2017年7月17日月曜日

百か日

今日は、母さんの百か日の法要でした。
お坊さんが来られた時に、叔母も来たのでビックリしました。
と言うのは、叔母は膝を痛めているので連絡していなかったのです。
叔母のことですから膝が痛いのに
自転車でやって来ると思って遠慮していたのです。
姪は、夜勤でしたので父と妹と三人でするつもりでした。

お坊さんにお経を唱えていただきました。
法要の後、お坊さんと話をしていて、初めはなんともなかったのですが
母さんが一緒に歩いてくれたおかげで、
歩けるようになったと話していると胸がつまってきました。

◇ ◇ ◇ ◇

(2012年7月14日) 

2012年7月14日(土)
朝露がキラキラしているのを見て
母さんが、子どもの頃、
学校で朝露を集めて習字をしていたと
懐かしそうに話をしてくれました。
(この日も蒸し暑い朝でした…)

○ ○ ○ ○

お坊さんにあげてたいだいたお経は「阿弥陀経」でした。
でも、ありがたいお経なのに意味が分りませんでした…(^^ゞ
きっとお母さんも????だったと思いますので
阿弥陀経の梵文和訳の一部を転記します。

   2
そこで師は、シャーリプトラ尊者に言われた
――「シャーリプトラよ。
ここから西方に百万億の仏国土を過ぎたところに、
<幸いあるところ>という名の世界がある。
そこに、無量寿(アメーユス・かぎりなき命)と
名づける如来・敬わるべき人・正しく目ざめた人が現に今住んでおり、
身を養い、日を送り、法を説いているのである。
さて、シャーリプトラよ、そなたはどう思うか――
この世界はどうして<幸いあるところ>と言われるのであろうか。
シャーリプトラよ。
実に、かの<幸いあるところ>という世界には、
生ける者どもの身体の苦しみもないし、心の苦しみもない。
ただ、測り知れない安楽の原因が無量にあるばかりなのだ。
それ故に、かの世界は、<幸いあるところ>と言われるのだ。

(『浄土三部経(下)』「阿弥陀経」 梵文和訳 P122)

シャーリプトラ = 舎利弗(しゃりほつ
<幸いあるところ> = 極楽