2020年9月14日月曜日

歯科通院

今日は、歯科で前回の治療の経過を診てもらいました。
今のところ、腫れなどがみられないとのことです。
もう少し経過をみながら治療をすすめます。

待合室で読んでいたのが『矢沢宰詩集――光る砂漠』(思潮社 2016年)
鷲田清一さんが「折々のことば」(8月23日)で紹介されていたので検索してみつけました(^^)v
この本には、周郷博氏の「光る砂漠 序」が童心社版より再録されていました。
この序と略年譜で矢沢宰についてある程度知ることができるのですが
童心社版には周郷博氏の「解説」が載っています。
矢沢宰について知ってほしいという周郷博氏の思いがあふれている解説だと思います。
少し長いので何回かに分けて転記したいと思いますφ(..)
なお、個人名については「〇〇」などと表記します。
他にも表記を変えている個所があります。

解説 周郷博

 矢沢宰君という人に、彼の生前、私はいちども会ったことはない。
矢沢君が21歳の若さで、「惜しまれ」てこの世を去った翌年―― 一昨年の秋、矢沢君の遺稿詩集を、矢沢君のおかあさんが私に送ってくるまでは、矢沢宰という少年の存在さえ、私は知らなかった。
いまでは、新潟県見附の矢沢君の家族の人たちとも、三条結核病院の〇〇昭先生たちとも、昔からの知り合いだったように親しくなり、矢沢の家の80歳を越したおばあちゃんなどは、私を「宰の先生」と思いこんでしまって、訪ねていくと山菜など採って待っていてくれる。
くすぐったいような名誉な話だと思う。
 矢沢君の一生は、わずか21年10ヵ月、奇跡のような一条の光芒(こうぼう)を文(あや)なす一生であった。
短い生涯と詩と思索は、それまでなんの関係もないように生きてきた、たくさんの人々を、濁りのない愛と友情でむすびつけてくれる。
シェクスピアの「ロメオとジュリエット」の清らかな悲恋の結末の死が、長いこと啀(いが)み合っていた二つの部落の人々をしんから和解させたような、それに似た不思議なエフェクト(効果)を、その死後に、あとからあとから生んできている。
予想もしなかったたくさんの善意の人々との、かげひなたのない人と人との親和が今もつづいて生まれている。
矢沢が13歳の春から14歳になったその年の秋まで半年あまり、孤独と死の淵に沈んでいたこの少年の看護にあたり、そこから矢沢が、生と、そして詩の出発をした、そのときの看護婦さん、〇〇ユキ(いまは〇〇ユキ。2歳のかわいい男の子の若い母)さんに、頼まれた講演先の横須賀で、なんの前ぶれもなしに、まわりの人たちの好意で会うことにあんったりしたのも、思えばそういう神秘な糸の導きとしか思えない。

(…続く…)

(『光る砂漠』詩・矢沢宰、編・周郷博 童心社 1969年)