2020年1月30日木曜日

久し振りに…

今朝は、天気のことを気にせずに歩けました(^^)v
新型肺炎『国内でも人から人への感染起きている』厚労省が見解」(NHK)
次々に入ってくるニュースを見ていると不安になりますね…
私の心臓機能は上半分(左右心房)が壊死して動かないので感染すれば、回復できないだろうなと思っています。
このように感染症が人々を恐怖に陥れる状況は、今までにも何度も起きています。
現代の感染症』は、1997年に出版された本ですが、
はじめに」と「おわりに」を読み返すと、まさに今の状況だなと思いました。
この本の著者のお一人が故相川正道氏です。
相川正道氏の功績を記念して「相川正道賞」(日本熱帯医学会)が2012年に創設されています。
  はじめに

 サルファ剤や抗生物質などの治療薬の発見、およびワクチンの開発によって、日本をはじめ先進諸国では感染症をほぼ克服できたように思っていました。
しかし、開発途上国ではいまでも感染症による多数の犠牲者が出ています。
一例をあげれば、マラリアだけでも日本の年間出生者数の2倍以上にあたる約250万人が全世界で死亡しています。
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年)
 日本では、お茶の間にいながら、地球の裏側でおきたできごとさえも瞬時に知ることができます。
湾岸戦争では、バクダッドの軍事目標に打ちこまれるミサイルが実況中継されました。
3年後の1994年、「人食いバクテリア」の報道が各国を飛びかいました。
95年にはエボラ出血熱がアフリカ・ザイールで集団発生し、多くのヒトが亡くなりました。
死亡率の高い、聞いたこともない感染症の出現に、世界中が恐怖のどん底におちいりました。
同じく95年、イギリスでウシの狂牛病から感染したと思われる新型クロイツフェルト・ヤコブ病が出現しました。
世界はパニックになり、牛肉やハンバーガーの売り上げが落ちました。
情報がいち早くもたらされるかわりに、その情報に振りまわされているように思えてなりません。
 衛生的で安全だと思われていた日本でも、いろいろな感染症の集団発生が新聞などをにぎわしています。
96年だけにかぎっても、病原性大腸菌O157の学校給食をつうじた集団的大発生、クリプトスポリジウム原虫による町営水道汚染、レジオネラ菌の院内感染など、数えあげればきりがありません。
 「検査・診断技術がすすんだので発見された」「病原体がその性質を変化させて集団発生がおきた」「日本人の病気にたいする抵抗力が低下した」「いや、細菌テロだ」などいろいろといわれていますが、じっさいはどうなのでしょうか。
ともすれば日本人は「喉元(のどもと)過ぎれば……」の感がありますが、どうしてこれら感染症が発生したのか、またなぜ集団発生し、大量の死者が出たのかの原因をいま教訓にしておかないと、これからまた新たな感染症の出現に対処できないと思います。
 人類は400万年前の誕生以来、数々の感染症とたたかってきました。
中世のヨーロッパでは、たった4~5年で人口の三分の一がペストで死亡し、人口が増えるたびにペストが襲い、もとの人口にもどるまでに300年を要しました。
ペストだけではありません。
人口が増えてくると、そのたびにいろいろな感染症がヨーロッパを襲いました。
チフス、マラリアなどです。
 その後、人類は知恵によって感染症による死亡者数を激減させることに成功しました。
それ以外にも、感染症そのものを理解しようと努めてきました。
病原微生物や媒介者の発見、感染様式の特定、疫学的な解析などです。
先人たちの成果によって、感染症による犠牲者を減少させ、今日の20世紀の繁栄をもたらすことができたのです。
 人類が感染症とたたかい、地球上から撲滅できたのはただひとつ、天然痘(てんねんとう)だけです。
多くの感染症は先進国からなくなりましたが、開発途上国にはまだ残っているのです。
この20年間に約30種類の、いままで知られていない新しい感染症が私たちの前に出現しました。
従来からあった感染症も、時と場所あるいは姿や形を変えて、そして性質をより凶暴にして、新たな感染症としてあらわれてきています。
 これら新興感染症と再興感染症の流行は、人類の文明にたいする挑戦だと思います。
その挑戦は人類の「おごり」にたいするものであり、人類の行動に警告を発しているのです。
人類を滅亡に追いこむ因子といっても過言でないかもしれません。
感染症とのたたかいに勝たなければ、文明の終わり、すなわち人類の滅亡を意味するからです。
感染症とたたかうということは、病原体を知り、病原体のまきかえしに備え、いかに感染症による犠牲者を少なくするかということです。
 いっぽう、現代の医療技術は心筋梗塞やリウマチなどの古くから知られていた病気に新しい病原体が関与していることをあばきつつあります。
プリオン病など、病原体による感染といえない感染症も出現しました。
いま、感染症にたいする再認識が必要となってきています。
 本書は、このような観点から感染症を把握しようと書きはじめました。
感染症にかからないためには、どうするべきかを考えてみようと思いました。
(後略)
  おわりに

 1996年には「感染症」に関する本が多数刊行されました。
この年に集団発生した病原性大腸菌O157関連だけにかぎっても、数十冊はあるでしょう。
 本書も、話題となっている寄生虫、細菌、ウイルスによる感染症をテーマにしました。
しかし、感染症の一つ一つを羅列し解説すのではなく、その感染症が多発する原因と犠牲者を少なくするための方法を探ろうと努力しました。
その結果、病原体が一人歩きして人類にたいして勝手に「反撃」「叛乱」や「逆襲」をしているのではなく、むしろ、人類の行為に反応しているのではないかと実感するようになりました。
 私たちはあまりにも現代文明に依存しきっていて、その生活は「開きすぎた扉」の状態にあり、感染症にたいしてあまりにも不用心になっているようです。
その不用心さが感染症の多発を招いているように思えてなりません。
本書でしめした新興感染症と再興感染症の出現は、現代人の行動にたいして再考を促していると思います。
 人類は天然痘を撲滅させました。
いまや、病原体という生物種を急速に抹殺する時期は終わり、病原体と共存しながら、犠牲者を少なくし、徐々に病原体を追いつめていく時期であると思います。
そのためには、感染症を充分に理解し、予防的先手を打ち、ことがおこったときは臨機応変に対処していくことが大切です。
そのようにすれば、大部分の感染症はそんなに恐れるものではないと思われます。
 さらに、個人の「自分以外はどうでもいい」という考え方を捨て、国家や組織の利害や枠をこえて、それも国際的な視野に立って、市民をふくめて関係諸機関の密接な関係と迅速な感染症への対応によってこそ、感染症に打ち勝つことができると思います。
(…略…)
  1997年3月 相川正道
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年)
今朝の父の一枚です(^^)v
白梅にやってきたメジロを写していました。
Kazeも他の場所でメジロに会って撮影したのですが、ピンボケになってしまいました(^-^;