2024年9月11日水曜日

風が吹かないかな…

たまにしか風が吹かないので暑い!
ガマズミの花が今頃咲いている…
今日も危険な暑さ
この厳しい暑さが続くと海水温も高く台風が次々と発生するみたいです。

台風13号 沖縄に14日以降 接近するおそれ 今後の情報に注意を」(NHK)
予告もなく忘れた頃に襲ってくるのが、腰痛。
月曜日から再発…次第に痛みが増してきています。
まだ歩けるので無理のない程度に散歩しました。
歩いていると気付け薬のように痛みが走る…
痛み止めを飲むと腸にくるので
ひたすら日にち薬で1週間ほどかな?

途中で不整脈の持病がある方と立ち話。
その方は、息子さんが風邪をひいた後、今度は、ご自身が発熱…
検査を受けるとコロナ陽性だったそうです。
息子さんは、検査を受けなかったようですが、息子さんから感染したようです。
ワクチンをしていても発症するのは、
暑さで寝不足になり体力が落ちたからかもしれませんねと話していました。
美輪明宏さんの歌で好きなのが「よいとまけの唄」(当時は、丸山明宏)。
歌が誕生したエピソードが

 よいとまけの唄

 日本橋の方へ小さな用事で行った帰り際、とある工事現場の前を、車を拾おうと歩いていた。
背後から、「おうい、丸さあん」と、呼ぶ声がした。
こんな所で誰だろうと振り返ってみると、真っ黒に日焼けした顔に黄色いヘルメットを被った若い男が手を振っていた。
こちらも歩み寄って、よくよく見つめなおすと、むかし銀座で会ったことのある顔だった。
 「何やってんの、こんなところで?」
 「うん、見りゃわかるだろう、現場監督さ。エンジニアの卵になったんだよ」
 「そう、よかったね。兎(うさぎ)と亀(かめ)の駆け比べ、どうやら僕の方が負けたみたいね」
 「いや、そんなことないよ。丸さんだってこんなに有名になっちゃったじゃないか」
(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年)
 何年か前、銀座でカーバイトを焚(た)いて、細々と舶来の品物を夜店に出していた彼。
 僕がグローブインに出勤しようと角を曲がったとき、与太者風な男に言いがかりをつけられている白いワイシャツに黒いズボンの学生風の男が見えた。
ショバ代がどうだとか言う言葉が聞こえた。
見ると言いがかりをつけている男は、うちの店へもときどき顔を見せる男で、たまに思い出したように僕を口説いている男だった。
僕は中へ入って、なんとか円く納めてあげた。
 若い学生は店がはねる頃、お礼にとタイガーのオーデコロンを一瓶持って来た。
僕は辞退して、そのかわり夜食に誘った。
 そして彼の話を聞くと、僕は胸が一杯になってしまった。
大連(だいれん)の方から上海(シャンハイ)へ渡り、そこから引き揚げてきたのだという。
使用人の裏切りによって目前で両親を惨殺された後、支那(しな)人の乳母に助けられた。
幼い身で親切な同胞の大人達に縋(すが)りながら、たった一人で故郷の土を踏み、福岡の祖父を訪ねた。
 お祖父(じい)さんは貧しく一人で暮らしていたが、彼を中学にあげるため、クズ屋などまでやりながら、必死になって働いて養ってくれた。
彼もお祖父さんに負けず、新聞配達のアルバイトをした。
しかし彼はどこまでも不運だった。
無理がたたって、お祖父さんはリヤカーを引きながら途中で行き倒れになり、彼が学校から帰ると警察から迎えに来ていた。
 彼は、たった一人でお祖父さんの遺体をリヤカーに積み火葬場で荼毘(だび)にふした。
 たった一人の葬式。
お祖父さんの遺体が焼き上がってしまう間、彼は考えた。
(さあ、これからどうしよう)
 彼は機械いじりが好きだったのでエンジニアになりたいと思った。
それには、ちゃんと学校に行かなければならない。
外地から一人で引き揚げて来たほどの勇気のある少年だ。
 そのファイトと生活力は大したものだった。
さまざまなアルバイトをしながら苦学を続け、僕と知り合った頃はT大の建築科に籍を置いていたのだった。
僕は当時、不満だらけで、毎日毎日が憂鬱(ゆううつ)でならなかったが、彼の話を聞いて目が覚めたように思えた。
僕なんかまだいい。上には上があるものだ。
僕なんかの苦労は彼の苦労に比べたら物の数ではないではないか。
 「じゃねえ、君と僕と、どっちが先に駆け着くか兎と亀の駆け比べをしようよ」
 あれから僕もどうにかなって、贅沢(ぜいたく)さえ言わなければ、食べるものも、着るものも、住むところもある。
 「いやあ、あれからちょっと体が参ってね、往生したよ」
 言葉とは、うらはらに明るく笑いとばしている黒目勝ちの見上げた瞳(ひとみ)に青い秋の空が映って美しい。
騒音に混じった、だが爽(さわ)やかな快い風が、二人の煙草(たばこ)の煙を紫にくゆらせる。
 「じゃ、エンジニアになれたお祝いに、お赤飯たいてお祝いしましょう。勝負は引き分けにして僕の分も君に祝ってほしいから。今夜来るでしょう?」
 そう言った僕の誘いには返事もせず、みるみる彼の顔が可愛(かわい)くゆがんで下を向き、涙をこぼしている。
僕は何のことかわからず、
 「どうしたの、一体?」
 と、優しくたずねると、彼はかぶりを振りながら、
 「ううん、何でもない。僕は嬉しいんだ。どうもありがとう。今まで僕のことでお赤飯なんか炊いて祝ってもらったことなんて、一度もなかったんだ。だから……」
 僕は何か言おうと思ったが、何も言えず、ただうなずいていた。
思いきって立ち上り、
 「じゃ、とにかく用意しているからね。きっと、いらっしゃいよ」
 その夜、一張羅(いっちょうら)の背広を着こんで、やって来た。
何も知らぬお手伝いさんは、どこかのボーイフレンドを連れ込んだものと早合点している。
だが、私は何も言わない。
二人の関係について、いちいち、そういう釈明をすることが、浄(きよ)らかなものを冒涜(ぼうとく)するように思えたからだ。
  二、三日経(た)って、彼の工事現場にジュースなどを差し入れるため、僕は工事場へ足を運んだ。
腕組みをして立つ彼の向こうに、ズシンズシンと地ならしの機械が音を立てる。
大きな機械は、大自然の土にも負けないほどの力を感じさせた。
(世の中も変わったものだ)

 …つづく…

(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年)
今朝の父の一枚です(^^)/
カワセミを写せて大喜びでした!

第4章 都市の河川や池の水鳥―カワセミ
 「✤カワセミ復活の原因」
のつづき

 …前略…

 繁殖場所も、自然の崖に穴をほるだけでなく、ずいぶんと人工的な場所を利用することがわかってきた。
コンクリート化した護岸の排水口、水抜きのためのパイプ、あるいは、河川からやや離れた場所の砂利採取跡地などでも営巣している。
相模原市のゴルフ場では、工事のために山盛りにした土に巣穴のをほっている。
自然教育園では、1988、89年の2年にわたし、枯れ木や折れた枝などを焼却するために地面に掘った四角の穴(たて7メートル、よこ6メートル、深さ約2メートル)の壁面に巣穴をほって繁殖した(矢野亮、1989)。
このように見てくると、カワセミの復活はけっして都市河川の自然が回復したこととは結びついてこない。
 …攻略…
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)