2024年9月1日日曜日

9月1日

公園を歩いていると梨の花が咲いていたのにビックリしました。

今までの台風なら日本に上陸したら速度が上がったのに
動きが遅く、離れた地域でも豪雨などで被害を大きくさせました。

台風10号は熱帯低気圧に 東海 関東では土砂災害に厳重警戒を」(NHK)
朝ドラ「虎に翼」第22週「女房に惚れてお家繁盛?」 (108)
小橋の言葉、

先生や周りが構ったり優しくするのは優等生か、こいつみたいな不良で
中途半端な俺たちは、いないも同然。
できる男と比べられるのも嫌なのに、更に、できる女とも比べられる!
頑張らなくてもいいのに頑張る女たちに無性に腹が立つ!
そう、分かる、分かるよ〜。
そんで、お前が想像しているとおりその苦しさは、ずっと続くし
お前は、この先の人生ずっと、できるやつらと比べられ続ける。
平等ってのはさ俺たちみたいなやつにとって
確かに、損なところもたくさんある。
でも、そのいらだちを向ける時
お前、弱そうな相手を選んでないか?
この先、どんな仕事をして、どんな人生を送ろうと
弱そうな相手に怒りを向けるのは何にも得がない。
お前自身が平等な社会を拒む邪魔者になる。
嫌だろ?
まあ、1番になれなくてもさ
お前のことをきちんと見てくれる人間は絶対いるからさ。
こころの時代~宗教・人生~「名も知れぬ死者を悼むために 西崎雅夫

東京都墨田区の荒川沿いに、関東大震災(1923年)当時「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語にあおられた人々に殺された朝鮮人を追悼する碑がある。
そこに死者の名は刻まれていない。現在まで十分な調査が行われていないため、多くの死者の名は不明でその人生をたどることもできない。
仲間たちと碑を建てた西崎雅夫さん(64歳)は、人生をかけて目撃証言を集めるなどして死者たちの姿を浮かび上がらせようとしてきた。
大正12年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生しました。
関東大震災」(中学)

都知事は、石原慎太郎氏も送っていた朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文を今年も拒否しました。
防衛大学校長を務められた五百籏頭眞氏の本から紹介します。
責任ある立場の人間が歴史に向き合うということは、どういうことかを示しておられます。

第1章 関東大震災
 5 自警団による虐殺
 情報暗黒下の異常心理


 戦争も大量殺戮も、第二次世界大戦後の日本史からは遠くなった。
しかし世界的に見れば、大戦争は起こっていないものの、内戦や民族紛争は少なくない。
とりわけ冷戦後は民族紛争、宗教紛争が頻発した。
(『大災害の時代 三大震災から考える』五百旗頭真 岩波現代文庫 2023年)
 その一つ、旧ユーゴスラヴィアの地を2011年11月に訪ねた。
 大ユーゴ連邦を主宰したチトーの記念館がベオグラードの丘にある。
そこには聖火を次々に諸民族代表でバトンタッチして殿堂に集う行事が展示されている。
その時代、多民族間の共存だけでなく通婚も行われた。
それだけにチトー没後10年余にして勃発した民族戦争は、地域と家族をも引き裂く痛ましいものであった。
 なぜ一緒に暮していた者たちが殺戮を始めたのか。
「過去という扉を開けた瞬間から、悲劇は避け難いものとなった」(オイディプス王)と表現されるような歴史の傷が深いことは言うまでもない。
 直接の契機は、「あの連中が攻めて来る」との恐怖心から攻撃を思う集団心理の相互作用だという。
そこで断固として強硬論を吐くリーダー(煽動家)の役割も大きい。
情報が不確かな中で防御的先制攻撃論が膨らむのは、その地だけの話ではない。
ルワンダのツチ族、フツ族にも、本編の主題である関東大震災下の自警団による虐殺にも、同種のメカニズムが認められる。
 大災害の被災地の混乱の中で窃盗、略奪、暴行などが横行するのは、世界にかなり普遍的な現象である。
阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災地に略奪がなく、人々が立派に振る舞うのが国際的なニュースになったのは、それが例外的だからである。
 例えば世界帝国の首都が地震―津波―火災の複合災害により壊滅した1755年のリスボン地震、王の委任を受けたポンバル卿が軍隊を出動させ、略奪暴行を働いた犯人30名余りを処刑し、広場の台上に吊るすことによって治安を回復した。
 1906年のサンフランシスコ大地震では三日間にわたり火災が続き、3000人の犠牲者を出す惨状を呈したが、発災直後から略奪が始まった。
ユージン・シュミッツ市長は不法行為に対しては断固たる対処を行うとのビラ5000枚を配布し、次いで警官隊に加えて、1500人の軍隊を率いて前進。
警告の上、実弾による一斉射撃を行って、二人の犠牲者を出しつつも治安を回復した。
 このような先例を見れば、関東大震災下の不祥事がまったくの例外事態とは思われないかもしれない。
しかし「不逞(ふてい)鮮人来襲」との風評が飛び交い、自警団が朝鮮人を探し求めて殺戮に狂奔する事態をどう理解すればいいのか。
 「流言は、通常些細な事実が不当にふくれ上がって口から口に伝わるものだが、関東大震災での朝鮮人来襲説は全くなんの事実もなかったという特異な性格をもつ」「大災害によって人々の大半が精神異常をきたしていた結果としか考えられない」。
 吉村の『関東大震災』は、風評流言の拡散経路を語っている。
 起源は激震地・横浜である。
立憲労働党総理を名乗る山口正憲が避難民を煽動し、決死隊を組織して集団略奪を、地震発生4時間後の9月1日午後4時頃に開始した。
赤い布を腕に巻き、日本刀などをかざして商店を襲い、食糧や金銭を強奪した。
その襲撃は17回に及んだという。
それへの恐怖が折から囁かれ始めた流言と結び付いた。
朝鮮人による集団攻撃と誤認されたのである。
そのリアリティを帯びた、横浜から東京へ北上したとする。
 警察が記録した流言リストが警視庁編『大正大震災誌』(警視庁、1925年)に掲載されており、それを分析した「関東大震災報告書」は、横浜からの北上ルートとは別に、東京の東北部千住・江北方面にも強奪集団があり、それに「鮮人来襲」の流言がかぶせられたとして二つの発信源説を採っている。
 ただ上記の流言リストを見れば、9月1日のうちに、すでに王子、愛宕、小松川での「鮮人放火」「鮮人襲撃」「鮮人暴行」などが記されており、2日午後には、東京の各地で多くの流言が記録されている。
品川では「火災は概ね鮮人と社会主義者とが共謀して爆弾を投じたる結果なり」とされた。
大火は人為の所産とされた。
根拠は何もない。
朝鮮人は国を奪った日本人を恨み、報復するに違いない、との日本人の潜在意識の暴走であろうか。
(『大災害の時代 三大震災から考える』五百旗頭真 岩波現代文庫 2023年)
 あとがき

 私の両親は、東京で関東大震災に遭い、幼時から両親の体験談になじんだ。
殊に私は、両親の口からもれる人心の混乱に戦慄した。
そうした災害時の人間に対する恐怖感が、私に筆をとらせた最大の動機である。
 …後略…
(『関東大震災』吉村昭 文春文庫 2004年)

“容疑者は不法移民” 偽情報がイギリスで暴動に 日本では…」(NHK 8月31日)

SNSで関東大震災での朝鮮人虐殺を否定する書き込みや
クルドの人たちへの差別的な書き込みなどをみると
南海トラフ大地震が起きたときに
阪神・淡路大震災や東日本大震災と違って暴動が起きるかもしれません。