日ざしが眩しく暑かったです。
でも、この天気は今日までのようです。
天気が回復する水曜日は、診察日…
タイサンボクが咲き出しました。
「台風1号が発生 今後の進路に注意を」(NHK)ソシンロウバイの実(偽果)をみると駅弁のいかめしみたいに美味しそうなのですが
ロウバイ、ソシンロウバイとも全株有毒で、とくに種子には要注意です。
有毒成分カリカンチンは神経毒でヒトおよび動物に強直性痙攣などを起こすことが知られており、放牧中にソシンロウバイの種子を採食した家畜の中毒事故が近年も発生しています。
(「ソシンロウバイ」東京生薬協会)
5月23日(木)の2355「トビー 映画音楽の夕べ」
映画「フェリスはある朝突然に」より
主人公フェリスの名ゼリフを紹介してくれました。
Life moves pretty fast.
If you don't stop and look around once in a while.
「人生はあっという間に過ぎていく。
時には立ち止まって見渡さないと大事な瞬間を逃してしまう」〝「君死にたまふことなかれ」を多言語に翻訳 大阪 堺で企画展〟(関西NHK)
明日からの朝ドラ「虎に翼」第9週「男は度胸、女は愛嬌?」は辛い展開になりそうです。
優三さんや直道さんも軍隊に入れば敵を殺さなくてはならない。
虐殺を続けるイスラエル兵やロシア兵も家に帰れば優しい若者だと信じたい。
「イスラエルにラファ攻撃即時停止 暫定措置命令 国際司法裁判所」(NHK 5月25日)
福音書に記されているキリストが裁判にかけられる場面を思い出す。
パレスチナの人々がキリストの姿に重なる。5月20日の記事で白須正子さんによる清少納言の歌の解説を紹介しました。
今日は、田辺聖子さんの読みを紹介します。
何故、清少納言の評判が悪かったのか、それは男の…(^_-)
夜をこめて 鳥の空音(そらね)は はかるとも
よに逢坂(あふさか)の 関はゆるさじ
清少納言(せいしょうなごん) 62番
<夜も明けぬうちに
鶏(とり)の鳴き真似(まね)をしてだまし
関所を開(あ)けさせた
あれは中国の故事(こじ)の函谷関(かんこくかん)のこと
だけど私の関所はダメよ
私の逢坂(おうさか)の関の守りは堅いわ
だまされて開けるなんてこと
絶対にありませんわよ
お気の毒さま>
(『田辺聖子の小倉百人一首』角川文庫 1991年) この歌は有名なわりに、歌の意味が分らない人が多く、前後の作歌事情もあんがい知られていない。
何やら、中国の故事をふまえているらしい、とおぼろげにおぼえているだけ、という人が多いのではないかと思う。
これは『後拾遺(ごしゅうい)集』巻十六の雑にあるが、かなり長い詞書(ことばがき)がついている。
しかしそれよりも、『枕草子(まくらのそうし)』のほうがくわしい。 清少納言は、自分の才気が人々にほめられた話、男と応酬(やりとり)して一本とった話、などを実に精力的に書いている。
そこが古往今来(こおうこんらい)の男性たちから総スカンを食う原因であるが、しかしその書きかたはまことにサッパリと、からりとしていて楽しく、いかに清少納言が愛すべきやんちゃであったかをしのばせておかしい。
清少納言みたいな勝ち気な、男をやりこめて喜んどる女は大嫌(だいきら)いや、という男性は、自分の女性観の幅が狭(せま)く、人間の器量が矮小(わいしょう)であることを示しているようなものである。
女性の理想のタイプは、やさしくしおらしく、つつましく、男を立てて一歩さがるような……というようなバカバカしい偏見(へんけん)は、もう(エエかげんにせえよ)と女たちは思うであろう。 それより、イキイキと弾力ある、手応(てごた)え充分な女の面白さを、男性に楽しんで頂きたい。
はつらつたる男性学徒が、旧来の手垢(てあか)のついた国文学界を一新して新しい感覚で女流文学を読み直して頂きたいものである。
いま、私ども素人(しろうと)が読んで面白い国文学関係の本は、偏見なき先生がたの御著作であり、これは年齢にかかわらぬように思う。
さて、清少納言は当代屈指(くっし)の才子大納言行成(だいなごんゆきなり)と親友である。夜をこめて 鳥の空音(そらね)は はかるとも
よに逢坂(あふさか)の 関はゆるさじ
清少納言(せいしょうなごん) 62番
<夜も明けぬうちに
鶏(とり)の鳴き真似(まね)をしてだまし
関所を開(あ)けさせた
あれは中国の故事(こじ)の函谷関(かんこくかん)のこと
だけど私の関所はダメよ
私の逢坂(おうさか)の関の守りは堅いわ
だまされて開けるなんてこと
絶対にありませんわよ
お気の毒さま>
(『田辺聖子の小倉百人一首』角川文庫 1991年) この歌は有名なわりに、歌の意味が分らない人が多く、前後の作歌事情もあんがい知られていない。
何やら、中国の故事をふまえているらしい、とおぼろげにおぼえているだけ、という人が多いのではないかと思う。
これは『後拾遺(ごしゅうい)集』巻十六の雑にあるが、かなり長い詞書(ことばがき)がついている。
しかしそれよりも、『枕草子(まくらのそうし)』のほうがくわしい。 清少納言は、自分の才気が人々にほめられた話、男と応酬(やりとり)して一本とった話、などを実に精力的に書いている。
そこが古往今来(こおうこんらい)の男性たちから総スカンを食う原因であるが、しかしその書きかたはまことにサッパリと、からりとしていて楽しく、いかに清少納言が愛すべきやんちゃであったかをしのばせておかしい。
清少納言みたいな勝ち気な、男をやりこめて喜んどる女は大嫌(だいきら)いや、という男性は、自分の女性観の幅が狭(せま)く、人間の器量が矮小(わいしょう)であることを示しているようなものである。
女性の理想のタイプは、やさしくしおらしく、つつましく、男を立てて一歩さがるような……というようなバカバカしい偏見(へんけん)は、もう(エエかげんにせえよ)と女たちは思うであろう。 それより、イキイキと弾力ある、手応(てごた)え充分な女の面白さを、男性に楽しんで頂きたい。
はつらつたる男性学徒が、旧来の手垢(てあか)のついた国文学界を一新して新しい感覚で女流文学を読み直して頂きたいものである。
いま、私ども素人(しろうと)が読んで面白い国文学関係の本は、偏見なき先生がたの御著作であり、これは年齢にかかわらぬように思う。
恋人という説もあるが、私は採(と)らない。
話の合う年下の男友達であった。
清少納言は、一条天皇の中宮(ちゅうぐう)・定子(ていし)にお仕えして内裏(だいり)のお局(つぼね<部屋>)を頂いている。
そこへ行成が来て話しこんでるうちに、夜も更(ふ)けた。
明日は宮中の御物忌(おんものいみ)にこもらねばなりませんから、とあわてて行成は帰っていった。 あくる朝早く、彼から手紙がもたらされる。
<まだお話し足らぬ気持ちですよ。鶏(とり)の声に催促されて帰ってしまいましたがね>
行成は能書家(のうしょか)であるから、さらさらと走り書きしたそれも、さぞ見事な筆跡であったろう。
清少納言はそれをほれぼれとみつめつつ、早速、返事を書く。
<鶏の声ですって? あの夜ふけに? それはきっと、孟嘗君(もうしょうくん)の鶏なのね>
――この中国の故事(こじ)は『史記(しき)』にある。
戦国時代、斉(せい)の王族・孟嘗君は秦(しん)王に捕えられ、脱出して函谷関(かんこくかん)まで逃げた。
しかし関所は鶏が鳴くまで開けぬ規則である。
孟嘗君に従っていた食客の中に、鶏の鳴き真似(まね)の巧(うま)い者がいた。
そこで彼に鳴き真似をさせ関所を開けさせて、無事国外脱出を果たしたという話である。 打てばひびくような函谷関の故事を持ち出された行成は、(これが嬉<うれ>しくてね)と内心興がり、また、返事する。
<あれは函谷関のことでしょう?
あなたと私は、逢坂(おうさか)の関ですよ。その名も色っぽい、忍び逢いの逢坂じゃないですか>
これは少し、行成の筆がすべったという感じ。
これで見ても、行成と清少納言は、恋人関係ではなさそうである。
ほんとうに関係があれば、わざわざ「逢坂」なんて思わせぶりな言葉を用いたりしないはず。 清少納言は、たちまち、「夜をこめて」の歌で一矢(いっし)むくいる。
函谷関ならともかく、逢坂の関は絶対ダメよ。
清少納言は、『枕草子』によると、この歌のあとに、痛烈な文句を一行、書き添えている。
「心かしこき関守(せきもり)はべり」
――しっかりした関守がいるんですから。
この手紙をもらって、行成は返事に苦しんだあげく、
「逢坂は、人越えやすき 関なれば 鶏(とり)鳴かぬにも あけて待つとか」
――逢坂の関は通行自在の関ですからね。鶏が鳴こうと鳴くまいといつも開いている、あなたもそうじゃないんですか……失礼。
清少納言は、(あ―らひどい、ほんとうに失礼ね)と思って、それを人には見せないで隠していた。
行成は歌が下手(へた)なので思うように作れず、苦しまぎれにそんなことを書いたものの、実は苦にやんでいたのである。
そんな歌が世に拡(ひろ)まったら困るな、と思っていたら、清少納言が人に見せず隠した、というので感謝した。 一方、清少納言の「夜をこめて」の歌が、行成が見せびらかしたものだから、ぱっと人々の評判になり、賞讃(しょうさん)を博した。清少納言は、
<嬉(うれ)しいわ、せっかくよくできた歌ですもの、人の口から口へ伝わらなかったら張り合いないんだもの>
と喜んだ。
ふつうの女なら、へんに謙遜(けんそん)して、なぜ人に見せたと行成を責めるところである。
行成も、それに感心して、
<あんたは、さすがになみの女と違う。率直(そっちょく)でいい>
とほめて、一層仲よしになった。
清少納言とは、そんな女だったのだ。
中宮定子は美しくて聡明(そうめい)でユーモアを解される、すばらしい方だった。
清少納言の才気と明るさをこよなく愛され、清少納言も心こめて中宮を讃美(さんび)した。
『枕草子』には、そのたのしい<女の友情>が縷々(るる)と綴(つづ)られている。
千年をへだてて私も、『むかし・あけぼの』(角川書店刊)で、清少納言への讃歌(さんか)を書かせてもらった。
(『田辺聖子の小倉百人一首』角川文庫 1991年)