妻が死んで五日目の夜、点呼予習があった。
私の村の分会員のうち点呼だけはよその分会で受ける者だけの予習で、ちょうどそういう者が六人あり、私もその一人であった。
全員六名という訓練は気勢は揚らなかったが、けれども私は一番気合が掛っていて大いに宜しいとほめられた。
かねがね身体のわるい私はこの種の訓練には医師の診断書を提出して見学するのが常であったけれども、この夜は他の五人と共に木銃を持って声を涸らした。
突撃練習では何かに憑かれたようにぱっと駈けだして、ウアワ! けだもののような声をだした。
得体の知れぬ怒りが私をかり立てたのであろうか。
妻をなくした私には自分を身体をいといたい気持などなかったことも事実だった。……
道は依然として暗く、遠く、私はくたくたに疲れていた。
ふと気がつくと、足の下の方で川の音が聴える。
はっとして見ると、白く光っていた。
私は知らぬ間に鉄橋の上を歩いていたのだった。
線路の上は小石が多い。
それ故枕木の上を拾って歩いていたのでその惰性で鉄橋の枕木の上も自然に踏み外さずに来たものらしい。
鉄橋は短かったので、危い想いもなく越せた。
もっとも、恐怖の念は不思議にその夜はすこしも感じなかった。
死者の想いと共に歩いて来た故であろう。
家へ帰ったのは午前二時頃だった。
二時間余り掛っていた。
どこで傷ついたのか、右足の親指の爪に血がにじんでいた。
いったん電車の中で眠ると、いつかそれが癖になってしまった。
私は市電の中でもだらしなく居眠るようになった。
先日もお寺へ行こうとして市電に乗り、居眠ってしまった。
下寺町で眼を覚し、はっとして窓の外を見ると、坂下の薬屋の看板に大きな字で「癌」という字が書かれてあった。
しまった、あの薬を知らなかったと私はふと寂しかった。
(『織田作之助全集 5』講談社 昭和45年)
注)原文通りではありません。転記間違いがあると思います。