2024年12月21日土曜日

冬至

曇り空で太陽が隠れているのでなおさら寒い!
洗濯物もなかなか乾かないので太陽の有難さを感じます。

兵庫県北部を中心に21日夜遅くから大雪のおそれ」(関西NHK)
今日は、昼間の時間が一番短い
冬至にゆず湯 訪れた人たちが香り楽しみ温まる 大阪」(関西NHK)

 門前の小家(こいへ)もあそぶ冬至哉(とうじかな)
             野沢凡兆(のざわぼんちょう)

『猿蓑』所収。
凡兆が向井去来と共同で編んだ『猿蓑』の中に収められた発句のひとつ。
「門前」は寺の門前。
江戸時代には、冬至の日は一般に仕事を休んだ。
寺院でも僧に一日の暇を与える習慣だった。
のどかな休日、寺の門前であきないなどしている小家も、今日は一日遊んでいる。
冬至を詠むのにのどかな小家を点出する技法だが、それがよび起こす森閑とした情は豊か。
(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)
 冬至
 お火焚きと太陽の復活


 春の息吹を待つ「一陽来復」には、その奥底に太陽の復活を願う気持があり、北欧ではこうした冬至祭がキリスト教と習合してクリスマスとなった。
そして、日本では旧暦11月の「お火焚(ひた)き」に、衰えた太陽の復活を願う気持ちがうかがえる。
京都市内では11月になると八坂(やさか)神社や伏見稲荷(ふしみいなり)大社、北野天満宮、さらに太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ)など、多くの社寺で大きな火を焚く祭りが行われている。
現在は期日が変わっているところもあるが、伏見稲荷大社では新暦11月8日が火焚祭で、本殿での火焚きに続いて稲荷山の斎場でも忌火(いみび)が焚かれ、神楽(かぐら)や人長舞(じんちょうのまい)が奉納されている。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)
「鳴滝(なるたき)の大根焚(だいこだ)き」で有名な右京区の了徳寺(りょうとくじ)の大根焚きは、現在は12月9・10日だが、もとは11月9日だった。
了徳寺の尼僧が巡錫(じゅんしゃく)の親鸞上人(しんらんしょうにん)に塩味の煮大根を振る舞ったのが行事の始まりと伝えられている。
この大根は中風除(ちゅうぶよ)け、延命長寿のご利益があるといわれ、特定の食べ物が中風除けになるという冬至のご利益と一致している。
 京都では、この季節に訪れてくるジョウビタキを「火焚鳥」とも呼んでいる。
火焚祭で火打ち石を打つ音とジョウビタキの鳴き声が似ていることからの命名で、ジョウビタキは、その鳴き声が火焚祭と重なって、季節を告げる鳥になったのである。
 火焚きの祭りは大阪でも盛んで、江戸時代前期の記録には「御火焼」と呼ぶ行事が多くの神社に見えている。
11月のこうした祭りは、京都の年中行事を記した貞享(じょうきょう)2年(1685)の『日次紀事(ひなみきじ)』には、柴薪(たきぎ)を焚いて子どもたちが「お火焼き、お火焼き」とはやし立てるが、これは来復の神気を得るためと説明されている。
来復の神気というのは、いうまでもなく大火を焚いて衰えた太陽の復活を願うことで、この祭りで春への気配を感じとったといえる。
11月にはお茶の世界でも「炉開き」が、また、現代的なビルではボイラー開きが行われているが、これらは炉の火を新たな火にかえる火替えで、これも火焚祭に通ずる行事である。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)
 冬至のカボチャ

 一年中で最も太陽が南に傾き、昼の時間の短くなる冬至には、西洋でも火をたいて太陽の復活を祈る行事が行われ、後にそれがクリスマスになったといわれています。
 日本でもこの日、太陽を暖め、日の神を呼び戻すために火をたく習慣があったようですが、それがいつか技術の神、聖徳太子を祭る太子講に変わった地方があったようです。
 長野県内でもこの日、家の門口にナスの枯れた茎をたく習慣が最近まで残っていた地方があったといいます。
 このように一年中で最も太陽の力が衰える日、その太陽の力を受けて育った人間も最も体力の衰えるとき、と心配するのも自然の心理であったと思われます。
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)
 このような日に身のけがれを洗い清め、体内にたまった悪いものを払い、復活のための力になるような食物をとろうとするのもまた自然の考え方です。
その考え方に従って、香り高いユズ湯に入って身を清め、栄養価はなくても消化器を通って体内の無用のもの、悪いものを根こそぎ掠(まく)り払ってくれるコンニャクを食べ、その後、栄養価も高く、ビタミン類も豊富なカボチャを食べて体力を復活しようというのが冬至にカボチャを食べるいわれといってよいでしょう。
 じつは、この頃は生鮮野菜も少なくなる時期であり、またカボチャは冬の寒さに弱く、一度こおってしまえば腐ってしまうものであるので、カボチャの一年中での最後の利用の機会でもあったわけです。
 それで、このような利用法が習慣化されるように、冬至にカボチャを食べれば病気にかからないとか、中風にならないとかと言い伝えられたものと考えられます。
 ユズ、コンニャク、カボチャはいずれも外国から伝来の植物ですが、アメリカ大陸原産のカボチャは、中国産のユズやインドシナ原産のコンニャクよりも遅れて、江戸時代の初期に日本に伝えられたものです。 
  (丸山利雄 長野県文化財専門委員)
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)

江戸時代の農村のくらし」(小学6年)
リハビリ散歩から帰ってきて眼科を受診(定期診察)。
待っている間などに読んでいたのが『暴力は絶対だめ!
読んでいるとリンドグレーンの言葉に目が充血しそうになり
先生に何か言われないかと心配になるほど。
この本を読みたくなったのは
グレーテルのかまど「リンドグレーンのスウェーデン風チーズケーキ
で、紹介されていました。
試し読み」ができます。

昨日、妹と正月休みなどに病院の休診日が続くときになにかあるよねと話していました。
今朝、歯を磨いているときにカチィンという音…
差し歯が抜けた(;´Д`)
歯科に電話をして、来週、診てもらうことになりました。