晴れているのだけど風がかなり強く吹いている。
これから正月休みで帰省する人たちは天候に気をつけてください。
「日本海側 29日ごろにかけ大雪の見込み 十分注意を」(NHK)
そしてインフルエンザが猛威をふるっているので気をつけたいですね!
「インフルエンザ この時期 過去10年で最多【年末年始の対策は】」(NHK) ハトたちが陽だまりに集合していました。
この季節は太陽が有難いですね!
ソールとマーニ―女性名詞の太陽と男性名詞の月(*)!
今日のドイツ語と同様、太陽は昔のアイスランド語(古ノルド語)でも現代のアイスランド語でも女性名詞だ。
太陽が女性なのは、これらの寒い国々おいては太陽は暖かく優しいからだ。
反対に、夜の冷たい星である月は男性名詞だ。
北欧では寒くない夜を想像するのは難しい……。
(『北欧神話100の伝説』パトリック・ゲルパ著、村松恭平訳 白水社 2022年) ムンディルフェーリ(「時間を統率する者」)には二人の子どもがいて、どちらも非常に美しかったため、彼は息子に月を意味するマーニ(古ノルド語)、娘には太陽を意味するソールという名前をつけた。
ムンディルフェーリは娘をグレヌル(「きらめく」)という名の男と結婚させた。
神々はこうした傲慢な姿勢に気を悪くしたため、彼の二人の子どもを天に送って彼らに仕事を与えた。
それは、太陽の荷車を引く二頭の馬を御するというものだ。
太陽は天を急いで走る。
というのも、狼スコッル(「高笑い」の意でフェンリルの別の名)に追われていたからだ。
スコッルはついに太陽に追いつき、呑み込んでしまう。
もう一頭の狼ハテイ(「憎しみを持つ」)は太陽の前方を走り、月を食べようとしていた。
月も太陽と同じく食べられてしまう。
(*)〔訳注〕フランス語では逆に、太陽は男性名詞で月は女性名詞。
(『北欧神話100の伝説』パトリック・ゲルパ著、村松恭平訳 白水社 2022年)日本で太陽と言えば
1 不在が暗闇をもたらす アマテラス
日本神話の最高神であるアマテラスは、天照大御神と表記します。
天を照らすというように、太陽神であることは明らかでしょう。
その誕生はとても不思議なものでした。
(『神話でたどる日本の神々』平藤喜久子 ちくまプリマー新書 2021年) 第三章のイザナミのところで紹介したように、イザナキは亡くなった妻イザナミを連れ戻すために死者の国である黄泉(よみ)の国へと向かいます。
しかし、そこで変わり果てた死者としての妻の姿を見てしまい、葦原中国(あしはらのなかつくに)へと逃げ帰ります。
イザナキは、死者の世界で穢(けが)れてしまったと思い、体を清める禊(みそぎ)を行うことにします。
場所は「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはきはら)」。
そこでイザナキは、持っていた杖(つえ)や着ていた衣類なども脱ぎ捨て、全身清めます。そして清まったところで最後に左目を洗ったところアマテラスが生まれました。
つづいて右目を洗ったところツクヨミが、鼻を洗ったところスサノオが生まれました。
父であるイザナキは、これまでたくさんの子供たちをもうけたけれど、最後にに最も貴い神たちが生まれた喜び、なかでもアマテラスに自分の首から首飾りを与え、神々が暮らす高天原(たかまのはら)を治めるようにいいました。
天を照らす神が、まさに天を治めることになり、最高神となったのです。 アマテラスが太陽の神であることをもっともよく示すエピソードが天の岩屋神話でしょう。
天を治めているアマテラスのもとに、あるとき海を治めることになっていたはずの弟スサノオが荒々しい様子でやってきます。
てっきり天を奪いに来たと思ったアマテラス。
戦う格好で出迎えますが、スサノオはそうではないといいます。
誓約という占いの結果、スサノオに邪心がないことがわかります。
するとスサノオは高天原で大暴れ。
田の畦(あぜ)を壊したり溝を埋めたり。
さらには重要な儀式を行う宮殿に糞(ふん)をするという乱暴を働きます。
挙げ句にアマテラスが神聖な衣を織らせているところに屋根に穴を空け、皮を剝いだ馬を投げ込みました。
このとき、機織(はたお)り女が驚いて機織りの道具で体を傷つけ、亡くなりました。 機織り女の死を目の当たりにしたアマテラスは、恐ろしくなって天の岩屋に閉じこもってしまいます。
天を照らす太陽の神が洞窟に隠れてしまったわけですから、天も地上も真っ暗闇に。
夜が明けなくなってしまいます。
すると悪い神々もざわざわと騒ぎだしました。
そこで天の神々は、天の安河原というところに集まって、知恵の神オモイカネが中心となり、アマテラスを岩屋から引き出すための相談をします。 常世(とこよ)の長鳴鶏(ながなきどり)という鶏を集めて鳴かせ、鏡や勾玉(まがたま)などを作り、占いをして賢木(さかき)を山から堀り取ってくると、その木に作った鏡や勾玉をかけて飾り付けをします。
そして祝詞(のりと)を奏上し、力持ちのアメノタヂカラオが岩屋の戸の脇に隠れ立つと、アメノウズメが桶(おけ)を伏せた上に乗り、踏みならしながら胸も露わに踊り出します。
女神が陰部まで露出して踊り出したのですから、神々が大盛り上がり。
笑い声が高天原に響き渡ります。 神々の笑い声が岩屋の中にまで届いたのか、アマテラスは戸を少し開いて内側から声を掛けました。
「わたしが籠って、天も地も真っ暗になっているはずなのに、なぜアメノウズメは歌い舞い、神々は笑っているのですか」。
それに対して、アメノウズメは、「あなたよりさらに貴い神がいらっしゃるので、皆で喜んで笑い、歌ったり舞ったりしているのです」と答えました。
そう答えている間に、ほかの神が、先ほど用意しておいた木に鏡を取り付けたものを差し出します。
鏡に映った自分の姿を見たアマテラスは、それが神々のいう「さらに貴い神」なのだと思い、よく見ようとさらに身を乗り出します。
そこをアメノタヂカラオが手を引いて、外へと引き出しました。
これでようやく世界に光が戻ります。 アマテラスがいなくなることで世界が真っ暗闇となり、再び現れると明るくなる。
まさに太陽の神であることが描かれています。
神々がアマテラスを呼び戻すために長鳴鶏を鳴かせますが、これは鶏が夜明けとともに元気良く鳴くという習性をもつことを利用したのでしょう。
鶏が太陽を呼ぶという考え方があったのかもしれません。 スサノオを怖れて岩屋に閉じこもってしまったアマテラスですが、籠るという体験をして、以前より成長したのでしょう。
鏡は岩屋から顔を出したアマテラス自身を映しています。
そのとき神々が「あなたよりも貴い神が現れた」といったのは、以前より成長したアマテラスがここにいるよ、と伝えているのだと考えられます。
この神話のあと、アマテラスはスサノオがやってきたときに一人で早合点してしまったような間違いはせず、つねに周りの神に意見を求めるような統治者になっていきます。
太陽の神で最高神と位置づけられていても、神話のなかで成長していく姿が描かれているところも興味深いですね。
…後略…
(『神話でたどる日本の神々』平藤喜久子 ちくまプリマー新書 2021年)今朝の父の一枚です(^^)
イザナギ、イザナミはセキレイの動作を見て
日本書紀 巻第一 神代上
一書に曰く、陰神(めかみ)先づ唱(とな)へて曰(のたま)はく、「美哉(あなにゑや)、善少男(えをとこ)を」とのたまふ。
時に、陰神の言先(ことさきだ)つるを以ての故(ゆゑ)に、不祥(さがな)しとして、更(さら)に復改(またあらた)め巡(めぐ)る。
則(すなは)ち陽神(をかみ)先(ま)づ唱へて曰(のたま)はく、「美哉(あなにゑや)、善少女(えをとめ)を」とのたまふ。
遂に合交(みあはせ)せむとす。
而(しか)も其の術(みち)を知らず。
時に鶺鴒(にはくぶり)有りて、飛び来りて其の首尾(かしら)を揺(うごか)す。
二(ふたはしら)の神、見(みそなは)して学(なら)ひて、即ち交(とつぎ)の道(みち)を得つ。
(『日本書紀(一)』坂本太郎他校注 岩波文庫 1994年)午後から今年最後の心臓リハビリ。
始まるまでの時間読んでいたのは、図書館で借りた『神話でたどる日本の神々』
転記した文章の中に
「籠るという体験をして、以前より成長したのでしょう」とあります。
ある意味、アマテラスは、日本で最初に引きこもりをしたのかも知れません。
スサノオのイジメから岩屋に引きこもり、成長して出てきたのだと言えるかも知れません。
イジメで学校へ行けなくなるのは恥ずかしいことではないとアマテラスが教えてくれています。
心臓リハビリは、トレッドミルで30分間歩きました。
歩行距離は1.72km。
消費カロリーは108kcalでした。
その間、パルスオキシメータで酸素飽和度を計ってもらうと98%位を示していました。
「よくわかるパルスオキシメータ」(一般社団法人日本呼吸器学会)