2024年5月6日月曜日

振替休日

大型連休最終日
どんよりとした天気、これから天気は崩れるみたいです
更新を休もうと思っていましたが、明日、振替休日にします(^_-)
大きなスズメバチ(オオスズメバチ?)
初夏、スズメバチの巣作りの季節です。

スズメバチの巣作り」(小学3年)

先日、ロッキード事件で「ハチの一刺し」という発言があったと紹介しました。

ロッキード事件の衝撃」(NHKアーカイブス 1976年)

一度、刺したら死ぬのはミツバチです。
ところがスズメバチは何度も刺します。
スズメバチを手で払ったりするようにことをすると攻撃してきたと思い反撃をしてきます。
服の生地を貫くことができるほど強力な武器です。

森林レクリエーションでのスズメバチ刺傷事故を防ぐために」(森林総合研究所)
朝ドラ「虎に翼」第6週「女の一念、岩をも通す?」 (26)

崔香淑が兄と食事をしている時に片膝を立てていました。
この座り方はチマチョゴリを美しく見せる座り方だと思います。
日本の女性もかつて片膝を立てて座っていました。
日本人がなぜ正座をするのかはいまだ解かれていないそうです。

正座と日本人 丁宗鐵」(松岡正剛の千夜千冊)

穂高教授の言葉
 「水滴石穿(すいてきせきせん) <雨垂(あまだ)れ石を穿(うが)つ>」

雨垂れ石を穿(うが)(中国古典)
 たとえ小さな力でも辛抱強く我慢すれば成功するものだという
]点滴石を穿つ []継続は力なり []大山鳴動して鼠一匹

中国の『文選』にある「泰山の霤(りゅう<したたり>)は石を穿つ」に由来し、日本でも中世の軍記物『曾我物語』などに見られる。
言い回しはいくつかあり、室町後期の『塵塚物語』(巻6)には「雫にてかたき石をもくぼしめしむ」、蓮如の『蓮如上人御一代聞書』には「水はよく石を穿つ」と出てくる。
見出しの形はそれが後に変化したもので初出は1722年の八文字屋本『手代袖算盤』(2の巻)からとなる。
(『世界ことわざ比較辞典』 日本ことわざ文化学会編、時田昌瑞、山口政信監修、岩波書店 2020年)
なお、ヨーロッパには類義の「点滴石を穿つ」があり、明治期に紹介されていた。
夏目漱石の『吾輩は猫である』にも使われていたが、現代は「雨垂れ」も「点滴」も常用されるレベルにはない。
どちらも小型のことわざ辞典には収録されているものの実際の使用例は少なく認知度と常用度に隔たりのあるものの一つだ。
外国のものは、「点滴」形が東西の地域に広まり主流となっているものの、なかにはアラビアの2番目や繩を用いるスワヒリ語のようなユニークなものもある。
 …後略…
(『世界ことわざ比較辞典』 日本ことわざ文化学会編、時田昌瑞、山口政信監修、岩波書店 2020年)

「外国のもの」については本を参照してください。
先週の朝ドラ「虎に翼」第5週「朝雨は女の腕まくり?」
「共亜事件」のモデルになっていた「帝人事件」について
美濃部達吉が国会で批判したことが「天皇機関説問題」の引き金ともなったようです。

第7講 帝人事件から国体明徴声明まで

 †天皇機関説事件の発生


 1935(昭和10)年2月18日、第67回貴族院本会議で菊池武夫は二大政党の腐敗と地方農村の窮状に言及し、貴族院勅選議員・美濃部達吉(東京帝国大学名誉教授)の憲法学説を「叛逆的思想と批判する。

…中略…

美濃部は前年11月、陸軍省新聞班刊行した『国防の本義と其の強化の提唱』を自由主義の見地から批判し、第67議会では法相・小原直(おはらなおし)に対して、帝人事件捜査における検察当局の人権侵害を批判する質疑を行っていた。
そのため、美濃部の存在は菊池ら斎藤内閣を攻撃した議員からの反発を招いていた。
 …後略…
(『昭和史講義2 ―専門研究者が見る戦争への道』筒井清忠編 ちくま新書 2016年)
ドラマでは検察とある政治家が組んでいましたが

準戦時体制へ
 帝人事件


 帝人事件の発端は、当時鐘紡をやめた武藤山冶(むとうさんじ)が社長していた『時事新報』が、1月16日から「番町会を暴(あば)く」という記事をのせはじめたことにある。
これは、

「政党と政商の結託暗躍はあらゆる社会悪の源となり、つひに五・一五事件を誘発して非常時内閣の出現をみたことはあまねく知るところ、しかも五・一五事件の洗礼を受けた非常時内閣下において政党政商等はしばらくその爪牙(そうが)をかくして世の指弾を避くるに汲々たる折柄、ここにわれらは、わが政界財界のかげに奇怪な存在をきく。
(『日本の歴史24 ファシズムへの道』大内力 中公文庫 2006年)
 曰く『番町会』の登場がそれである。すなわち彼等はいまや、その伏魔殿にたてこもり、かつて政党政商がなせるが如き行為、紐育(ニューヨーク)『タマニー』者流にも比すべき吸血をなしつつ政界財界を毒しつつあるといふ。しかもこの『番町会』のメムバーとして伝へられるものに、某財界の巨頭(郷誠之助<ごうせいのすけ>のこと―引用者)を首脳としこれを囲繞(いにょう)するものに現内閣の某大臣(中島久万吉<なかじまくまきち>)あり、新聞社員(正力松太郎<しょうりきまつたろう>)あり、政権を笠に金権と筆権を擁して財界と政界の裏面に暗躍する暴状は眼にあまるものあり……」

という書出しのように、一種の暴露ものであった。
武藤がなぜこういう記事をのせはじめたのかは、かならずしもはっきりしないが、長く少数党を率いて政界にあり、しかも番町会の外にあった武藤には、筆誅をくわえたいという意図も動いていたことはたしかだろう。
それに新聞の販売政策がからんでいたのである。
 この記事は、番町会の罪悪をたくさん並べたてて暴露していたが、その一部として帝人問題がとりあげられた。
 帝人=帝国人絹というのは鈴木商店系の人絹会社であるが、このころ人絹ブームにのって、営業成績は向上をつづけていた。
ところが金融恐慌以来、この会社の株22万株余が台銀の担保に入っていた。
この株価の上昇がみこまれたので、金子直吉(かねこなおきち)らは、このさい台銀からそれを買い戻そうということになり、その斡旋を番町会の面々に依頼した。
とくに永野護(ながのまもる)がその中心になり、正力が永野の依頼で活躍したといわれているが、かれは、そこで鳩山一郎(はとやまいちろう)・黒田英雄(くろだひでお)大蔵次官らに働きかけ、島田茂(しまだしげる)台銀頭取を動かして、ついに11万株の払下げを実現させた。
 そのさい、株価の問題で金子らと折合いがつかなかったので、永野らは別に買受団をつくり、1株百二十五円でこれを買いとった。
だが、それと同時に帝人が増資をきめたので、この株はたちまち百四十 ― 五十円にあがり、永野らは大儲けをした。
――これが、暴露されたことのおよその内容であった。
 この記事がでたあと、検事局が動きだし、4月18日には台銀の島田頭取、帝人の高木復享(なおみち)社長および永野・河合良成(かわいよしなり)・長崎英造(ながさきえいぞう)など番町会メンバーが召喚された。
そして5月に入ると、大蔵次官黒田英雄(くろだひでお)・銀行局長大久保偵次(おおくぼていじ)らが収賄容疑で拘引され、やがて起訴された。
また中島も召喚されたが、そのとき参考人としてよばれ三土忠造(みつちちゅうぞう)は、検事の主張する事実を否認したので偽証罪に問われた。
 こうして、帝人事件は空前の大疑獄事件となったが、斎藤内閣は黒田次官の起訴確定後、7月3日、ついに責任をとって辞職した。
倒閣がここに成功をみたわけである。
 ところで、この帝人事件の裁判は10年(1935)6月からはじまり、12年10月までかかったが、結果は全員無罪であった。
しかも判決は、証拠不十分というのではなく、犯罪事実がなくすべてが「空中楼閣」だったというのだから、世間の人も唖然としたのであった。
もちろん中島をはじめ多くのものは、帝人株の一部をわけてもらったり贈与をうけたりしたという事実はあった。
しかしそれは謝礼であり、ふつうの商慣習で、背任とか贈収賄ではなかったというのである。
 だが、この事件は、一方で明らかに倒閣を目的とした政治疑獄であり、それとしてはじゅうぶん目的を達していた。
その張本人が平沼(騏一郎<きいちろう>)であった。
かれは、その主宰していた右翼団体国本社(こくほんしゃ)の一員であった検察の大物塩野季彦(しおのすえひこ<第一次近衛内閣の法相>)を使って、この事件をデッチあげさせたといわれている。
事実、このときの検事の取調べは猛烈で、中島以下にも拷問に近いことまでし、虚偽の自白を強要した。
検察ファッショという言葉が生まれたのもこのときからである。
平沼の背後にはむろん右翼や軍部があったし、平沼は、今度こそ政権は自分のところに転がりこむと読んでいた。
それをまたかついでいたのが久原(房之助<くはらふさのすけ>)の一派であった。
 他方しかし、たとえ罪にはならないにしても、この事件は、財界の悪どい金儲けの実態と、それに官僚や政治家が結託している醜悪な事実を世間に暴露した。
ただ、その結果は、当時の日本では、かえって軍部や右翼の発言力を強めることに終わったのである。
 なお、この事件の最中の昭和9年(1934)3月9日には、武藤山冶が北鎌倉の自宅から駅に向かう途中、福島某なる青年にピストルで撃たれて死ぬという事件がおこった。
これは一時は背後に番町会があるのではないかとして騒がれたものだったが、実は武藤の恐喝に失敗した肺患の青年がやった単なる偶発事件にすぎなかった。
(『日本の歴史24 ファシズムへの道』大内力 中公文庫 2006年)
平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)」(近代日本人の肖像 国立国会図書館)

武藤山治(むとうさんじ)」(近代日本人の肖像 国立国会図書館)

第5週「朝雨は女の腕まくり?」を振り返って〟(明治大学 村上一博)

検察と議員が手を組んで倒閣運動をしたのを見ながら思い出していたのは
2020年の安倍政権による検察人事への介入問題です。
もしこの時に故安倍首相の思惑が達成されていたら
自民党の政治資金問題は摘発されたのでしょうか?
今朝の父の一枚です(^^)/
シジュウカラ♂を写していました。
私は、これから虫などの撮影をすることが増えると思います(^^ゞ
↑の画像で鳥の糞のように見えるのはアゲハの幼虫です。
鳥のフンかと思ったら~アゲハチョウ~」(兵庫県立人と自然の博物館 2009年5月14日)

 小鳥に見つからない工夫

 小鳥は人間と同じように、色や形を識別することができる。
だからイモムシも、体色や姿を工夫したものが多い。
よく見られるのは、体の色が植物の葉や枝と同じような緑色や茶色をしている保護色だ。
中には、じっとしている姿が枯れ枝そっくりのものもいる。
また体に黒っぽいもようを描くことで、背景の影の部分にそのもようが溶け込み、イモムシの形をわかりにくくするものもいる。
体が大きくて葉の裏に逆さにつかまっている種類では、背中の色がうすくなっていて、上から光が当たって背中に影ができると立体感がなくなるようになっている。
中には、小鳥のフンに姿を似せたものもいる。
(『虫のおもしろ私生活』 ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)

美の壺「ひらり華麗に 蝶」(初回放送 20235月17日)