2024年12月19日木曜日

暗い空から

朝の天気予報で「真冬並みの寒さ」になると話していたように
空が暗いと思ったら、雨がポツポツ降りました(すぐに止んでくれたのでホッ)。
西アジアレストハウスのように雨や風が強いときに入れるような建物がないので
雨の日は、休んだ方がいいなぁと話していました。

もっと早い時間(午前5時過ぎ)には雪が降っていたそうです。
気象予報士さんが雪が積っていたら「ペンギン歩き」をすすめていました。
大阪・奈良・京都で初雪を観測」(関西NHK)

大雪や路面凍結 転倒事故を防ぐ 注意点は?」(NHK 2022.01.07)
 『絶景
  空 間

 中原(なかはら)よ。
 地球は冬で寒くて暗い。

 ぢや。
 さやうなら。
(『草野心平詩集』入沢康夫編 岩波文庫 1991年)
『絶景』(昭15)所収の詩「空間」の全部。
詩人中原中也は昭和12年10月22日、30歳で死んだ。
右は亡友追悼の詩だが、発表は14年4月「歴程」第6号。
雑誌が第5号以後2年半も出なかったためらしい。
筆者は少年時代、これを某選詩集で読み、詩というものは短い言葉でなんと多くのことを暗示できるものだろうかと、ひとり驚き、肝に銘じた思い出がある。
(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)
“ユン大統領は11月初め「非常戒厳」宣言の意向”韓国メディア〟(NHK)

韓国の政情が不安定だなと思いますが、
朝ドラ「虎に翼」で朝鮮文化などの考証を担当された崔誠姫さんの本が出版されています。

女性たちの韓国近現代史』の「試し読み」ができます。
「開国から現代にいたるまで、朝鮮・韓国の女性はどう生き、どう変わっていったのか。
有名・無名のさまざまな女性たちに光を当て、近現代韓国の歴史を描きだ」しています。
川端康成や三島由紀夫を虜にした「崔承喜(チェ・スンヒ)―半島の舞姫」も紹介しています。
  あとがき

 本書は2019年度に聖心女子大学で担当した講義「朝鮮近現代史」の内容に、加筆修正を加え書籍化したものである。
聖心女子大学でこの講義を担当することが決まったのは2018年度であった。
史学科の講義・女子大・通年開講授業・2年度連続受講が可能というカリキュラムであることをふまえ、2018年度は朝鮮近現代史を通史で、翌2019年度は近現代の朝鮮女性史を扱うことを決めた。
(『女性たちの韓国近現代史 開国から「キム・ジヨン」まで』崔 誠姫 慶應義塾大学出版会 2024年)
 学生たちの反応はとてもよく、「知りたい」「学びたい」という意欲をひしひしと感じた。
なかには家族が韓国・中国に対する差別意識が強く、自分自身もこれらの国を怖い、いやだと思って育ってきたが、この授業を聞いて考えが変わった泣きながら話してくれた学生がいた。
また、大学入学後、韓国語を学んで韓国の歴史や文化に興味を持ち、卒業後に韓国の大学に正規学生として編入した学生がいる。
その学生は韓国に行き筆者の授業内容を思い出したそうで、わざわざ連絡をくれた。
久しぶりに会った学生は、日韓の青年をつなぐ活動の中心となっていた。
留学先を卒業した後も大学院に進学し研究者を目指して邁進している。
 彼女たちの反応や行動はもちろん、受講生が書いてくれる心のこもったリアクションペーパーは、歴史研究者として教育者としてとても励みになるものだった。
学びたい、知りたい、考えたいという意欲の伝わる受講生の心を感じ、この授業の内容をいつか形にしたいと漠然と考えるようになった。
しかし、それはそう簡単にはいかなかった。
 2015年3月に一橋大学大学院博士課程を修了し、2019年には博士論文をもとにした書籍を刊行したものの、なかなか専任の職に就けず専業非常勤講師の生活が続いていた。
そのようななか、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、父が要介護三になるなど、自分自身の生活を考えなおすタイミングが訪れた。
決まらない専任の公募に出し続けることに疲れ、四十代後半に近づいてきたこともあり、45歳になるまでに専任教員に就けなければ研究をやめて地元に戻ろうと決めた。
 ところが研究は私を見捨てなかった。
「これで最後」くらいの気持ちで出した公募で内定をいただき、2022年4月から大阪産業大学国際学部に准教授として着任することになった。
 着任して間もなく本書の出版が決まった。
もともと韓国の研究者が書いた本を翻訳したいということで、慶應義塾大学出版会の村上文さんをご紹介いただき相談させていただいたところ、いろいろ状況が変わり本書の企画に行き着いたのである。
村上さんのきめ細やかな対応、コメント、提案などに大変助けられた。
原稿がなかなか進まないにもかかわらず忍耐強く待ってくださり、何とか出版にこぎつけられた。
心より感謝申し上げたい。
 また本書の内容へのコメント、校正を快く引き受けてくださったお茶の水女子大学大学院博士後期課程の大室恵美さんにも感謝申し上げたい。
大室さんからは読者としての立場から、またジェンダーの問題、ファクトチェックや韓国現代史で触れるべきテーマなど、細部にわたって的確かつ建設的なコメントをいただいた。
大室さんの存在なくして本書の完成はなかったといえる。
 …後略…
(『女性たちの韓国近現代史 開国から「キム・ジヨン」まで』崔 誠姫 慶應義塾大学出版会 2024年)

近代朝鮮の中等教育』(崔誠姫 晃洋書房 2019年)
帯状ほう疹ワクチン 来年度定期接種へ 65歳になった高齢者など」(NHK 12月18日)

父も妹も帯状疱疹を発症して辛い思いをしました。
父は、母が亡くなった翌月に発症しました(ショックから免疫力が落ちたと思います)。
現在、居住している市では全額自己負担ですが
再発の可能性があるので妹は2回する組換えワクチンを
私は、生ワクチンを接種しました。
副反応は、私も妹も接種した腕に痛みがあった程度でした。
父は、自己負担額が高いので止めていますが、補助があるのなら接種すると思います。
今朝の父の一枚です(^^)/

第2章 住宅地や餌台にくる鳥―シジュウカラ
 ✤ 保守的な鳥

  
 シジュウカラは、池袋や新宿などの雑踏でさえも声を耳にするくらいなので、どこにでも生息しているように思える。
ところが、細かく調べてみると、シジュウカラの分布していない地域があることがわかった。
 東京では、隅田川よりも東側の、いわゆる下町で、かつてはほとんど姿をみることはなかった。
また、江戸川を越えて、千葉県の市川市や船橋市などもシジュウカラの分布していない空白地帯であった。
市川市の我が家でも、餌台をもうけて20年近くなるのに、いまだに常連はスズメとキジバトくらいで、シジュウカラは珍鳥である。
 シジュウカラという鳥は、けっこう保守的な鳥で、分布を急激に拡大しない習性がある。
下町では、震災や戦災などで緑を失い、その回復に時間がかかったこともこの鳥が定着しない原因だったかもしれない。
 ところが、最近では、徐々にではあるが、シジュウカラが下町の安田庭園や清澄(きよすみ)庭園をはじめ、江東区亀戸の緑道公園などで繁殖を始めている。
いずれも、下町のなかでは比較的緑の多い場所である。
シジュウカラの分布拡大は、都市での緑の回復と密接に関係している。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)