けんせん)し、命(みこと)と結婚したのは、命を神として遇したことを意味する。
この場合の「御合ひ」は、神と巫女との「一夜婚」(祭儀の後、神人が巫女と一夜共寝をすること)の性格をもつ。
歌では、国見儀礼の聖山(天の香具山)が点出され、穀霊の表象「鵠(くび)」(白鳥)が素材となり、命は「日の御子」「わが大君」と天皇の資格で呼ばれている。
とすると、国覓(くにま)ぎから聖婚へ、という順序で、歌と地の文は自然な形で連続しているわけである。
(『《新潮日本古典集成》古事記』西宮一民 新潮社 昭和54年)