昨日、蕾だった彼岸花
「暑さ寒さも彼岸まで」とは言うけど10月を過ぎても暑い日が続きそう……
今朝の天気予報で「猛烈な残暑」になると話していました。
「ワルイコあつまれ(98)稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾と学ぶ教育バラエティー」
子ども記者会見の質問内容がするどかったです!
そこで紹介されていた国連が作った未来の気象ニュースを伝える動画
「未来の天気予報 今なら予報を変えられる」(UNDP駐日代表事務所)昨日の画像ですが、出会ったカマキリがイネを守ってくれていた。
スーパーのコメの棚はすぐに空っぽになり、数日、米袋がない状態が続いています。
朝日新聞「天声人語」に米不足に関連して二つの記事があった。
…前略…
▼そんな折、小川真如(まさゆき)著『日本のコメ問題』を読み、今回の問題の根が見えた気がした。
自給を達成した年や生産調整で「作らせない政策」が本格化した年など、コメ問題を歴史的な転換点から描いていて興味深い。
▼著者は、「コメを余らせないこと」ばかりに国は関心を寄せてきたと指摘する。
生産調整で余った田んぼをどう使うかといった、長期の視点に欠けていたと。
コメ余りを避けようとぎりぎりの政策を推し進めたため、小さな変化にも動揺する状況を招いたように思える。
▼米屋さんから「暑さに強い品種」だと勧められ、土鍋で炊いた。
このおいしさを未来に伝えていかなくてはと、おこげをかみしめた。
2024・8・21 …前略…
▼虐殺が多発したのは、「朝鮮人が放火をした」といった流言が広まったためだ。
中心になったのは自警団だが、実は震災の数年前から結成が進んでいたという。
きっかけは1918年、米の価格暴騰で起きた米騒動である。
▼生活に困窮し、米の適正価格を求めた民衆の動きは全国に広がった。
一部で商店や警察署を襲うなど過激化した一方、消防組や在郷軍人会などと警察が連動して鎮圧につながった例もあった。
▼佐藤冬樹著『関東大震災と民衆犯罪』によると、米騒動で鎮圧した成功例に注目した警察は、民衆を威圧せずに取り込む方が効果的だと考えた。
暴動時に自ら鎮める下部組織を結成し、「民衆の警察化」に力を入れていく。
▼震災での迅速な自警団の結成には下地があった。
「コメ不足」を案じる今、その事実にようやく気づいた。
この数日は「ノロノロ台風」にいらだちつつ、震災時も台風が通過中だったと思い至った。
強風で火災が広がった恐怖から流言を信じた人はいなかったか。
今のSNS社会でその恐れはないかと。
▼歴史は繰り返し学ぶたび、新たな気づきがある。
それができるのも、101年前の記録が残され、現在も発掘されて検証と研究が続いているからだ。
そう、記録はある。
2024・9・1
「1923年9月1日 : 関東大震災と天気」(北本朝展@国立情報学研究所) 「よいとまけの唄」つづき
確かあれは、小学校二年のときだったと思う。
父兄の参観日で、子供達は自分らの母親達が着飾って来ているのが嬉しくて、そわそわしていた。
教室の後方で、実に巧みなほどの盗み見で、互いに服装を上から下まで値ぶみしている浅ましい母親達の姿に、僕はぼんやりとした失望を感じていた。
その中で一人、後から遅れて入ってきた母親があった。
半天(はんてん)を着てモンペをはき、手には慌てて頭から外した手ぬぐいをしぼるようにして握りしめ、大きな体を一番隅で、小さく縮めて立っている。
(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年)
教室で一番汚くて出来の悪い子のお母さんだった。
休み時間になると子供達は自分らの親や兄弟のそばへ寄る。
出来が悪いわりに腕白なので、皆に嫌われ、いじめられていたその子の母親は、どんな人だろうと皆いじわるそうな目で見ていた。
軽薄に着飾ったほかの母親達の目つきは殊にいやらしかった。
僕のお母さんは、簡単な普段着のワンピースを着てすんなりとやわらかかった。
それで僕は安心した。 あの母子(おやこ)は、どうしているだろうとみると、寄ってきたわが子の鼻をたらした顔へ母親は顔をつけて、いきなりその子の鼻を吸い、ペッと器用に庭に吐き出した。
おお汚い。
僕は顔をしかめたが、まわりの目などは一切お構いなしに、今度は手にした手拭(てぬぐい)で子供の汚れた顔を拭(ふ)いてやっている一生懸命な母親の姿を見ていると、ちょっと動物的でもあるが、何だか言いようのない感動で釘(くぎ)づけになってしまった。
ほかの着飾った母親達より、その子のお母さんが一番母親らしい姿に思えて、みるみるうちに、その母の心が教室一杯に拡がっていくように思えた。 その日から僕は、友達のいないその子をいじめるのを止(や)めた。
ときどき連れ立って学校の帰りに、その子の母親が働いているところへ行ったりもした。
家を建てるための地ならし。
それはめでたい祝いごとなので、よいとまけのおばさん達は家を建てる人への心意気を示しているのだろう、日焼けして真っ黒な顔に、白粉(おしろい)をはたき、下手に口紅を塗り、頭は自分で結ったらしい小さな丸髷(まるまげ)に真新しい手拭いをかけている。
黒い肌にはたかれた白粉で、何だか顔が妙なねずみ色に見える。
しかし皆は明るい。
祝いの振舞酒を飲んで、ワイワイ、ガヤガヤ笑いを交わしている。 その子のお母さんは、わが子にやっと友達ができたのを喜んでいるらしく、僕達がゆくと、
「おう、坊や達来たね」
とやっこらさとやって来て、メリヤスの腹巻きから、古くなった酒屋の前かけを直して作ったらしい財布を出した。
そして僕達に五十銭ずつお小遣いをくれる。
(あらぁ、こんなに貧乏な人からお金を貰<もら>っていいのかしらん)
と思いながらも、つい嬉しくて貰ってしまう。 仕事が始まると、よいとまけのおばさん達は、地ならしのための重しを引っ張るため、いったん高い木組に上がった数本の繩を互いに分け持ち、威勢のいい掛け声と共に綱を引く。
互いに自分の番が来ると、即興で思いついた歌を歌い、誰(だれ)それのためならエンヤコーラーと力一杯叫ぶ。
その子のお母さんは、にっこりとこっちを見ながら、「ヨシオのためならエンヤコーラー」とやった。
何だか僕は、そのヨシオ君が羨(うらやま)しくなって、ほのぼのと彼の汚い顔にうなずいた。
…つづく…
(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年)