2024年6月8日土曜日

気温がグングンあがり

いつも歩いている道を一筋変えてみるとユリズイセンが咲いていました。

朝から気温がグングンあがっているのですが、明日は雨が降る予報。
このところの日ざしで草花が萎れているみたいなので
一雨ほしいところですが、穏やかな雨だったらいいなぁ

九州南部が梅雨入り 平年より9日遅く 急な強い雨などに注意」(NHK)
朝ドラ「虎に翼」第10週「女の知恵は鼻の先?」 も辛い展開でしたね…

花岡のモデルになっているのが
山口良忠(やまぐちよしただ)」(佐賀県白石町)

穂高教授が
君に専属の家庭教師を頼みたいというお方がいてね 給料は弾むと…。
と提案します。
(穂高教授のモデル穂積重遠は、1945年8月、東宮大夫・東宮侍従長に就任しています)
しかし、寅子は、
先ほどまでは、平等な社会のために真っ向から戦ってらしたのに、今は私を女だからと排除しようとなさってますか?

…………

好きでやったんです。好きで ここにいるんです!
そうです。私は好きで ここに戻ってきた。
戦争や挫折でいろいろと変わってはしまったけれどでも、私は好きで ここに来たんです!
だから、ご厚意だけ受け取っておきます。
失礼します。
と、去っていきました。

知らず知らずのうちに女性への偏見があることを教えてくれます。
私自身、女性に対して誤った考えを持っていると知らされるし
自分の中にある差別意識を指摘されてハッとすることが多いです。

ただ、穂高教授は寅子の苛立ちに対して不快になるのではなく
私は また 何か問題を起こしたかね?
と、自己反省できるのが大人だなと思います。
私は、女性に限らず相手の事情などを考えずに
自分の考えを押しつけていたことが多々あります。
朝ドラ「虎に翼」第10週「女の知恵は鼻の先?」 (49)
でホーナーが訪ねてきました。

GHQ民政局法律課の、アルバート・ホーナーのモデルは、アルフレッド・オプラー(Alfred C. Oppler)です。
ドイツ生まれで、ヒットラーによるユダヤ人迫害から逃れてアメリカに亡命した司法官です

(〝虎に翼 第10週「女の知恵は鼻の先?」を振り返って〟明治大学教授 村上一博)

憲法に男女平等などを書いたベアテさんもユダヤ人。
市川房枝さんとベアテさんは出会っているのです。
Ⅵ 既婚女性とやりがいのある仕事

 アメリカでの市川房枝先生

 1951年の秋、ロックフェラー財団の援助で、日米の指導的人物を交換して、両国の文化の交流を図ろうという会が発足していた。
日本側からは、第一陣として市川房枝先生が渡米することになったのだ。
市川先生の後には、長谷川如是閑(にょぜかん)、木原均、都留重人(つるしげと)、長與善郎(ながよよしろう)といった人たちの渡米が内定していた。
この窓口になっていたのが、コロンビア大学で、その担当者はデーン・カーマン教授だった。
教授と夫とが面識があったことから、私に通訳のお鉢がまわってきたのだ。
 嬉しかった。
ようやく退屈な銀行生活にピリオドを打つことができるうえに、日本語をしゃべるチャンスができたのだから。
(『1945年のクリスマス』ベアテ・シロタ・ゴードン 著 、平岡 磨紀子 構成・文 朝日文庫)
 市川房枝先生が来られたのは、52年9月。
大統領選挙の真只中だった。
先生の渡米目的も、この大統領選挙運動を見ることと、アメリカの婦人運動を視察することだった。
 58歳の市川先生は、化粧っけがなかったが、肌は若々しく、少年のように好奇心旺盛で、商社マンのようにエネルギッシュだった。
 化粧をしない先生は、朝起きて朝食をとり、ホテルを出るまで1時間もかからない。
そして夜遅くまで精力的にいろんな人と会った。
場所の移動の時間が、先生の睡眠時間となる。
先生は、バスの中であろうと汽車であろうとどこでもすぐ眠ってしまう。
そして車が目的地に着くと、シャンと背すじを伸ばして、こんなポイントで話を聞きたいとおっしゃる。
どこでも眠れるナポレオンのような先生と一緒に行動する私には、とても体力が必要だった。
私は枕が変わると眠れないたちだったから。
 市川先生の日程は、ニューヨークの女性運動家のサークルから、黒人の大学の視察までと、広範囲にわたっていたが、その中にルーズベルト大統領の未亡人、エレノア・リーズベルトとの会見も入っていた。
ルーズベルト夫人は、いくつかの社会福祉活動をやっていたので、市川先生は終戦直後、米兵のGIと日本人女性との間に生まれた混血の子供たちへの援助を頼もうと考えていた。
 ニューヨーク西56街のパークシェラトン・ホテルの25階にルーズベルト夫人は住んでいた。
私たちの通された部屋には、故ルーズベルト大統領の写真が飾ってあって、周囲は書棚になっていた。
 ルーズベルト夫人は、黒いドレスで現われた。
大統領選挙の時、マジソン・スクエア・ガーデンでスティーヴンソン候補への支持を訴えた時に比べて、元気がなかった。
20年間にわたる民主党政権をアイゼンハワーの共和党にあけ渡すことになり、気落ちしていたからかもしれない。
 市川先生が、共産主義者を追放するマッカーシズムに触れて、
「日本で予想していたよりも赤狩りが広く一般にしみわたっていることに驚いています。アメリカだけの問題ではなく、日本にも深い関係があり、ひいては世界の将来に関係があるので、私は非常に関心を持っています」
 と言うと、ルーズベルト夫人は間髪を入れずに答えた。
「そうです。その通りです。赤狩りは非常に危険です。それに対して闘わなければなりません。共産党を必要以上に恐れるのは、自分の国に対して自信がないことになります」
 ルーズベルト夫人と市川先生の会見は、スムーズに進んだ。
 先生が朝鮮問題の解決に国連が失敗したことの話題にふれると、ルーズベルト夫人は、
「国連では解決がむずかしい。ビッグ・パワー(強大国)の間で説得する以外に方法はありません」
 と巨頭会談を支持した。
ルーズベルト夫人はとても明晰で、市川先生と話が一致しているように思えた。
先生は、会見の目的であるGIと日本女性との間の混血の子供問題を切り出した。
ところがルーズベルト夫人の返事は、
「混血の子供たちが成人した時、アメリカに留学できるようにスカラシップを与えたらどうでしょう」
 というものだった。
混血の子供をかかえて母親が今日の生活に困っているのに、大統領夫人の返事は悠長なものだった。
先生の顔には明らかに落胆の色がにじみ出ていた。
私は憤慨した。
私と先生は、親子ほど年齢が違っていたが、このことで、より親密になった。

 …つづく…

(『1945年のクリスマス』ベアテ・シロタ・ゴードン 著 、平岡 磨紀子 構成・文 朝日文庫)
 今朝の父の一枚です(^^)/

ザクロ 柘榴・石榴 ミソハギ科ザクロ属

 藤原実資(ふじわらさねすけ)の驚嘆

 平安中期、藤原道長のライバルでもあった藤原実資。
治安3年(1023)閏9月、顔に腫(は)れ物ができます。
医師により蓮葉湯などが処方されますが今ひとつ効果が表れません。
治癒(ちゆ)後の瘢痕(はんこん)も気になります。
そこにザクロの皮の黒焼きとモモの核汁が良いと夢のお告げがありました。
識者が言うには「確かに瘀血(おけつ)には効(き)きますが聞いたこととのない処方です」とのことでしたが、実際に使って25日後、鏡を見ても見苦しくないほどに快復。
実資は「二種の薬の効果は神異と言うべし」と驚嘆しました。
 ザクロの果実には、抗酸化作用および抗炎症作用があると言われていますが、実資の腫れ物を治したのが本当にザクロの効果だったのかは不明としか言えません。
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)