2024年6月17日月曜日

しだいに曇ってきて

歩きはじめは青空でしたが
しだいに曇り空になりました。
曇り空でも風がなくて蒸し暑かったです。
週間予報を見ていると大阪の梅雨入りはもうじきのようですが

近畿で18日にかけて警報級の大雨となる可能性も 十分注意」(関西NHK)
親には言いたくない!性別に違和感がある子どもたち」(NHK 2023年10月27日)

自己の性に違和感をもった男女の物語が平安末期に書かれています。
戦後になるまでタブーだった物語です。

 平安朝のオスカル とりかへばや物語

 王朝も末期になると、人々の精神に変化が生じてきたのでしょうか、『とりかへばや物語』は一風変わった物語です。
『源氏物語』などと比べると、ずいぶん退廃的な雰囲気に包まれています。
逆に野放図なエネルギーも感じられ、これはこれで面白いところのある作品です。
 作者はまったく不明です。
女の人の心理がよく描けているうえに、男性の痛いところをついているので、女性が書いたのではないかと私は思います。
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』新潮社 2011年)
 十一世紀末から十二世紀初めにかけて成立したと思われる、古本(こほん)『とりかへばや物語』というのがあり、それをもとに改作された今本『とりかへばや物語』が十二世紀の中ごろから終わりにかけて成立します。
私たちが現在目にするのは、新しい版のほうです。
かつてはこういう退廃的な物語はタブーでした。
戦後、そのタブーが除かれ、自由になってから読まれるようになった物語です。
『とりかへばや物語』は、一言でいうと、女として育てられた男と、男として育てられた女の物語です。
まるで『ベルサイユのばら』のオスカルみたいですね。
 左大臣(物語の冒頭では権大納言<ごんだいなごん>ですが、すぐに昇進します)には北の方が二人いて、それぞれに子供が一人いました。
若君と姫君で、どちらも大変美しく、母親が違うにもかかわらず瓜(うり)二つで、取り違えてしまいそうなほどでした。
私は『とりかへばや物語』を子ども向けの物語に書き替えたことがあります。
原典には個人名は示されていないのですが、なにしろ男と女が入れ替わっているという、大変ややこしい話ですので、世間から男と思われている少女には「春風」、女と思われている男の子には「秋月」という名前をつけました。
ここでもそれに倣(なら)うことにします。
 屋敷の西の対と東の対、住むところは少し離れているのですが、二人は仲よく育ちます。
春風は小さいなときから活発で、男の子たちと鞠(まり)や小弓で遊ぶのが大好き。
客たちが笛を吹いたり歌を謡(うた)っていると走ってきて、誰も教えていないのに、笛を吹いたり琴を弾いたりします。
とても人なつっこいので、客たちはみんな可愛(かわい)がって褒めたり、いろいろ教えたりします。
姫君だと聞いていたのは間違いだったのだとみんな思います。
 一方、秋月は男の子なのに、小さいときからはにかみ屋で、人前に出るのが嫌い。
漢籍や男子としての教養を教えても、関心がありません。
お人形遊びやお絵描き、貝覆(かいおお)いなど女の子の遊びが大好きです。
いつしか髪も背丈より長くなり、女の子の装束を身につけるようになります。
 左大臣はあえてその誤解を解きませんでした。
しかし内心では困ったものだと思い、できることなら若君と姫君を取りかえたいと考えていました。
ここから『とりかへばや物語』というタイトルがつけられたのです。
二人はそのまま、かたや男の子らしく、かたや女の子らしく育っていきます。
 そのうち春風が学問の才や容貌(ようぼう)が優れていることが世間に知られるようになり、帝(みかど)からたびたび出仕するようにいってきます。
左大臣はまだ幼いことを理由に断っていたのですが、とうとう参内(さんだい)させないわけにはいかなくなりました。
学問もあり、役所の仕事も見事にこなすので、帝の大変なお気に入りとなり、世間の人も素敵な貴公子だと褒めそやします。
しかし、春風は幼いときはあまり気にしていなかったのですが、社会に出て、他人の様子を見聞きするにつれ、自らの奇妙な身の上に悩むようになります。
 でも実のところをいうと、春風は毎日が楽しかったのだと思います。
並みいる高級官僚や大臣方の前で自分の意見を堂々と言うこともできる。
政治上の問題を処理することもできる。
こんな面白いことが他にあるだろうか、今さら女の身になって、几帳の中に引っ込んでなんかいられない……。
 秋月はとても美しい女性に育ち、御裳着(おんもぎ)を済ませました。
(うわさ)を聞いた帝や東宮から求婚されるのですが、そういうわけにもいきません。
極端な恥ずかしがりやだからといって、縁談を断り続けます。
 帝は女一の宮という一人娘がいました。
彼女のほかには、帝にも東宮にも子供がいません。
そのうち、帝は病がちとなり、東宮に位を譲り、自らは朱雀院に移りました。
新しく東宮に立てられたのは女一の宮です。
東宮のことを心配する院は、秋月を東宮の遊び相手としてそば近くに仕えさせようとします。
東宮はまだ年若いうえ、まわりはみんな女性ばかりなので、左大臣も秋月の宮仕えを承知します。
 …つづく…
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』新潮社 2011年)
今朝の父の一枚です(^^)/

ハンゲショウ カタシロクサ (ドクダミ科ハンゲショウ属)

 水辺に白い根茎をのばして群生する多年草。
臭気がある。
茎は高さ60~100センチまで直立する。
葉は卵心形で長さ5~15センチ。
花のころ、上部の葉は白くなる。
和名は半夏生(はんげしょう<7月初旬>)のころ白い葉をつけるからとか、半化粧の意味ともいう。
別名の片白草(かたしろくさ)も同様の意味である。
花穂に上部の葉のつけ根からでていて、長さ10~15センチ。
花弁のない小さな白い花を穂状に多数つける。
●花期 6~8月 ●生育地 湿地 ●分布 本、四、九、沖
(『日本の野草(旧版)』林弥栄 山と渓谷社 1983年)