2020年1月7日火曜日

予報よりも早く…

予報では10時頃から雨でしたが、8時頃からポツポツ…
雨の予報だったので望遠を諦めて50㎜マクロ(MF)での撮影にしました。
画像はホトケノザ(シソ科)なんですが、とぼけた顔をしているのは
春の七草の「ほとけのざ」の座をコオニタビラコ(キク科)から奪ったからかな(^_-)
1月7日
  白馬あおうま 青馬とも書くの節会(せちえ)・七草
 この日、宮中では天皇が紫宸殿(ししんでん)に出かけ、左右の馬寮(めりょう)からひきだしてきた二一匹の白馬を見、群臣とともに宴会をひらくのが、古代からの恒例であった。
『万葉集』には、大伴家持(おおとものやかもち)

  水鳥の鴨羽(かもは)の色の青馬を
      今日見る人は限りなしといふ


という歌がある。
年の初めに白馬を見ると、邪気がはらわれるといわれた。
 また、この日は、七草がゆを食べると万病なしといわれ、それを食べて祝う風習は広く行われた。
清少納言の『枕草子』にも「七日の若菜」とある。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
134 七日の若菜を
 正月七日の若菜(わかな)を、人が六日に大騒ぎしてやたらに取りなどする折に、見も知らない草を、子どもたちが持って来ているのを、「なんと、この草の名を言うの」とたずねる。
子どもたちは急にも答えないで、「さあ」などと、あれこれお互いに顔を見合わせて、「耳無草(みみなぐさ)と言う」と言う者がいるで、「なるほどそうだったのね。聞かない顔をしているのは」などと笑ったところ、また愛らしげな菊の生(は)え出てきているのを持って来たので、

  つめどなほ耳無草こそつれなけれあまたしあれば菊もまじれり
(いくら摘んでも―つねっても―やはり耳無草同様の耳無し子はそ知らぬ顔をしていることだ。けれど、草はたくさあるように子どもは大勢いるので、中には名をきくことのある菊のように、わたしの言うことを聞く子もまじっていることよ)

と言いたいのだけれど、子どもたちにはわかりそうもない。

(「きく」と「聞く」に脇点「、、」。なお三巻本では「131」)
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
ツバキから蜜が流れでていました(これほどあふれ出すのは少ないと思うのですが)。
この蜜を目当てにメジロなどがやってきます。
鳥媒花は鳥たちに蜜を与え、メジロたちは代りに花粉を運んであげるのです。
もちろん意識的にはしていませんが…(^_-)-☆
冬に咲く花 ツバキ の謎」(日テレ)
一方、人間の社会でも“甘い蜜”に群がるものがいます。
メジロと違うのは“甘い蜜”に群がるのは、
社会への貢献ではなく自分たちの欲のため!
一連の報道を見ていると何故、カジノ法案採決が強行されたのかがわかる気がします。
収賄容疑で逮捕の秋元衆院議員 「一切身に覚えがない」と否認〟(NHK 2019年12月25日)
下地幹郎衆院議員 中国企業元顧問から100万円受領認める」(NHK 1月6日)
吉村仁さんの『強い者は生き残れない――環境から考える新しい進化論』から「宝くじ売り場の錯覚」を転記したくなりましたφ(..)
宝くじ売り場の錯覚
 過去の行動より将来予測が大きくゆがめられる例がギャンブラーの行動によく見られる。
ギャンブラーは「負け」が何十回も続くと、次は「勝つ」と思って続行し「損」を積み重ねる。
たとえば負けが99回続いたとすると、「100回目も負けが続くことはめったにない、だから次は勝つだろう」という思考をする。
このギャンブルの「次は勝つ」も過去の結果に惑わされた「コンコルドの誤謬」に似た現象である。
(『強い者は生き残れない――環境から考える新しい進化論
  吉村仁 新潮社 2009年)
(「コンコルドの誤謬」は前節で述べられています)
 この場合、過去の事例は関係なく、例えば、ルーレットで赤か黒かといえば、確率は常に二分の一で変わらない。
実は大きく張って99回負け続けたとすると、次の可能性は逆に負ける可能性が高くなる。
というのは、本来99回も負けが続くのがおかしいからである。
こうした場合、何らかの作為(インチキ)が行われている可能性が高い。
そして、もしインチキであるなら、次も負ける可能性が大であろう。
どちらにしても、もしギャンブルをするなら、採算ベースから考えて、決まった金額をすったら、その時点で止めるべきだ。
 何年か前、国際会議に参加するためオーストラリアに行った時、スロットマシーンでおもしろい体験をした。
自分たちが宿泊している国際会議場のホテルにカジノが併設されていた。
同僚の先生や学生たちがスロットマシーンで遊んでいるのを後ろから観察していて、以下のようなことに気がついた。
スロットマシーンで、当りが出ると、さらに追加ベット(賭けの続行)をするか聞いてくる。
この追加ベットは、トランプの赤黒を選択する単純な二者択一である。
赤黒どちらにするか決めた後で、マシンを回すので二分の一の確率かと思うが、実はそうではない。
選んだ色の出る確率をずっと下げているのである。
特に、はじめの当りが大きいときは、その追加ベットの確率はどうも十分の一くらいになっているようである。
二者択一で選んだ後からスロットを引くのだから二分の一であるべきだが、これは後だしジャンケンと同じである。
少しは遊ぼうと思ったが、この結果を見ていてギャンブルをする気がまったく失せてしまい結局1ドルも使わなかった。
 宝くじも同じように、巷間(こうかん)で信じられているウソがある。
1億円など高額の当りくじのよく出る店は当たりやすいと、多くの人が信じている。
店も、「この売り場で1億円クジが出ています」と派手な幟を立てている。
これは、宝くじの発売日に、そのような当りの出た店に長蛇の列が出来ることからもよく分かる。
友だちに確率論の先生がいるが、彼がテレビなどのインタビューで、しばしばこのことを聞かれる。
 インタビューアー「当りのたくさん出た店は、当りやすいですよね?」
 先生「そうです。当りやすいです」

 放送では、いつも、ここでカットされてしまうという。
ところが、このインタビューは以下のように続くのだ。

 先生「もちろん、ひとつのくじが当る確率はどこで買おうと同じです。当る店は、当らない店の何万倍もたくさんくじを売っていますから、当りがよく出るのは当然です」
 冷静に考えてみれば、当たり前のことだ。
しかし、都合よく解釈したくなるのが、人の常。
宝くじの誤謬は、当りを引きたいという話だったが、次のモンシロチョウは、「ババ」を引きたくないという、モンシロチョウにとって切実な問題である。
(『強い者は生き残れない――環境から考える新しい進化論
  吉村仁 新潮社 2009年)
平成26年3月2日にEテレ「こころの時代~宗教・人生~」で放送された
〝平安の祈り〟を求めて」で檀ふみさんが聞き手となり
帚木蓬生さんがギャンブル依存症について語っていました。
その中で「日本は恐ろしい国になるんでしょうね たぶん」と話されています。
この番組のテープ起こしをしてくださっているサイトがあります。
こころの時代へようこそ 639