父の誕生参りで石清水八幡宮へ。
今日は、二十四節気の「白露」。
町中はうだるような暑さですが、
八幡さんが鎮座する男山(おとこやま)では、涼しい風が吹いていました。
お祓いの後、若宮社にタスキを納めました(女性は若宮殿社)。
父は昭和6年9月7日生まれ。
今日は令和6年9月7日。
「6・9・7」と数字が並んだので喜んでいました。9月の言葉
〔三百四十二〕令和六年九月
神輿(しんよ)くだらせ給ふ時は 行幸(ぎょうこう)の儀式にて
音楽のこゑ雲を驚かし 衣冠のよそほひ日にかがやけり
一條兼良(いちじょうかねら)『世諺問答(せげんもんどう)』より 【意味】石清水放生会の「神幸ノ儀」において、未明から早暁にかけて神輿(鳳輦)が山上本宮から山麓の頓宮へとお下りになる時は(天皇陛下の)行幸の儀式と同じ形式で執り行われ、その時に奏でられる荘重な雅楽の音色は、薄明の空にたなびく雲さえ驚かし一斉に浮き立たせて神輿に付き従う神官や楽人たちが身にまとう衣冠の晴れやかな装いは、雲の間から眩い光を放ち始めた朝日に照り映えて、より一層美しく輝いて見えるのです……。
【出典】 『羣書類従』巻第五百五―雑部―所収「世諺問答」より 一條兼良 応永九年(1402)~文明十三年(1481)。室町時代の公卿・学者。名は「かねら」または「かねより」とも読む。関白左大臣・一條経嗣(つねつぐ)の六男。位は従一位に至り、摂政、関白、太政大臣等を歴任、准三宮(じゅさんぐう)の称を授かる。子に一條教房(のりふさ)、同冬良(ふゆら)、大乗院尋尊(だいじょういんじんそん)らがいる。学者としての声望高く、当時「日本無双の才人」と評された。特に有職故実・歌道に詳しく『源氏物語』の注釈書や『樵談治要(しょうだんちよう)』等の政道指南書、その他数多くの著書を残した。ここに掲げた『世諺問答』は、年中行事の由来根源について各行事毎に問答形式で解説を施したもの。 石清水八幡宮 仏教の影響を受けてきた歴史を色濃く残す供花神饌
●仏教の不殺生の教えに基づく石清水放生会
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府南部の淀川左岸、男山(142.5メートル)の山上の約8万坪の広大な自然林の中に鎮座している。
八幡造りの御社(おやしろ)は、照葉樹の椎や椿をはじめ、竹や楠が鬱蒼と茂るその中に鎮まり、山麓からその鮮やかな朱赤の建物を見ることができる。
(『神饌 神様の食事から“食の原点”を見つめる』南里空海 世界文化社 2011年) 鎮座の由来は、貞観(じょうがん)元年(859)、奈良大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が、九州の宇佐神宮(うさじんぐう)に参籠中、「都近き男山の峯に遷って国家を鎮護せん」と、八幡神の御託宣(ごたくせん)を受けて、初めは男山の対岸の大山崎郷(おおやまざきごう)に祀った。
再び「男山の山上に移座するように」との御託宣があり、これにより、清和(せいわ)天皇が、男山に社殿を建立し、その翌年に、三柱の御祭神(八幡三所大神)が鎮座した。
男山中腹には、八幡神が遷座される以前に、霊泉・石清水が湧き出て、近くには薬師如来(やくしにょらい)を本尊とする石清水寺(後の護国寺<ごこくじ>)があり、行教はこの寺を崇敬していたといわれ、石清水八幡の社号はここから来ているともいわれている。 石清水八幡宮は、伊勢の神宮に次いで、国家第二の宗廟(そうびょう<皇室の先祖を祀る>)として、朝廷をはじめ多くの人々の尊崇を受けてきた。
御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、比咩大神(ひめおおかみ<多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神(むなかたさんじょしん)>)、神功(じんぐう)皇后(息長帯比賣命<おきながたらしひめのみこと>)。
神功皇后は仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、仲哀天皇が急死した時、身重の体ながら、朝鮮半島の新羅(しらぎ)を攻略して、帰国後に皇子(後の応神<おうじん>天皇)を出産しした。
このことから、八幡神は国家鎮護の神であると共に武神、安産の守り神とされてきた。
古より、都の鬼門(東北)と裏鬼門(西南)の方角は神社・寺院で守るとされ、東北の比叡山延暦寺に対し、平安京の西南に位置する石清水八幡宮も、都の守護、国家鎮護の神として崇められてきた。 創建の謂れにもあるように、石清水八幡宮は仏教と深い関わりをもち、現在も石清水祭で行なわれている放生行事(ほうじょうぎょうじ)は、貞観5年(863)に始められたもので、生ける魚や鳥を解き放ち、平安を祈るという、仏教の不殺生の教えに基づくものである。
この石清水放生会(ほうじょうえ)が、勅祭(ちょくさい)石清水祭として斎行されたのは天暦(てんりゃく)2年(948)。 およそ1000年前に始まった石清水祭は、勅使参向(ちょくしさんこう<天皇陛下の御使い。太政官(だじょうかん)勤務の最高位者が勅使として行事を執り行う。現在は、宮内庁の掌典(しょうてん)が束帯(そくたい)という正式な装束で務める>)のもとで行なわれる。
この石清水祭は、上賀茂神社・下鴨神社の賀茂祭(葵祭)、春日大社の春日祭と共に三大勅祭の一つに数えられている。 石清水祭は9月15日の真夜中の2時から、旧儀そのままに始まり、午前3時・神幸之儀(しんこうのぎ)、午前3時40分・絹屋殿之儀(きぬやでんのぎ)(ここまでは私祭。これ以降は官祭)、午前4時15分・頓宮神幸之儀(とんぐうしんこうのぎ)、午前5時30分・奉幣之儀(ほうべいのぎ)、午前8時・放生行事、午前10時・舞楽奉納、午後1時・演武奉納、午後5時・還幸之儀(かんこうのぎ)と、夜8時まで延々と続く。
(『神饌 神様の食事から“食の原点”を見つめる』南里空海 世界文化社 2011年)
こんばんは~
返信削除今日はいいお天気で良かったです~
と、普段なら秋晴れの気持ちいい頃。。。
今年はまだまだ暑い日が多いです。
今日も白露と思えないほど暑かったですね。(#^.^#)
お父様のお誕生日のお参り。。
お元気で階段を上がられたのですね。
おめでとうございます。
>父は昭和6年9月7日生まれ。
令和6年に、昭和6年とお揃いの9月7日のお参り。
いいお参りになられたことと思います。
9月15日の石清水祭が三大勅祭の一つなのですか!
kazeさんのところで。。。
いつも「そうなんだ!」と、教えてもらえることがいっぱいです。
有難うございます。
教えていただいたことを忘れないように。。
と思うのですが、どんどん忘れること多くなって
困りものです。(;^ω^)
石清水祭は、忘れないような気がします。
(9.15は、結婚記念日です(*'▽'))
カイさんおはようございます(^^)/
削除>今日も白露と思えないほど暑かったですね。(#^.^#)
これだけ暑いと体力が弱りますね…
そのこともあってコロナを発症したのかなと思います。
>お父様のお誕生日のお参り。。
ありがとうございます。
年々、階段を上るのが辛そうですが
持ち前の根性で石段や本殿の階段を上がりました!
>石清水祭は、忘れないような気がします。
>(9.15は、結婚記念日です(*'▽'))
なるほど!
記念日に由緒ある祭があるのがいいですよね(^_^)v
今日もリハビリ散歩に出かけていますが
blogの更新を休んで調べたいなとおもうことを
本を読んで転記したりしています。
『神饌』もカラー写真が豊富で興味深い本です。
図書館で借りて読みました。
調べたいことがあるとblogの更新を2,3日休むことがあるかもしれません。
ただ、見ながら転記しているので間違いがあると思いますので
紹介している本に興味がありましたら
図書館で借りて読んでみてください。