2020年9月30日水曜日

歯科と心臓リハビリ

今日は、午前中、歯科で虫歯の治療。
午後は、心臓リハビリでした。
代車を運転していていいなと思ったのは視界が広いです。
年々、メーカーは努力を重ねているのがわかります。
一番感じたのは、アイドリングストップをしたあとの発進。
以前に比べてスムーズに発進するようになっています。

帰りに前を見ると鹿児島ナンバー。
営業で回っているのかな?
大阪港までフェリーできたのかな?
歯科の待合室やリハビリ室の前で読んでいたのが
温又柔さんの『「国語」から旅立って』。
安田菜津紀さんの 「“普通”という名の圧が蔓延する中で、ノイズとして存在したい」(論座 9月25日)
を読んで興味を持ちました。
図書館のHPを見るとあったので借りて読んでいます。
ちょっと長いけど「おわりに」を転記しますφ(..)
温又柔のTwitter ブログ「🕊温聲提示🕊」)

 おわりに

 2019年、春。
 わたしはパソコンに向かって、この文章を書いています。
窓の外では、空が白々と明るんでいます。
日に日に夜が短くなるのを感じる季節です。
李良枝を読み、わたしもわたしの由煕を書くんだ、と決意したときから15年が経ちます。
 わたしは38歳になりました。
 今も、台湾人にしては下手な中国語しか話せません。
 日本人ではないけれど、いつも日本語に頼りきりです。
 そんな自分が、台湾人としても日本人としても中途半端な存在だと嘆くことは、いまはありません。
 空中黒板で、あ、い、う、え、お、と練習しながら文字を覚えて以来、書くことによって自分を支えてきました。
 (台湾で育っていたらわたしの「国語」は Japanese ではなく Chinese だった)
 何度となくそう思ったことを思い出します。
貿易の仕事をしていた父が東京に赴任することがなかったら、7歳の私は台湾の小学校で、國語、すなわち中国語の読み書きを学んでいたことでしょう。
 「國語( guóyŭ )」ではなく、「国語(こくご)」。
 日本の小学校で「国語」を学んだからこそ、私は日本人のように日本語を読んだり、書く力を備えることができました。
そしてその備えや蓄えが増えれば増えるほど、世界は広がっていきました。
同時に、そんな自分はどこから見ても日本人のようではなくては、と知らず知らずのうちに考えていました。
わたしは自分を「日本人」という枠に縛(しば)りつけていたのです。
台湾で育っていたら中国語と築いてたはずの関係を、わたしは日本語と結ぶことになった。
そういう意味では、日本語とわたしは、ほぼ一体化していたといっても過言(かごん)ではありません。
けれど、だからと言って、日本人のようでなければならないのでしょうか。
 そんなことはありません。
 日本で育った台湾人として自分のことば――中国語や台湾語が織り込まれたニホン語という杖を取り戻すために、そしてわたし自身を取り戻すために、わたしはこうして、「国語」としての日本語から旅立つ必要があったのだと思います。
 そんなわたしは、まだ十分に書き切っていないこと、そして書いておかなくてはならないことがたくさんある、と日々気づかされます。
たとえば、台湾人でありながら一族の中で誰よりも日本語の読み書きが得意だった祖父について。
あるいは、一度も台湾を離れたことがなかったのに、日本に住んでいるわたしの母よりもはるかに流ちょうな日本語を話す祖母のこと。
そして台湾の「国語」の時間に、日本語を教わったという祖父母の世代の台湾人について……。

 ちょうどこの本の第六章を書いているただなかに、〝文学作品を通じて多文化共生社会に多大な貢献(こうけん)をした〟という理由で、文化庁長官の表彰を受けました。
 国から表彰されるのは、「国語」の呪縛(じゅばく)から解き放たれたニホン語によって作家を目指すことになった自分を裏切ることになるのではないかと、とても葛藤しました。
けれど、最終的にこの表彰を謹(つつし)んで受けることにしたのは、文化庁国語課の方々が、日本人のための日本語のみならず、わたしのような移民をも視野に入れた新しい「国語」を創ろうとしている、その意志を支持したいと思ったためです。
と同時に、日本人のふりをやめることで自分を取り戻したわたしという存在によって、「国語」囚(とら)われることのない自分のニホン語を獲得してやる、と鼓舞(こぶ)される子どもが次々とあらわれてほしい、きっと堂々とあらわれてくるはずだ、と信じたからです。
 わたしはよく知っています。
より幸せになるためには、自分の感情を押し殺して笑うことよりも、自分の感情を解き放ち、大いに笑い、ときに怒ることも必要なのだと。
そして、自分はひとりぼっちじゃないと、ただそう思えるだけで、たったそれだけで、喜びは何倍にもなり、怒りや憤(いきどお)り、狂おしさもまた、希望の原動力となることを。

 すきとった光が部屋に射し込みます。
昨日よりも、ほんの少しだけ良い一日なりそうな予感がする朝です。
 ことばを知り、文字を読み、文章を書くわたしの個人的な日々を綴ったこの本を読んでくださったあなたへ。
あなたの育みつつあることばが、あなたのことを支えはしても、あなたを貶(おとし)めるようなことが決してありませんように。
ことばに縛られるのではなく、ことばによってあなたを解き放ってください。
あなたにとってのニホン語も、あなたがのびやかに生きるための力の源(みなもと)でありますよう。
 いま、あなたがどこにいて、何歳だったとしても。
(『「国語」から旅立って』温 又柔(おん・ゆうじゅう) 新曜社 2019年)

(表記の仕方を間違っているかもしれません。
一気に最後まで読みました。おすすめの本です)