日ざしがつよくて突きさすみたいでした。
「世のはかなさ表す“沙羅双樹の花”京都 東林院で見頃に」(京都NHK 6月10日)吉田恵里香さんの投稿(6月10日)より
……
私は、透明化されている人たちを描き続けたい。
……
長年刷り込まれてきた様々な嫌悪感や差別に対して、何か少しでも変わっていくことを望みます。
……
こういうことを作家が書くことが嫌な人もいるだろうけど、言わなきゃいけないことは言わなきゃいけないんです。ごめんね!
一部だけですので全文をお読み下さい。
私は、同性愛などを理解することはできません。
でも、そういう形もありだなと思っています。
理解できないといって排除する世の中は恐いです。
ヒトラーが抹殺しようとしたのはユダヤ人だけではありません。
障碍者や働けなくなった老人、社会に役に立たないと見なされた人々を抹殺しようとしました。
「それはホロコーストの"リハーサル"だった~障害者虐殺70年目の真実~」(ETV特集 2015年) 「アメリカでの市川房枝先生」つづき
市川先生と私は、大統領の考えに納得したわけではなかったが、世界のトップから日本についての考えが聞けたこと、アジア人で一番最初にアメリカ大統領との会見に成功したことで、一層親密になった。
妹だけが知っている遊び場所に、得意になって姉を連れていくのに似ていた。
私は先生が驚き、感心してくれると嬉しかった。
しかしいつもそうとばかりは限らない。
しばしば先生を失望させることになった。
(『1945年のクリスマス』ベアテ・シロタ・ゴードン 著 、平岡 磨紀子 構成・文 朝日文庫) アメリカ南部にあるタスキーギ大学に行った時のことだ。
その大学は、黒人教育者のブッカー・T・ワシントンが1881年に創設した学校で、学生も教授も黒人が占めていた。
大学を見学した後、ホテルまで黒人の教授が自分の車で送ってくれることになった。
私が助手席に座ると、教授の顔が急にほころんだ。
「あなたは、私の車の助手席に初めて座った白人女性ですよ」
それを聞いた市川先生は溜め息をついた。
「アメリカは、まだこんな状態なんですか」 その頃、南部では白人女性が黒人のそばに腰かけることはほとんどなかったのだ。
ホテルに着くと黒人の教授が、私たちの荷物を持ってロビーに入ろうとした。
するとボーイが音もなく寄ってきて教授の荷物を取り上げると、これ以上入らないでほしいと言ったのだった。
私が、この方は私たちの大切な友達だと言っても、ボーイはきかない。
他の客に迷惑になるからと言うのだ。
教授はトラブルになるのを恐れて帰っていったが、市川先生は憤慨された。
私は自分が叱られるより辛かった。
その夜、ふたりで人種差別のことを遅くまで話し合った。 私は、自分が卒業したカリフォルニアのミルズ・カレッジにも先生を案内した。
ところが母校に行ってみると、ビジネスコースとタイピストコースに分かれていて、職場のアシスタント養成所に変わっていた。
学長も男性だったし、新しい女性の社会進出を奨励する校風は、すっかりなくなっていて、私はとてもきまりが悪かった。 先生はミルズ・カレッジの女子学生たちに講演した。
「女性も仕事をもって社会に出て、責任のある地位につくように努力しなければなりません。職場でいつまでも男性の助手の地位に甘んじていてはいけません」
学生たちは、アメリカに負けたちっぽけな日本からやってきた老婦人が、突然革新的な女性の生き方を話しだしたので、びっくりし戸惑った。
なかには、冷ややかに壇上の先生を眺めている学生もいた。
しかし先生が、日本の女性の虐げられていた時代の話をし始めたころから、彼女たちの表情に変化が表われ始めた。
講演の終わりには、自分でも気づかなかった能力を知ったように、誰もが眼を輝かせ、夕立の後の植木のように元気になっていた。 先生は世界一の国アメリカに来たのに、二か月間アメリカの大学と女性団体で講演し、女性たちを励ましたのだった。
英語の全くできない先生だったが、先生に出会った女性たちは純粋で真っ直ぐ未来を向いている先生の生き方に共鳴し、好意を持った。
女性たちがこれほど先生に魅了されていたのに、男性たちはほとんど無関心だった。
私はそのことに、すごくがっかりし、なんだか先生に申し訳ない気持ちになった。
「男女平等」への道の遠さを感じた。
市川先生が理想選挙をかかげて参議院議員に立候補して当選されたのは、この翌年である。
(『1945年のクリスマス』ベアテ・シロタ・ゴードン 著 、平岡 磨紀子 構成・文 朝日文庫)「市川房枝 年譜」(市川房枝記念会女性と政治センター)
「ベアテ・シロタ・ゴードン展 ~日本国憲法に男女平等の思いを込めて~」(国立女性教育会館)
議員が視察という名目で観光旅行する姿と大違いです。
国民の税金だという意識はまるでない。
読んでいて「はて?」と思いませんでしたか。
市川房枝さんはベアテさんのことを通訳としか思わなかったのかと?
最近まで彼女は、草案作成のメンバーであったことを秘密にしていた。
若い女性が憲法を作ったことを憲法改憲の口実にされるのを恐れたからだ。
(「私は男女平等を憲法に書いた」ドキュメンタリー新社)
きっとベアテさんは、市川房枝さんに話したくてウズウズしていたと思う。
市川房枝さんも知ったらどんなに喜ばれたか。
「日本各地での講演活動~女性たちの憲法学習~」を参照して下さい。
映像の世紀バタフライエフェクト「奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」
を見ていて初めて知ったことは、3人のユダヤ系アメリカ人が関わっていたこと。
23歳のビリー・ホリデイを「カフェ・ソサエティ」に出演させたバーニー・ジョセフソン(ユダヤ系アメリカ人)
私は「人種混合のナイトクラブを開く」と言った。
すべての人が同じように歓迎され、あるべき姿で迎えられ
肌の色で区別されないクラブだ。
黒人も他の人々と同じように客として受け入れるんだ。
「Strange Fruit(奇妙な果実)」を作詞・作曲したエイベル・ミーロポルは、ロシアの迫害から1902年にアメリカに移住したユダヤ系アメリカ人。
私が「奇妙な果実」を書いたのは、リンチと不正義、それらをいつまでも続けようとする人間を嫌悪していたからだ。
大手レコード会社がレコード化を拒否していた中でレコードを発売した
ミルト・ゲイブラー(コモドアレコード創設者)もユダヤ系アメリカ人。
「“イスラエル軍 人質救出作戦でパレスチナ人274人死亡”」(NHK 6月10日)
ネタニヤフ首相は9日にも、「ハマスの壊滅という目標を達成することなく戦争を終わらせるつもりはない」
パレスチナの人々を皆殺しにするまで止めるつもりはないと思う。
今朝の父の一枚です(^^)/
ジャカランタを写しています。
7章・イスラエル市民はなぜ攻撃を支持するのか?
戦うユダヤ人
…前略…
ユダヤ系イスラエル人は、高校を卒業すると男性は3年、女性は1年9カ月の兵役義務が課せられます。
また兵役が終わっても45歳までは予備役兵として、年に1カ月の軍務をこなします。
女性も含めて兵役義務がある国は、世界中でイスラエルをはじめごく少数です。
イスラエル国防軍はその創設以来、「世界で最も道徳的な軍隊」という理念を掲げて来真ッした。
占領地の実態を見ればそれが事実でないことは明らかですが、誰もが兵士になる社会では、「国防軍と国民は一体」であり、軍のあり方そのものへの批判はタブーとされています。
そのような国防意識の高いイスラエル社会では、国内の問題について意見が合わなくても、対パレスチナや対イランといった安全保障に関する議論では団結する傾向があります。
それがガザ攻撃を始め、パレスチナ人への攻撃が支持される理由の一端にもなっています。
(『ぼくの村は壁で囲まれた――パレスチナに生きる子どもたち』高橋真樹 現代書館 2017年)
映像の世紀バタフライエフェクト「奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」
を見ていて初めて知ったことは、3人のユダヤ系アメリカ人が関わっていたこと。
23歳のビリー・ホリデイを「カフェ・ソサエティ」に出演させたバーニー・ジョセフソン(ユダヤ系アメリカ人)
私は「人種混合のナイトクラブを開く」と言った。
すべての人が同じように歓迎され、あるべき姿で迎えられ
肌の色で区別されないクラブだ。
黒人も他の人々と同じように客として受け入れるんだ。
「Strange Fruit(奇妙な果実)」を作詞・作曲したエイベル・ミーロポルは、ロシアの迫害から1902年にアメリカに移住したユダヤ系アメリカ人。
私が「奇妙な果実」を書いたのは、リンチと不正義、それらをいつまでも続けようとする人間を嫌悪していたからだ。
大手レコード会社がレコード化を拒否していた中でレコードを発売した
ミルト・ゲイブラー(コモドアレコード創設者)もユダヤ系アメリカ人。
「“イスラエル軍 人質救出作戦でパレスチナ人274人死亡”」(NHK 6月10日)
ネタニヤフ首相は9日にも、「ハマスの壊滅という目標を達成することなく戦争を終わらせるつもりはない」
パレスチナの人々を皆殺しにするまで止めるつもりはないと思う。
今朝の父の一枚です(^^)/
ジャカランタを写しています。
7章・イスラエル市民はなぜ攻撃を支持するのか?
戦うユダヤ人
…前略…
ユダヤ系イスラエル人は、高校を卒業すると男性は3年、女性は1年9カ月の兵役義務が課せられます。
また兵役が終わっても45歳までは予備役兵として、年に1カ月の軍務をこなします。
女性も含めて兵役義務がある国は、世界中でイスラエルをはじめごく少数です。
イスラエル国防軍はその創設以来、「世界で最も道徳的な軍隊」という理念を掲げて来真ッした。
占領地の実態を見ればそれが事実でないことは明らかですが、誰もが兵士になる社会では、「国防軍と国民は一体」であり、軍のあり方そのものへの批判はタブーとされています。
そのような国防意識の高いイスラエル社会では、国内の問題について意見が合わなくても、対パレスチナや対イランといった安全保障に関する議論では団結する傾向があります。
それがガザ攻撃を始め、パレスチナ人への攻撃が支持される理由の一端にもなっています。
(『ぼくの村は壁で囲まれた――パレスチナに生きる子どもたち』高橋真樹 現代書館 2017年)