2024年9月21日土曜日

台風の影響かな?

昨日と違って風が吹いています。
台風14号の影響かな?
石川県では大雨の被害が出ている…
正月以来、災害がつづいているので、心が折れそうになるだろうなぁ

石川県で救助要請相次ぐ 輪島 能登で3人が行方不明 土砂崩れも」(NHK)
ズ~ッとオモダカと思い込んでいたのですが、
先日、スタッフの方がいたので聞いてみるとクワイだそうです。

 クワイ オモダカ科

 日本と中国で栽培されるオモダカの栽培種。
高さ90~120cmの水生多年生草本。
長い直立した葉柄の咲きに鍬のような葉をつける。
葉はやや大形で、夏、白い花が雌雄一家に着生する。
地下茎から伸びるほふく枝の先にある球形の根茎は食用として使われる。
新井白石によれば、クワイのイ(ヰ)はイモの転じたもので、和名は「鍬に似た葉を持つイモ」からきたという。
古くから正月の煮しめなどにも使われる。
天ぷらやきんとん、すりおろしたものに調味をして揚げても良い。
 …後略…
(『救荒雑草 飢えを救った雑草たち』佐合隆一 全農協 2012年)
よく見かけるエノコログサやキンノエノコロなんですが、たまに変わった穂の子に出会えます。
これは「先祖返り」のようなものなんだそうです。
5つに分かれたのにはまだ出会っていないのですが…

穂が5つに分かれているエノコログサというものはありますか。」(日本植物生理学会 2006年7月16日)
注)質問者のリンク先は、しばらく記事を更新していないためか、広告がでます。
100分de名著142「ウェイリー版・源氏物語」
第1回 翻訳という魔法」の番組の最後にヴァージニア・ウルフとウェイリーは同じ芸術家グループに所属していたこと。
ウェイリー訳の『源氏物語』を絶賛していたことが紹介されていました。

 訳者解説

 …前略…

「『源氏物語』を読んで」はアーサー・ウェイリーの訳本の書評だが、当時のヨーロッパ読書界における『源氏物語』の受容の一つの姿を示している点で貴重なエッセイである。
このエッセイから、ウルフ個人はもとより、当時のヨーロッパ知識人の東洋にたいして抱いたイメージがはからずも伝わってくるのではなかろうか。
…後略…

 2002年11月3日 川本静子
(『病むことについて【新装版】』ヴァージニア・ウルフ著 川本静子編訳 みすず書房 2021年)
 『源氏物語』を読んで

 読者の皆さんに思い出させる必要はほとんどないことだろうが、エルフリック〔955?―?1020.英国の大修道院長で著作家・翻訳家〕が説教集〔990―2〕を著したのは991年ごろで、旧約・新約聖書についての論文〔1005―12〕はそれよりやや遅れたが、二つの著作とも、デンマークのスウェーゲン〔960―1014.1013年に英国王となるが即位前に死亡〕を英国王の座につけた、原因不明にせよ、あの大きな動乱に先立つものである。
人間を相手に戦ったかと思うと、あるときは野豚相手に、あるときは藪や沼地を相手に戦うなど、絶えず戦っていた私たちの先祖は、苦しい仕事で腫れ上がった手、危険のもとで緊張しきった精神、煙でひりひり痛む眼、い草を踏み分けて冷えきった足を抱ながら、身を入れてペンをもち、書き写し、翻訳し、記録し、あるいは、こみ上げる思いを不器用に、声を嗄らして、ありのままに歌ったのである。
  夏は来ぬ
  かっこうよ、高らかに歌え 〔13世紀初期の叙情詩。作者不明〕

――こうしたものが彼らの即興の粗野な叫びである。
一方、同じころ、地球の反対側で紫式部〔978―?1031〕は部屋の中から庭を眺め、「葉のあいだに見え隠れする白い花々の半ば開いた花びらが、みずからの思いに微笑む人びとの唇にも似て」〔『夕顔』の巻〕いるのに目を留めていた。
 エルフリックたちやアルフリード〔849―901。ウェストサクソン人たちの王(871―901)〕たちがイギリスで嗄れ声でものを言ったり咳をしたりしているあいだに、宮中に仕えるこの女性――この婦人について私たちは何も知らない。ミスタ・ウェイリーは、紫式部の6巻の小説が私たちの前に用意されるまで、一切の情報を巧みに与えないからだ――は、絹の衣服と打袴をまとい、絵を前にし、詩句が吟詠されるのを耳にしながら座っていた。
庭には花々が咲き、木々にうぐいすが宿り、人びとはひねもす語らい、夜を通して舞う――彼女は1000年ごろ、源氏の君の生涯とさまざまな珍しい経験を物語るべく座っていたのである〔ウェイリーは、紫式部が『源氏物語』を天皇の前で音読した、と解しているらしい〕
だが、紫式部がどういう意味にせよ年代記作者であるという印象は、急いで修正しなければならない。
彼女の作品は朗読されたので、聴衆の存在が想像される。
しかし、聴き手たちは明敏で、鋭敏な知性を有する、高度に洗練された男女であったにちがいない。
彼らは自分たちの注意を引きつける力業や、自分たちを驚かせる破局を必要としない大人たちだった。
反対に、人間の本性を熟視しることに没頭していたのである。
すなわち、人間は手に入らないものをいかに欲しがるか、異性と情のこもった、ねんごろな関わりをもちたいと願う強い気持ちがいかにきまって挫かれるか、醜悪なものや怪奇なものが、単純なものや正直なものにもまして、いかに人間を刺戟するか、降る雪はいかに美しいか、そして、それを眺めるうちに、ひとりで味わう喜びを分かち合ってくれる誰かを常にもましていかに焦がれるか、等々。
 紫式部はたしかに、芸術家にとって、特に女性の芸術家にとって、この上もなく恵まれた時期に生きていた。
生活は戦争に重きをおかず、人びとの関心は政治に集中していなかったのである。
この二つの力の激しい圧力から解放され、生活は、振る舞いの込み入った事柄、男性が何を話したか、女性が何をはっきりと言わなかったか、静かな表面を銀色のひれでかき乱す詩、舞いや絵を描くこと、また、人びとが我が身を完全に安全だと感じるときにのみ生まれる、あの荒れ果てた自然への愛などを主として現われたのである。
このような時代に紫式部は、大言壮語を嫌い、ユーモアと常識をそなえ、人間性の対照的なところやせんさく好きなところをとても好み、雑草と風のあいだで朽ち果てる古家、荒れ果てた風景、水が落ちる音、木槌を叩く音、金切り声を上げる野鴨、女宮さまの赤い鼻をとても好み、実際、美そして美をさらにいっそう美しくする、あの調和のなさをとても好んでいたので、自分の力のすべてをのびのびと発揮できたのだろう。
当時は、作家がありふれたものを美しく書き、人びとに向かって率直にものを言うのが自然だった時代に一つであった(どのようにして日本でそうした時代が到来し、どのように打ちくだかれてしまったのかは、ミスタ・ウェイリー説明してくれるのを待たねばならない)。
「すばらしいのはありふれたものである。途方もないものや大言壮語、意外なものや一瞬だけ印象深いものに感覚を痺れさせられるままになるなら、もっと深遠な喜びをだまし取られてしまうだろう。」
なぜなら、芸術家には二つの種類がある、紫式部は言った。
現在の好みにかなうような小品を創る芸術家と、「人びとが実際に使うものに真の美を与え、それらに伝統が定めた様式を与えようと努める」〔『帚木(ははきぎ)』の巻〕芸術家である。
印象づけ、驚かすこと、「荒れ狂う海の怪物が嵐に乗って進むのを描くこと」〔同〕はなんと容易なことか、と彼女は言う――どんな玩具製造人でもそんなことはできるし、褒めちぎられもしよう。「しかし、あるがままの、ありふれた山々や川々、どこにでも見られるような家々は、真の美と調和した形をそなえており――このような光景を静かに描くこと、あるいは、世間から遠く離れて折り重なる親しみ深い生け垣のうしろにあるものや、つつましげな山の上に立つこんもりと茂った木々といったものすべてを、構図、均衡その他にふさわしい配慮をしつつ描きだすこと――そのような仕事は最高の名人の最大限の技能を必要とし、なみの職人には数知れぬ間違いを必ず犯させるにちがいない」〔同〕

 …つづく…
(『病むことについて【新装版】』ヴァージニア・ウルフ著 川本静子編訳 みすず書房 2021年)
散歩から帰ってシャワーを浴びた後、眼科を受診。
視野検査(6ヵ月ごと)を受けました。

真っ直ぐみないとイケナイのだけど、ついつい視線が動きそうになります。
それをグッと我慢するのが辛い。
もたもたしていると光がすぐに消えるのでボタンを押すのも苦手…
終わった時は、肩がこりました。
検査結果は、正常だったのでホッ!

よくわかる緑内障―診断と治療―」(「視野の検査」日本眼科医会)
今朝の父の一枚です(^^)/

 「カリンをめぐる三角関係 【花櫚・榠樝・花梨】」つづき

 ところで、「かりん」には「花梨」という書き表し方もあって、漢字が簡単でしかもかわいらしいところから、よくつかわれています。
『広辞苑』でも、バラ科の「榠樝」の方に「「花梨」とも書く」と注意書きがあります。
ほかの多くの国語辞典も同様で、「花梨」はお酒や飴になる「榠樝」と同じだ、という立場。
ところが、中国の辞書を見ると、「花梨」は「花櫚」だと書いてあるので、頭を抱えてしまうのです。
 実際、16世紀ごろにまとめられた、あの孫悟空が大暴れする『西遊記』には、「花梨」の木箱が出てくる場面があります。
また、18世紀、才子佳人の恋模様を描いた長編小説、『紅楼夢』には、「花梨」の机が登場します。
「花梨」は家具の材料となるのです。
それは、マメ科の「花櫚」と同じではありませんか!
 とすれば、「かりん」には、「花櫚」と「榠樝」という二つの植物があるだけではなく、「花梨」と書いた場合には、日本と中国で指す植物が違うという、たいへんややこしい事態になっているわけです。
植物の名前と、それを書き表す漢字との関係はかくも複雑で、辞書編集者泣かせなのです。
(『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』 円満字二郎 岩波書店 2020年)

5分番組ですが、中国と日本で同じ漢字でも意味が違うことがわかります。
Eテレ「漢字ふむふむ