2024年5月12日日曜日

母の日

朝寝坊なのかな?
帰る頃に雨がパラパラしていたので起き出すかな?
蒸し暑い朝でした。

今夜から全国的に大気不安定 大雨のおそれ 熱中症にも十分注意」(NHK)
 斎藤環さんの投稿(5月11日)

「モン・パパ」は宮廷道化師的に抑圧のガス抜きとして機能する歌。
唄ったエノケンがその後国策映画に協力させられる経緯は示唆的だ。
風刺すらも許さない圧政は不安定だけど、ほどよい風刺や批判を笑って受けいれられる鷹揚な「空気」こそが支配と抑圧の完成形。

この滑稽歌を怒りと哀しみの歌に変換してみせる脚本・演出・演技の妙たるや


芸能人と一緒に写った投稿をする故首相がいたけど
アーティストが世の中の矛盾などについて発言すると
芸能人は政治に口を出すなと批判される。
日本は、斎藤さんのいう不安定な状況なんだろうか?
忖度という完成形なのだろうか?
奈良美智さんの投稿(5月8日)

こういう反応は必ずあると思ってたので動じない。
イスラエルの人からのDM。
そして自分はテロリストを讃えるつもりは毛頭無い。
 マルコ 第15章

 夜が明けるとすぐ、大祭司連は長老、聖書学者と共に、すなわち全最高法院で決議をすませたのち、イエスを縛り、引いていって総督ピラトに渡した。
ピラトはイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。お前はその廉(かど)で訴えられているが。」答えて言われる、「そう言われるならば御意見にまかせる。」
大祭司連がいろいろ罪状をあげて、しきりにイエスを訴えた。
そこで、またピラトが問うた、「何も答えないのか。そら、あんなにお前を訴えているではないか。」
しかしイエスはもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
(『新約聖書 福音書』塚本虎二訳 岩波文庫 1963年)
 さてピラトは過越の祭の都度(つど)、人民から願い出る囚人を一人だけ特赦(とくしゃ)によって赦(ゆる)していた。
 ところが暴動の折、人殺しをして繋(つな)がれていた暴徒の中に、バラバという者があった。
群衆が官邸に上がってきて、いつもすようにしてもらいたいと願い始めた。
ピラトは答えて言った、「あのユダヤ人の王を赦してもらいたいのか。」
ピラトは大祭司連が妬(ねた)みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
しかし大祭司連は、彼よりはバラバの方を赦してもらえと群衆を煽動(せんどう)した。
ピラトはまた彼らに言った、「では、お前たちがユダヤ人の王と言っているあの人を、どうしようか。」
「それを十字架につけろ」とまた人々が叫んだ。
ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「それを十字架につけろ」と叫んだ。
ピラトは群衆の機嫌を取ろうと思ってバラバを赦してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるために兵卒に引き渡した。
…後略…
(『新約聖書 福音書』塚本虎二訳 岩波文庫 1963年)

宗祖への攻撃、弾圧は行基や法然、親鸞、日蓮などにも行われました。
ただ、同じ日本人なので民族差別にはなりませんでした。
今日はアメリカ発祥の「母の日(Mother's Day)
5月5日は「母に感謝する日」。

今朝の朝日新聞「天声人語」に星野富弘さんのことが書かれていました。

 …前略…

▼作品に多くの人が勇気づけられたのは、そこに人間の限りない強さとやさしさがあるからだろう。
小さな命をいとおしみ、目に見えない何かに感謝する。
入院中に洗礼を受けた信仰の力もあったに違いない。
▼享年78。
先日訪れた群馬県みどり市の富弘美術館では、記帳のノートが「ありがとう」の文字で埋まっていた。
▼著書に書いている。
「散ってゆく花の横に、ひらきかけたつぼみがあり、枯れた一つの花のあとには、いくつもの実がのこされます。人間が生きているということは、なんと、ひと枝の花に似ているのでしょう」。
星野さんが残していった種の一つを思う。
 2024・5・12
 ■母の手■
 1973年11月


 手が動かないので、食事は三度三度母に口に入れてもらっていた。
 あお向けに寝たままだから、汁は大きなスプーンで口に流し込んでもらった。
 体を動かすことがないのと、病院の食事時間が朝8時、昼12時、夜5時と間かくが比較的短いため、ほとんど腹がへらなかった。
腹のへらない時の食事は、口のそばに持ってこられるからしかたなく口を開くようなもので、苦痛ですらあった。
そんな時、少しでも顔にこぼされたりすると、それを口実(こうじつ)に食べるのをやめてしまった。
(『新版 愛、深き淵より。』星野富弘 立風書房 2000年)
 やはり食べたくない食事の時のことだった。
母の手元がふるえてスプーンの汁を私の顔にこぼしてしまった。
わずかなことだけれど、カッとなってしまい、そのとたん積り積っていたイライラがいきなり爆発してしまった。
爆発といっても、どうしようもないほどにふくれあがったいらだちを、なげつける相手は母しかいない。
 私は口のなかのご飯粒(はんつぶ)を母の顔にむけて吐き出して、どなった。
「チキショウ。もう食わねえ。くそばばあ」
 ちらかったご飯粒をひろいあつめながら、母は泣いていた。
「こんなに一生懸命やっているのに、くそばばあなんて言われるんだから……」
「うるせえ。おれなんかどうなったっていいんだ。産んでくれなけりゃよかったんだ。チキショウ!!」
 母は涙を拭きながら、自分の食事に出ていき、しばらく帰ってこなかった。
 一度開いてしまったイライラの出口はよういに閉じることができず、母がやっと帰ってきても、トゲのある言葉で母にあたった。
 母もよほど口惜(くや)しかったのか、しばらく口をきかなかった。
 ハエがうるさく顔の上を飛び回っていた。
まるで私の手が動かないのを知っているかのように、いくら顔をふってもはなれてはすぐに私の顔にたかった。
 だまりこくっていた母が、とうとうたまりかねてハエたたきをにぎった。
足のへんでたたく音がして、一匹取ったようだったが、少しすると、また別のハエがあらわれて、私の顔に止まった。
母がハエたたきをにぎってたたこうとしたが、気を取りなおしてハエたたきを左手に持ちかえて、右手で私の顔のハエをたたくかまえをした。
そして母の手はたたくというよりも、そっとさわるように私の顔をおさえた。
 もちろんハエは逃げてしまったが、ハエの止まっていた頬に母のしめった手のぬくもりが残った。
ザラついていたけれど、やわらかな母の手だった。
母の感触は、私の頬からいつしか体じゅうに広がっていった。
 あれほどの言葉をあびせた私を母はきっと憎んだのにちがいない。
 しかしその憎しみのなかでも、母は私の顔につきまとうハエをみすごしていられなかったばかりか、ハエたたきで私の顔をたたくこともできなかった。
 母の顔にご飯粒を吐きかけた私の、顔のハエを母は手でそっとつかまえようとした。
 私は思った。
これが母なんだと。
私を産んでくれた、たったひとりの母なんだと思った。
 この母なくして、私は生きられないのだ――。
 その日から私はしばらくやめていた絵を描きはじめた。
母が左手にハエたたきをにぎり右手をふりあげて私の顔に止まっているハエを取ろうとしている絵だった。

  母の手は
  菊の花ににている
  かたくにぎりしめ
  それでいてやわらかな
  母の手は
  菊の花ににている

(『新版 愛、深き淵より。』星野富弘 立風書房 2000年)

新装版 愛、深き淵より。』は、学研出版で読むことができます。
今朝の父の一枚です(^^)/
朝ドラ「虎に翼」第6週「女の一念、岩をも通す?」 (30)
花岡が寅子にお祝いとしてバラの花束を贈っていましたが
赤いバラでなくて黄色いバラだったのは何か意味があるのかな(^_-)

 ねむれない夜…

小さな子供は齲歯(むしば)が痛い
いたくて夜じゅうねむれない
がまんするのよ
がまんするのよ
がまんしなけりゃならないことを
子供は母にさとされる

子供がおとなになった時
ねむれない夜
たくさんの夜
子供はいくども寝がえりを
打ちつつ思い出すだろう
あの頃じぶんの歯の根かたで
ちっちゃな剣をふりかざした
悪魔はまだしも無邪気だった と
(『お母さんのきもち』新川和江 小学館 2001年)