午前中は父の歯科通院に付き添ったので
今日も午後からやってきました。
朝の内は天気がよかったのにお昼頃は今にも降り出しそうでした。
1月15日は小正月。
7日は七草粥で、15日は小豆粥を食べるのですが、
(「正月行事 小豆粥・ 成木責なりきぜめ」亀山市史)
そのついでに?お楽しみがあるようです(^_-)-☆
この時のようすが『枕草子』に書かれていますφ(..)
第3段
正月一日は…(省略)
十五日は、餅がゆ(*1)のお食事(*2)を主上(しゅじょう)に差しあげ、一方、貴族の家では、かゆの木(*3)を隠して、一族の姫君たちや若い女房がうかがっているのを、打たれまいと用心して、いつも後ろに心を配っている様子もおもしろいのに、いったいどうしてやったものだったのであろうか、うまく打ち当てているのは、とてもおもしろいと、みなで笑っているのも、たいへん引きたって華やかな感じがする。
してやられてくやしいと打たれた人が思っているのも、もっともである。
(*1)正月十五日望(もち)の日に七種の穀物の粥を食べて邪気を払う。
(*2)節日に奉る供御(食事)。
(*3)粥を煮た焚木(たきぎ)を削った物で腰を打つと男児を懐妊するという。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
去年から新しく姫君の家に通(かよ)うようになった婿(むこ)の君などが、そのお邸から宮中へ参内する時刻なのを、待ち遠しがって、それぞれの家で得意顔で幅(はば)をきかせている女房が、今か今かとのぞいて、奥の方にたたずみつづけている。
姫君の御前に座っている女房は、気づいて笑うのを、「しっ、静かに」と手まねで知らせるけれど、姫君は気づかない様子で、おっとりとして座っていらっしゃる。
「ここにあるものを取りましょう」などと言って近寄って、走って姫君の腰を打って逃げると、そこにいる人々は挙(こぞ)って笑う。
男君も、かわいらしく愛想よい様子でにこにこしているのが、特別に驚きもせず顔が少し赤らんで座っているのも、おもしろい。
また女房同士お互いに打ち、男性などをまで打つようであるよ。
いったいどういう気持ちなのであろうか。
泣いて腹を立て、打った人をのろい、不吉なまでに言うのもおもしろい。
宮中あたりなどの尊い所でも、今日はみなうちとけて乱れていることについての恐懼謹慎(きょうくきんしん)の表明がない。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
昨日まで『貞観政要』について紹介していましたが、
『老子』にも指導者について書かれた章があります。
初めに加島祥造さんの『タオ――老子』から「第17章 最上の指導者(リーダー)とは」
次に同じ17章を蜂屋邦夫さんの訳と読み下し文を転記したいと思います。
第17章 最上の指導者(リーダー)とは
道(タオ)と指導者(リーダー)のことを話そうか。
いちばん上等のリーダーってのは
自分の働きを人びとに知らさなかった。
その次のリーダーは
人びとに親しみ、褒(ほ)めたたえられ、
愛された。
ところが次の時代になると
リーダーは人びとに恐れられるものとなった。
さらに次の代になると、
人びとに侮(あなど)られる人間がリーダーになった。
ちょうど今の政治家みたいにね。
(『タオ――老子』加島祥造 ちくま文庫 2006年)
人の頭に立つ人間は、
下の者たちを信じなくなると、
言葉や規則ばかり作って、それで
ゴリ押しするようになる。
最上のリーダーはね
治めることに成功したら、あとは
退いて静かにしている。
すると下の人たちは、自分たちのハッピーな暮らしを
「おれたちが自分で作りあげたんだ」と思う。
これがタオの働きにもとづく政治なのだ――
これは会社でも家庭でも
同じように通じることなんだよ。
(『タオ――老子』加島祥造 ちくま文庫 2006年)
第十七章
最高の支配者は、人民はその存在を知っているだけである。
その次の支配者は、人民は親しんで誉めたたえる。
その次の支配者は、人民は畏(おそ)れる。
その次の支配者は、人民は馬鹿にする。
(『老子』蜂屋邦夫訳注 岩波文庫 2008年)
支配者に誠実さが足らなければ、人民から信用されないものだ。
慎重なことよ、支配者が言葉をおしむことは。
なにかの仕事を成しとげても、人々はみな、我々は自(おの)ずからこうなのだ、と考える。
太上(たいじょう)は、下(しこ)、之(これ)有るを知るのみ。
其(そ)の次(つぎ)は之を親しみ誉(ほ)む。
その次は之を畏(おそ)る。
其の次は之を侮(あなど)る。
信足(しんた)らざらば、焉(ここ)に信ぜられざること有り。
悠(ゆう)として其れ言を貴(たっと)ぶ。
功を成し事を遂(と)げて、百姓(ひゃくせい)、皆、我(わ)れ自(おの)ずから然(しか)りと謂(い)う。
(『老子』蜂屋邦夫訳注 岩波文庫 2008年)