歩いて一時間半といえば、何里の道であろうか。
暗い小石の多い道をとぼとぼ行きながら、死ぬ前の夜、妻が何思ったか急に起き上がって仏壇の前で合掌した時のことを私は想いだした。
それは激痛の最中であった。
妻の病気は癌であり、痛みは終日続いていたが、ことに日に三度か四度の発作的に来る激痛はさながらこの世の地獄であった。
その都度看護婦に頼んで鎮痛剤を注射して貰っていたのだが、近頃はその鎮痛剤も入手しがたく、あちこちの医者に拝み倒すように譲って貰ったのを、身を切られる想いでチビチビ使っていたのである。
けれども鎮痛剤の常で次第に使用量が増える。
瞬く間に使い果たして、その夜は妻の激痛の始まったのを見ながら施す術もなかったのだ。
売薬のけちくさい錠剤などで停るような痛みではなかった。
辛抱強い妻は泣き叫ぶようなことはなかったが、けれども、私(うち)は何も悪いことはしたことはないのに、なんぜこんなに苦しまんならんおやろうと言いながら、ポロポロ涙を流していた。
悲しいというより、激痛に逆うことから来る涙であったろう。
もうちょっとの辛抱や、直き停まる、直き停まると乾いた声で慰めていると、妻は何を思ったかむっくり起き上がって仏壇の前へ行き、合掌したのである。
仏にすがって痛みと病を癒そうとしたのであろうか、それとも、翌朝までの命を虫が知らせたのだろうか……。
(『織田作之助全集 5』講談社 昭和45年)
注)原文通りではありません。転記間違いがあると思います。