出かけるときに小雨
公園を歩き出したときは傘をさしていましたが
すぐに止んだので涼しくなるどころか蒸し暑さがましました。
あぜ道にツルボが咲いていました。
台風13号は、奄美地方を直撃している
「台風13号 奄美地方で最大瞬間風速30m超 土砂災害などに警戒を」(NHK) 「よいとまけの唄」つづき
僕は、ふとインスピレーションが湧(わ)いたので彼にまた来ると言って工事現場から帰ってきた。
帰る道すじの車に乗っかっているときから胸に溢れこぼれていたものを、家に着くと早速詩に書いてみた。
伴奏には、小さい頃うちのお風呂屋があった遊郭(ゆうかく)の辺りを、夕方になると流していた豆売りの大正琴(たいしょうごと)や竪琴(たてごと)の音色を使いたいと思った。
そのためには、メロディーは素朴で単純でなければならない。
しばらく苦吟したのち、どうやら出来上がった。
『よいとまけの唄(うた)』
(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年) さて、作ってはみたものの、人前で歌う勇気はなかった。
それから何年か経って僕の誕生日のパーティーを、家でささやかにやった。
そのとき親しいグループばかりなので、こんな曲があるんだけど、と『よいとまけの唄』を弾き語りした。
歌い終わると皆の目に涙が光っていた。
「どうして今まで歌わなかったの。こんなに良い歌、もっといろんなところで歌って、大勢の人達にも聞かせてあげなきゃ駄目じゃないの」
「そうかしら」
「そうよ勿論(もちろん)」 僕は、まず手始めにシャンソン喫茶などで歌い始めた。
冒頭の田舎っぽい掛け声に、皆はじめはコミックな歌かと思って笑い出した。
だが、その笑いの中に『よいとまけ』つまり土方仕事というものに対する色眼鏡が感じられた。
しかし、歌い進むうちに、その人達の表情は真面目(まじめ)なものに変わってゆき、最後にもう一度、冒頭と同じ掛け声をくり返したとき、笑いとは反対に涙になっていた。 カムバック第一回目のリサイタルには入れなかったが、第二回目のリサイタルには第一部に挿し入れた。
親友の雪村いづみをはじめ、歌い手仲間の友達が大変賞めてくれて、自分達も歌いたいと言ってくれた。
年輩のある画家は、この年になってみっともないことだが、泣けて仕方がなかったと言ってくれた。 それからすぐモーニングショーのディレクターだった星野さんから電話があり、『よいとまけの唄』を歌ってくれと依頼された。
朝早い時間のため、あまり良いコンディションとは言えなかったが、曲りなりにも一生懸命歌った。
歌い終わって家へ帰った。
そのあと意外なことが起こった。
NETの電話が鳴り続け、1週間後には2万通ほどの投書が舞いこみ、NET開局以来の反響になったという。
もう一度、僕はアンコールに応えた。 各社より一番先に話があったキングレコードからレコードも出した。
売れゆきも素晴らしかった。
ジャーナリストが騒いだ。
僕も嬉しかった。
小林先生をはじめ、道場の皆さん方、古い友人達もわがことのように喜んでくれた。
「これは歌謡曲とも異(ちが)うし、シャンソンでもないし、一体これは、どういうジャンルに属して、どういう名称で呼べばいんでしょうかね」と、ジャーナリストは言った。
「ええ、何でもいいですよ。勝手につけて下さい。歌はただ歌なんです。僕は歌を枠の中にはめこむのは可哀そうな気がするんです」
その結果〝社会派歌謡曲〟という名称が奉られた。
僕は不満だった。
せめて〝人生派〟ぐらいにしてほかったのに。 僕は別に社会主義者でも何とか主義者でもない。
強いて言えば、平等主義とでも言うかもしれない。
貧しくても富んでいても、親が子を想い、子が親を想う、親子の情愛には何の違いもないからだ。
それと、もう一つ滅びてゆく大正琴のようなあの人間関係の情緒を、かたちにして残しておきたかったからなのだ。
あの良き時代の、のんびりした姿を覚えているのは僕らの年代が最後なのではないか、と思ったからだ。 僕は、あの誰それのためならエンヤコーラーという言葉が大好きだ。
それは実に豊かな愛を簡単に表現している見事な言葉だ。
この言葉の中には、ヒロイズムもなければ、見返りを要求する押しつけがましさもない。
ただ、ほのぼのと暖かい無償の愛があるだけだ。 たとえば、誰かに頼みごとをした際に、
「いいですよ、あなたのためならエンヤコラよ」と言われたとする。
それを言われたとき、言ってもらった側は、ふんわりした有難味を感じるだろうし、言った側も心映えの優しい人間になったような気がするものである。
人間同志、お互いへの思いやり、それこそがこの世の最高の美なのではないだろうか。
それゆえに、職業や生活様式こそ異(ちが)え、日本中の数多い親子の人々に、この歌は肯定され受入れられたのだろう。
僕の道は間違ってはいなかったのだ。
今日も苦しい生活と闘い、不死鳥の精神で、立ち直ろうとしている希望に溢れたファンレターを読み終わり、僕は窓から愛(いと)しい東京の空を見上げる。
(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年)美輪明宏さんは、10歳の時に長崎で原爆を体験しています。
「被爆者の口に注いだ末期の水」(NHKアーカイブス)
「夢であいましょう(1961~66)」(NHKアーカイブス)
「よいとまけの唄」ではないですが、丸山明宏時代の歌う姿を見ることができます。
理想的本箱 君だけのブックガイド「宗教に悩んだ時に読む本」で、三冊の本が紹介されていました。
昨日、循環器内科を受診する前の血液検査・尿検査をしてきました。
待ち時間に読んでいた本もオススメです。
『ぴんぽんぱん ふたり話』(瀬戸内寂聴・美輪明宏 集英社文庫 2020年)
明日は「敬老の日」
先達のお話を読むと学ぶことが多いですよ!