年々というか日々というか…
時の経つのが速い(^_^;
昨日、降り続いた雨のおかげでヒンヤリしていたけど
歩いている間に暑くなりました。
コゲラの親子
お父さん(赤いリボンが目印↓)が子どもの世話をしていました。
朝ドラ「虎に翼」の優三さんも優未ちゃんと
もっと親子の時間を過ごしたかっただろうなぁ
モデルがある優三さんは、運命を変えられないだろうけど
轟は、南方かどっかの収容所から復員してくるだろうし
よね、凉子、梅子、香淑、玉たちとも再会すると勝手に思っています(^_-)
石塊ボークィさんの投稿(5月30日)昨日、降り続いた雨のおかげでヒンヤリしていたけど
歩いている間に暑くなりました。
コゲラの親子
お父さん(赤いリボンが目印↓)が子どもの世話をしていました。
朝ドラ「虎に翼」の優三さんも優未ちゃんと
もっと親子の時間を過ごしたかっただろうなぁ
モデルがある優三さんは、運命を変えられないだろうけど
轟は、南方かどっかの収容所から復員してくるだろうし
よね、凉子、梅子、香淑、玉たちとも再会すると勝手に思っています(^_-)
こんな素敵な日本国憲法の超訳、見たことないよ。
それに気がついて、朝からもうずっとずっと泣いてる。
優三さんのあの言葉は「基本的人権」に込められた思いを、もんのすごく柔らかく説明したものなんだよ。
ちいさんの投稿(5月31日)
優三さんが新憲法だとするといなくなった女子部の四人の仲間ってもしかして
「人種」「信条」「性別」「社会的身分又は門地」...?!
玉を含めてそれぞれに大事な役割がまだ残っている!
特に、よねは蹴り上げるなどして
根性を入れ直さないといけないのが再登場するみたいだし(^_-)朝ドラ「虎に翼」第9週「男は度胸、女は愛嬌?」 (45)などで
優三が寅子にかけた言葉
トラちゃんができるのはトラちゃんの好きに生きることです。
また弁護士をしてもいい違う仕事を始めてもいい。
優未(ゆみ)の いいお母さんでいてもいい。
僕の大好きな あの何かに無我夢中になってる時のトラちゃんの顔をして何かを頑張ってくれること。
トラちゃんが後悔せず心から人生をやりきってくれること。
それが僕の望みです。
優三は、寅子がくじけそうになるたびに声をかけてくれそうですね。 崔誠姫さんの投稿(5月30日)
トラちゃんが闇市で焼き鳥2本を買うも食べられず、女将さん(イントネーション的に朝鮮人と思われる。演者は金民樹さん)が包んで持ってきてくれた新聞紙に新憲法の記事が載っている。
河原(多摩川か)で憲法14条を読む一話冒頭に、ここで繋がった。
安田菜津紀さんの投稿(5月31日)
#虎に翼 で描かれている世界の片隅で、私のハルモニ、ハラボジも必死に生きていただろう。
1947年5月2日、天皇最後の勅令である外国人登録令が出され、この時点から「外国人」扱いされた朝鮮ルーツの人々は、翌日施行される日本国憲法の「国民」から除外され、社会保障制度からはじき出されていく。
國本依伸さんの投稿(5月31日)
実はGHQが日本政府に提示した当初案には、外国人の人権条項がありました。
ただGHQは日本側への譲りしろと考えていたらしく、削除にあっさり同意しました。
さらに日本国は新憲法施行前日つまり天皇主権の大日本帝国最終日に勅令で、旧植民地出身者から日本国籍を一方的に剥奪しました。
#虎に翼
寅子が見ていた日本国憲法
第13条「すべて国民は 個人として尊重される。
生命 自由及(および)幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」。
第14条「すべて国民は 法の下に平等であって人種 信条 性別社会的身分又(また)は門地により政治的 経済的又は社会的関係において差別されない」。
の条文について『新書わたくしたちの憲法』の「立ち読みをする」が参考になると思います。
この本は、1955年(昭和30年)5月に出版された後、何度か補筆・修正されています(「あとがき」より)。条文は省略しますが「国会関係法規-日本国憲法」(衆議院)をご覧下さい。
第24条 結婚は、本人同士の考えできめる。
また、家族生活に関係ある、さまざまなことについて、法律をつくるばあいには、いつでも、家族のなかの一人ひとりがたいせつであること、男女が平等であること、を忘れないようにしなければならない。
(『新書わたくしたちの憲法』宮沢俊義 国分一太郎 有斐閣 1987年) ♣雪子の研究ノートから
このあいだ、国語の時間に、先生が、山田とし子さんの書いた、作文を読んでくださいました。
それは、山田さんのねえさんが、とてもいやがっているのに、おとうさんとおかあさんから、となり村の、リンゴ畑でうんとお金をもうけている家に、おようにいけと、しつっこくいわれるので、ねさんは、ときどき泣いていることがあるという作文でした。
ねえさんが、山田さんに、「およめにいくのは、わたしなのに、わたしの気持を少しも考えてくれないんでもの」といったということも書いてありました。
わたくしたちは、その作文をよんで、いろいろなことを勉強しました。 第一に、結婚というものは、男にとっても、女にとっても、一生のうちで、いちばんだいじなことですから、本人同士の考えできめなければならないということ、第二に、男も女も二十歳以上になれば、親に許してもらえなくても、ふたりで約束して、役所にとどけさえすれば、自由に結婚できること、第三に、いったん、結婚したら、男女同権の考えかたをわすれないで、なかよく暮さなければならないこと、――などでした。
だから、山田さんのねえさんが、相手の男の人がきらいだったら、むりに、おとうさん、おかあさんのいいつけをきかなくてもよいのだ、ということが、よくわかりました。
それから、日本の家庭では、家の主人は、おとうさんであるとの考えかたから、一人ひとりの気持や考え方をだいじにしないならわしがのこっているので、こういう悲しいことがおこるのだということがわかりました。
山田さんのねえさんとしては、たいへんつらいことでしょう、けれども、いやなことは、どこまでも、いやだと、がんばる勇気をもたなければならないと思いました。
民主主義の家庭をつくるには、このようなことが、たいせつなのだと、つくづく思いました。 このほか、憲法には、結婚のことだけでなく、わたくしたちの家族のあいだの生活についても、一人ひとりの人権をたいせつにすること、男女同権だというこを忘れるなと書いてあります。
だれの家でも、おとうさんが家の「主人」だといって、いつもいばっているのは、まだまだ民主主義になっていないしょうこだと思います。
家庭というのは、夫と妻と子どもたちみんなのためのものですから、もっともっと、一人ひとりの気持をだいじにして、なかよく暮らさなければならないと思います。
おかあさんやわたくしが、「女のくせに」などといわれて、意見をいうことができず、「はい、はい」とばかりいっているのも、古くさいことだと思います。 憲法では、男も女も、兄も、姉も、弟も、妹も、みんな、一人ひとりの人間だから、差別をしてはならないときめています。
だから、「民法」という法律でも、この考えをとりいれて、親たちが死んでも、家の財産をうけつぐときには、子どもたちみんなが、同じようにわけてもらえることにしているそうです。
また、家の主人のことを、むかしは戸主(こしゅ)といっていましたが、いまはなくなってしまいました。
役所にある戸籍(こせき)には「筆頭者(ひっとうしゃ)」としてあります。 昔は、いなかの家々に、たいそう古い習慣がありました。
いろりばたには、家の主人でなければ、すわってはいけない「横座(よこざ)」というのがありましたし、ある家では、およめさんは、板の間(ま)の方でなければ、ごはんを食べてはいけないというようなしきたりもあったのです。
おふろの入りかたにも、ひとりでに、きまった順序がついていました。
山田さんのねえさんのようなのは、まだよいほうで、すこし前までは、本人はすこしも知らないのに、「あそこによめにいけ」「あそこのむすめをもらえ」「何日が結婚式だ」などと、親たちにいわれて、結婚したということも、しばしばあったそうです。
わたくしたちは、こんなことを早くなくさなければなりません。
また、男の子が生まれると、「十両だ」といい、女の子が生まれると、「五両だ」などということもあって、男と女を、このように差別したのでした。
こういうことを、いろいろ考えてみると、「日本の民主化は家庭から、男女の平等から」ということが、ほんとうにたいせつのように思います。
(『新書わたくしたちの憲法』宮沢俊義 国分一太郎 有斐閣 1987年)
「五日市憲法草案」(小学6年)
「ジェンダーってなに?」(小学6年)今朝の父の一枚です(^^)/
スズメバチを写していました。
父の写しているスズメバチは在来種ですが
「外来生物対策-ツマアカスズメバチについて」(環境省)
「救荒食と嗜好品」つづき
蘇鉄は有毒植物であるが、手順よく毒を取り除けば食用となった。
琉球王朝の正史である『球陽』には、康熙53(正徳4・1714)年に、南風原(はえばる)の嘉数(かすう)という者が凶作に備えて蘇鉄を広めたため、王府が功績を称え、黄冠位を与えた旨が記されている。
さらに、先に見た蔡温の『農務帳』では、蘇鉄は凶作の時に格別重宝なものであるから、植え続けるよう指示している。
その利用法については、雍正12(享保19・1734)年2月29日の「首里王府高所覚」に詳しく、蘇鉄の調理法や解毒法などを具体的に解説している。
王府は、蘇鉄を救荒食として、民衆が利用できるよう指導したのである。
…後略…
(『江戸の食生活』原田信男 岩波現代文庫 2009年)
夫婦で続けて朝ドラに出演されていますね(^_-)
小雪さんの番組で紹介されていたのが
小雪と発酵おばあちゃん「奄美大島 ナリ味噌」(2023年6月18日放送)
安田菜津紀さんの投稿(5月31日)
#虎に翼 で描かれている世界の片隅で、私のハルモニ、ハラボジも必死に生きていただろう。
1947年5月2日、天皇最後の勅令である外国人登録令が出され、この時点から「外国人」扱いされた朝鮮ルーツの人々は、翌日施行される日本国憲法の「国民」から除外され、社会保障制度からはじき出されていく。
國本依伸さんの投稿(5月31日)
実はGHQが日本政府に提示した当初案には、外国人の人権条項がありました。
ただGHQは日本側への譲りしろと考えていたらしく、削除にあっさり同意しました。
さらに日本国は新憲法施行前日つまり天皇主権の大日本帝国最終日に勅令で、旧植民地出身者から日本国籍を一方的に剥奪しました。
#虎に翼
寅子が見ていた日本国憲法
第13条「すべて国民は 個人として尊重される。
生命 自由及(および)幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」。
第14条「すべて国民は 法の下に平等であって人種 信条 性別社会的身分又(また)は門地により政治的 経済的又は社会的関係において差別されない」。
の条文について『新書わたくしたちの憲法』の「立ち読みをする」が参考になると思います。
この本は、1955年(昭和30年)5月に出版された後、何度か補筆・修正されています(「あとがき」より)。条文は省略しますが「国会関係法規-日本国憲法」(衆議院)をご覧下さい。
第24条 結婚は、本人同士の考えできめる。
また、家族生活に関係ある、さまざまなことについて、法律をつくるばあいには、いつでも、家族のなかの一人ひとりがたいせつであること、男女が平等であること、を忘れないようにしなければならない。
(『新書わたくしたちの憲法』宮沢俊義 国分一太郎 有斐閣 1987年) ♣雪子の研究ノートから
このあいだ、国語の時間に、先生が、山田とし子さんの書いた、作文を読んでくださいました。
それは、山田さんのねえさんが、とてもいやがっているのに、おとうさんとおかあさんから、となり村の、リンゴ畑でうんとお金をもうけている家に、おようにいけと、しつっこくいわれるので、ねさんは、ときどき泣いていることがあるという作文でした。
ねえさんが、山田さんに、「およめにいくのは、わたしなのに、わたしの気持を少しも考えてくれないんでもの」といったということも書いてありました。
わたくしたちは、その作文をよんで、いろいろなことを勉強しました。 第一に、結婚というものは、男にとっても、女にとっても、一生のうちで、いちばんだいじなことですから、本人同士の考えできめなければならないということ、第二に、男も女も二十歳以上になれば、親に許してもらえなくても、ふたりで約束して、役所にとどけさえすれば、自由に結婚できること、第三に、いったん、結婚したら、男女同権の考えかたをわすれないで、なかよく暮さなければならないこと、――などでした。
だから、山田さんのねえさんが、相手の男の人がきらいだったら、むりに、おとうさん、おかあさんのいいつけをきかなくてもよいのだ、ということが、よくわかりました。
それから、日本の家庭では、家の主人は、おとうさんであるとの考えかたから、一人ひとりの気持や考え方をだいじにしないならわしがのこっているので、こういう悲しいことがおこるのだということがわかりました。
山田さんのねえさんとしては、たいへんつらいことでしょう、けれども、いやなことは、どこまでも、いやだと、がんばる勇気をもたなければならないと思いました。
民主主義の家庭をつくるには、このようなことが、たいせつなのだと、つくづく思いました。 このほか、憲法には、結婚のことだけでなく、わたくしたちの家族のあいだの生活についても、一人ひとりの人権をたいせつにすること、男女同権だというこを忘れるなと書いてあります。
だれの家でも、おとうさんが家の「主人」だといって、いつもいばっているのは、まだまだ民主主義になっていないしょうこだと思います。
家庭というのは、夫と妻と子どもたちみんなのためのものですから、もっともっと、一人ひとりの気持をだいじにして、なかよく暮らさなければならないと思います。
おかあさんやわたくしが、「女のくせに」などといわれて、意見をいうことができず、「はい、はい」とばかりいっているのも、古くさいことだと思います。 憲法では、男も女も、兄も、姉も、弟も、妹も、みんな、一人ひとりの人間だから、差別をしてはならないときめています。
だから、「民法」という法律でも、この考えをとりいれて、親たちが死んでも、家の財産をうけつぐときには、子どもたちみんなが、同じようにわけてもらえることにしているそうです。
また、家の主人のことを、むかしは戸主(こしゅ)といっていましたが、いまはなくなってしまいました。
役所にある戸籍(こせき)には「筆頭者(ひっとうしゃ)」としてあります。 昔は、いなかの家々に、たいそう古い習慣がありました。
いろりばたには、家の主人でなければ、すわってはいけない「横座(よこざ)」というのがありましたし、ある家では、およめさんは、板の間(ま)の方でなければ、ごはんを食べてはいけないというようなしきたりもあったのです。
おふろの入りかたにも、ひとりでに、きまった順序がついていました。
山田さんのねえさんのようなのは、まだよいほうで、すこし前までは、本人はすこしも知らないのに、「あそこによめにいけ」「あそこのむすめをもらえ」「何日が結婚式だ」などと、親たちにいわれて、結婚したということも、しばしばあったそうです。
わたくしたちは、こんなことを早くなくさなければなりません。
また、男の子が生まれると、「十両だ」といい、女の子が生まれると、「五両だ」などということもあって、男と女を、このように差別したのでした。
こういうことを、いろいろ考えてみると、「日本の民主化は家庭から、男女の平等から」ということが、ほんとうにたいせつのように思います。
(『新書わたくしたちの憲法』宮沢俊義 国分一太郎 有斐閣 1987年)
「五日市憲法草案」(小学6年)
「ジェンダーってなに?」(小学6年)今朝の父の一枚です(^^)/
スズメバチを写していました。
父の写しているスズメバチは在来種ですが
「外来生物対策-ツマアカスズメバチについて」(環境省)
「救荒食と嗜好品」つづき
蘇鉄は有毒植物であるが、手順よく毒を取り除けば食用となった。
琉球王朝の正史である『球陽』には、康熙53(正徳4・1714)年に、南風原(はえばる)の嘉数(かすう)という者が凶作に備えて蘇鉄を広めたため、王府が功績を称え、黄冠位を与えた旨が記されている。
さらに、先に見た蔡温の『農務帳』では、蘇鉄は凶作の時に格別重宝なものであるから、植え続けるよう指示している。
その利用法については、雍正12(享保19・1734)年2月29日の「首里王府高所覚」に詳しく、蘇鉄の調理法や解毒法などを具体的に解説している。
王府は、蘇鉄を救荒食として、民衆が利用できるよう指導したのである。
…後略…
(『江戸の食生活』原田信男 岩波現代文庫 2009年)
夫婦で続けて朝ドラに出演されていますね(^_-)
小雪さんの番組で紹介されていたのが
小雪と発酵おばあちゃん「奄美大島 ナリ味噌」(2023年6月18日放送)