2024年12月11日水曜日

暖かいからかな?

 風もほとんどなく穏やかな朝でした。
でも、天気予報を見ているとこれから寒くなる…
各地から迎春の準備の便りが届いています。

来年のえと「へび」のあめ作り最盛期 京都 宇治〟(関西NHK)
 チャノキの花が咲いているなと見ていると
脚に花粉だんごを付けているミツバチに出会いました。
12月になっても花粉を集めているのにビックリ!

 ニホンミツバチ(日本蜜蜂) 
Apis cerana
分類:ハチ目 ミツバチ科
成虫の出現期:3~10月
分布:本州~九州
体長:12~13mm(働きバチ)

 蜂蜜を作るハチが蜜蜂であり、英語でも honey bee と言う。
養蜂に使うために輸入されたセイヨウミツバチ以外にも、日本の里山には、もともとニホンミツバチが住んでいた。
春もたけなわの頃、おびただしい数のニホンミツバチがボール状の塊になっている光景を目にすることがあるが、これは「分封(ぶんぽう)」と呼ばれ、大きくなり過ぎた巣を分割しようという行動である。
女王バチが新女王に巣を譲り、一部の働きバチを取り巻きのように引き連れて巣を去る。
新しい住まいに落ち着くまでの旅の途上で、この分封集団が形成される。
(『散歩で見つける 虫の呼び名事典』森上信夫 世界文化社 2013年)
ノーベル平和賞 授賞式 日本被団協 晩さん会出席」(NHK)

代表委員 田中熙巳さんの演説の中で
生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられました。
さらに日本政府からも見放されました。
被爆後の十年間、孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けざるをえませんでした


被爆体験者が高齢となっているなかで「高校生平和大使」など若い人たちが活動を引き継いでくれている。

朝ドラ「虎に翼」第23週「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」で原爆裁判の判決が言い渡されました。
虎に翼 第23週「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」を振り返って〟(村上一博明治大学資料センター所長)
美子(はるこ)皇后の洋装化について転記しました。
今回は、庶民は洋装化をどう受けとめたのかを紹介したいと思います。
民衆の間に洋装化が広まらなかった理由や
戦中のモンペが、戦後、女性のファッションに与えた影響について書かれています。

 女性たちは洋髪を取り入れながらも和服を着続けた

 社会の中で働く男性に対して、外に出る機会の少ない女性の洋服は稀(まれ)でした。
しかし政府の欧化政策として明治16年に建設された鹿鳴館では舞踏会が催され、ダンスをするには洋装が求められました。
とはいうものの、実態としては白襟紋付の着物で出席する女性たちも多かったといいます。
なぜなら、日本では女性が公の場に出る習慣がなく、またドレスは大変高価であったために、欠席する女性もいたからです。
しかし、パートナーとの参加を基本とする西洋式の舞踏会を成功させ、日本の西洋化を国内外に示すために、なんとしても女性を公の場に連れ出し、洋服を着用させる必要がありました。
そこで、皇后の洋服着用が周到に計画され、明治19年には宮中の女性皇族の礼服が「洋服」に定められました。
(『東大ファッション論集中講義』平芳裕子 ちくまプリマー新書 2024年)
 一方で、一般の女性たちは着物を着続けました。
家庭の中で暮す分には従来の和服で不便はなく、着方もわからないような高額な洋服をあえて仕立てる理由は見当たりませんでした。
とはいえ、和服を着ていた庶民の間にも西洋風は流行し、特に髪型にその影響が現れました。
従来の日本髪は、髪を結うにも、洗髪するのも、寝るのも手間がかかり、不便・不潔・不経済という声が高まります。
そこで、洋髪の影響を受けて生まれた簡便な髪型が「束髪」です。
イギリス巻きやマーガレット巻きなど、手軽に自分で結えるスタイルが考案され、洋服にも和服にも合う髪型として人気を集めました(図11-3 省略、以下同じ)。
また着物に合わせることのできる指環や日傘など、西洋風の小物類も取り入れられるようになります。
 このように、日本の西洋化をめざす明治政府の政策のもと、男性服においては高位高官から洋服が積極的に採用されました。
それに対して女性服では、夜会でドレスを着用する上流婦人はいましたが、大多数の女性は着物で生活を続けました。
一方、子供服では、和服の活動面、日本髪の衛生面の問題が提起され、和服の改良とともに洋装化が推進されました。
 日本の洋装化は一挙に進んだわけではなく、男性服では早く進みましたが、女性服の遅れは顕著でした。
この理由は、女性たちが家庭で生活していたことに加えて、当時の西洋の女性ファッション自体が問題を孕(はら)んでいたことに理由があります。
 というのも、日本が開国した時代に、ちょうど西洋の女性たちが着ていたのはバッスル・スタイルのドレスでした(116頁、図5-2)。
これはコルセットの着用が必須であり、胴体の締め付けによる健康被害も指摘されていたファッションです。
そして大変複雑なつくりをしていたこともあり、このような問題含みの高価なファッションをあえて着ようとする女性は稀でした。
 戦争が女性たちにズボンを穿かせた

 ところが、1937年に日中戦争が勃発します。
国民の戦意昂揚と戦争協力を求めて「国民精神総動員運動」が始まりました。
翌年には「国家総動員法」が施行され、人々の日常生活にも影響が及びます。
特に綿製品の製造や販売が制限されたため、衣料品の不足が深刻となりました。
綿やウールの代用品としてステープル・ファイバー(通称スフ)が登場しますが、パルプを原料としていたために耐久性に劣るという欠点がありました。
また、軍服ように角ばった軍国調の洋服、飛行機や兵隊をあしらった戦争柄の着物が流行しました。
次第に新しい生地が入手困難となり、贅沢(ぜいたく)品の製造販売も制限されるようになります。
 1940年には、「国民服」が制定されました(図11-6)。
国民服は作業着にも礼服にもなる男子の制服であり、いざという時に軍服に転用できるように民間に備蓄された衣服です。
着用が強制されたわけではありませんでしたが、戦争が激しくなるにつれて普及していきました。
一方、「国民服」の制定を受けて女性用の衣服を考案する動きも活発になりました。
1942年に「婦人標準服」が制定され、和服と洋服を折衷したさまざまなバリエーションが用意されましたが、実際にはほとんど普及しませんでした(図11-7)。
和服タイプは空襲時に裾が危険と見なされ、洋服タイプは不格好(ぶかっこう)に見えたようです。
結局のところ、女性たちは「モンペ」を作って着用しました。
 モンペとは、袴のような形をした和服の一種で、もともとは農村の作業着でした。
1941年に太平洋戦争が始まると、各地で防空演習が行われるようになり、活動的なモンペが着用されるようになります。
そしてこのモンペが婦人標準服の一つとして採用されたのですが、本土空襲の激化に伴い、女性たちは手持ちの着物をモンペに作り直して、日常的に着るようになりました。
 洋裁学校でも、モンペを格好よく改良したデザインを教えました。
戦時中は、西洋のファッションに由来する「洋服」は敵国のものとして排斥されましたが、そもそも明治時代に洋服が採用されたのは、そのすぐれた機能性と活動性ゆえでした。
そこで、和服を実用的で合理的なものへ改良することで日本独自の衣服を創造しようという意見が支持を得ました。
ところが、婦人標準服は多数の専門家の意見を盛り込んだ結果、機能的にも美的にも中途半端なデザインとなり、女性たちの需要に応えることができなかったのです。
 代わりに女性たちはモンペを選択したわけですが、これは日本のファッション史を特徴づける出来事です。
モンペ、すなわちこれは二股のズボン式の衣服です。
西洋においては、二股のズボンは男性服と見なされてきたために、20世紀後半のデザイナーたちが最先端のおしゃれとしてズボンを打ち出すまでには長い格闘の歴史がありました。
ところが、日本においては洋服の歴史が浅いにもかかわらず、二股の衣服があっさりと女性たち(そしてその姿を見る男性たち)に受け入れられたのです。
戦時中の非常時代だからこそ、その活動性や機能性を女性たちは身をもって感じ取ったに違いありません。
 婦人標準服でも国民服でも、合わせ襟や縦型の物入れなど、従来の和服の要素が加えられましたが、結局は敗戦によって日本独自の衣服も頓挫してしまいます。
しかし戦時中に女性たちがモンペを経験したことは戦後の洋装化の流れを加速させることになりました。
(『東大ファッション論集中講義』平芳裕子 ちくまプリマー新書 2024年)

試し読み」に「ハイヒールを履いたルイ14世」のページが出ています。

昨夜のワルイコあつまれ「(109)稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾と学ぶ教育バラエティー
に登場したのがルイ14世です(^_-)
 今朝の父の一枚です(^^)/
山のエリアが立ち入り禁止になったので
会えないと思っていたモズに出会えて喜んでいました!(^^)!

モズ 不思議なわすれもの』つづき(前回11月15日

モズのくちばしは、先がとがっていて
カギの形にまがっています。
するどいまなざしはハンターのしるし、
それにくらべると、
足は細長くてかよわそう。

ある日、モズが草むらに飛びこんで
カナヘビをつかまえました。
くわえたまま飛びあがり、
木の上へ。

えだにつきさし、
ひきちぎってたべています。
たしかに、あの足の細さでは、
えものをおさえつけて
ひきちぎることは無理ですよね。

えだにつきさすのは、
えさをたべるための
モズの工夫だったんです。
人間でいえば、はしやフォークを使うのと同じこと。
とても器用な鳥です。
…つづく…
(『モズ 不思議なわすれもの』島田忠 新日本出版社 2009年)