2024年5月11日土曜日

暑い暑い…

全国的に晴れで、真夏日になる所もあるようです。
昨日は、少しは涼しかったのだけど
歩き始めから暑い、暑いと……
昨日、蕾が開きかけていると思っていたスイレンが咲き出しました。
朝ドラ「虎に翼」第6週「女の一念、岩をも通す?」 (29)
梅子さんが三男を連れて家を出たのだけど、次男のことが気になっています。
第5週「朝雨は女の腕まくり?」 で、手をついて梅子さんが夫に直言の弁護を頼んだときに
夫と長男が梅子さんをさげすむように見下ろしていた姿を次男は見ていました。
梅子さんが三男だけを連れて家を出たことに対して、
自分は母親に捨てられたと思っていないかな?
また、夫は若い女性と再婚するようですが
子育ての経験はないと思われるので次男とどんな関係になるのか?
いつか梅子さんをめぐるエピーソドが描かれるといいな…
脚本を担当している吉田恵里香さんへのインタビュー記事

 エンタメが声あげる人々の盾になる
   「虎に翼」作者 吉田恵里香さん


 …前略…

 「エンターテインメントと社会性は両立すると思っています。というより、切っても切れない。どんな作品も作り手の思想がのるもので、思想がないようにみえるものは『思想がない』という思想です」
 「私より少し前の世代くらから始まった『暑苦しいのは恥ずかしい』『ムキになっちゃってダサい』みたいな考えが、私にはどうも合わないんです」
 「でも実際に生きづらい人たちや当事者が声を上げたり一生懸命前に出たりすると、時には攻撃を受けてしまう。だから私はエンターテインメントが代わりに声をあげて、攻撃をかわす盾になれたらいいなと思っています。一人で立ち上がるのはしんどい。作中の『異物』たちが、そっと背中を押して、味方でいられたうれしいです」
 (朝日新聞朝刊 2024年5月3日
朝ドラ「虎に翼」の公式に

女性が泣くのはネガティヴに描かれがちですが
吉田恵里香さんが描くとこうなるのですね!
高等試験筆記試験当日は、キリッとした姿で試験問題に向かっていました。

ドラマの中で何度か出てきた「モンパパ」は、場面場面で違った思いや感情をのせて歌っていると思います。
何故、繰り返し寅子が歌うのか木俣冬さんの投稿がいいなと思いました。

伊藤沙莉が歌う「モンパパ」に込められているものとは? 『虎に翼』が願う“民衆の力”
国連総会 パレスチナの国連加盟を支持する決議案 採択」(NHK)
日本を含む143か国が賛成」に拍手です!
今日は、更新を休むつもりでしたが決議案採択を知って記事を書きたくなった。
私たちが間違って思い込んでいることがある。

第3章 パレスチナ問題の歴史
 「2000年来の宗教対立」ではない


 強調してきように、紛争は2023年10月7日のハマスの攻撃により始まったわけではない。
現状の理解に紛争の歴史的な背景の知識は欠かせない。
足早に、いくつかのポントを振り返っておこう。
(『なぜガザは戦場になるのか イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』高橋和夫 ワニブックス 2024年)
 パレスチナ問題は、しばしば「イスラムとユダヤの2000年来の宗教対立」といった言葉で語られる。
しかし、こうした解説は事実と対応していない。
イスラム教が成立したのは7世紀である。
したがってイスラム教には、まだ1400年ほどの歴史しかない。
となれば2000年も争っているはずがない。
また問題の発生以前から、もともとパレスチナに生活していた人々の多くは、つまりパレスチナ人の多くは、キリスト教徒である。
そして現在も、パレスチナ人のおよそ1割はキリスト教徒である。
となると問題をイスラムとユダヤの対立にしてしまうと、キリスト教徒が問題から切り捨てられてしまう。
キリスト教徒に対して失礼である。
 さらに現地では、イスラム教が正しいのか、あるいはユダヤ教が正しいのかといった宗教論争を人々が繰り広げているのではない。
イスラム教徒にとっても、ユダヤ教徒にとっても、あるいはキリスト教徒にとってみても、自らの宗教が正しいのは自明であり、他の宗教を信じる人々と、神学上の理由で争っているのではない。
 争いはパレスチナという地域を誰が支配するかをめぐってである。
これは土地争いであり、それに付随する水争いである。
川の水と地下水を誰が支配するかという争いだ。
「2000年来の問題」説に次いで気になるのは、次のようなパレスチナに関する解説である。
この説によると、1948年のイスラエルの成立によって問題が発生した。
これは2000年来の宗教の怨念説よりは、やや罪が軽い。
しかし、やはり正確ではない。
というのはパレスチナをめぐる争いは、イスラエルの成立以前にすでに起こっていたからである。
正確に言えば、1948年以降に問題が、より深刻になった。
 それでは、いつこの問題は起こったのか。
それは19世紀末である。
この頃に、ヨーロッパからユダヤ人がパレスチナへ移住を始めた。
そして先住のパレスチナ人との間に問題が起こり始めた。
この問題は、19世紀末以来の130年程度の問題であるというのが、筆者の立場である。
 ナチスの台頭とユダヤ人移民

 こうしてパレスチナの支配者がオスマン帝国から大英帝国(イギリス)に入れ替わった。
シオニストは、今度はイギリスに対してユダヤ人の移民のパレスチナへの受け入れを働きかけた。
しかしながら、移民の希望者を集めるのにシオニストたちは苦労していた。
というのは、ロシアや東ヨーロッパで迫害されたユダヤ人の多くはアメリカに移住し、パレスチナへの移民は希望しなかったからだ。
多くのユダヤ人たちは、自由の女神像の待つニューヨークへと向かった。
シオニズムはアメリカン・ドリームに完敗した。
 またシオニズム自体に否定的な考えも多くのユダヤ人の間で根強かった。
つまり、宗教を基準にしてユダヤ人を民族と見なす考え方に否定的であった。
ドイツのユダヤ教徒もフランスのユダヤ教徒も、同じ宗教を信じているので同じユダヤ民族である、との見方に対する懐疑であった。
ドイツのカトリック教徒もフランスのカトリック教徒も、同じカトリックであるからカトリック人という民族である、といった議論は誰も本気にしない。
それなのに、なぜユダヤ教徒だけを宗教で民族と分類するのだろうとの疑問である。
フランスのユダヤ教徒は、フランス人であり、たまたま宗教がユダヤ教なのである。
ユダヤ人なる民族は存在しないとの発想であった。
この考え方はシオニズムにとっては、なかなか手ごわかった。
 この時にシオニズムを〝助けた〟のはアメリカとドイツであった。
アメリカでは1924年から移民の受け入れを制限するようになり、ユダヤ人が入国しづらくなった。
また1930年代からドイツでのナチスの台頭が、同国のユダヤ人が海外へ移住する圧力となった。
しかもアメリカに入れないので、やむなく多くのユダヤ人たちがパレスチナに移り住むようになった。
多数のユダヤ人をパレスチナに送り込むという、シオニストだけの力ではなしえなかった事業を、アメリカの移民政策とヒトラーの差別政策が達成したのだった。
ナチスはドイツ人の血の純潔を守るためにユダヤ人を排除しようとした。
シオニストはユダヤ人だけを集めた国家の樹立を目指していた。
ナチズムとシオニズムは、同じ一枚の硬貨の表と裏のような発想であった。
 従来、パレスチナにやってくるヨーロッパ移民の多くは、貧しい層の出身であった。
ところが、ヒトラーの政権奪取以降のドイツからの移民は違った。
豊かな層も含まれていた。
資本と技術を持ったユダヤ人の流入により、パレスチナのユダヤ人社会は急速に発展した。
その傍証の一つを指摘しよう。
たとえばパレスチナ交響楽団が1936年に結成されている。
現在のイスラエル交響楽団の前身である。
この楽団の結成が示したのは、新しい移民たちの教養の高さであった。
ヨーロッパの古典音楽を楽しむような層であった。
しかしユダヤ人社会が大きくなると、限地のパレスチナ人との摩擦も強くなっていった。
(『なぜガザは戦場になるのか イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』高橋和夫 ワニブックス 2024年)
今朝の父の一枚です(^^)/
カルガモは水を飲もうとしているのかな?
スズメと違っていくらでも飲めると思うけど…

4章 都市の河川や池の水鳥
 カルガモ 国民的なアイドルとなった平凡な鳥
  スーパースター


 全身褐色をした地味な色彩のカモである。
顔には二本の黒い線がはしり、黒い嘴(くちばし)の先端は黄色い。
雌雄ともおなじ色彩をしており、足はオレンジ色。
日本全国の湖沼や河川、ハス田、海岸などの水域に生息し、ごく普通に繁殖をしている。
 このごく普通の水鳥であるカルガモが、スーパースターなみの人気の的となったのは、皇居に面した大手町のビル街で繁殖をしたからである。
連日マスコミに登場し、写真集『翔べカルガモの子よ』(東京新聞出版局、1985年)や児童向けの『カルガモさんのお通りだ!』(小学館、1986年)なども出版された。
 人工池で最初に繁殖したのは1983年のことである。
その後、ほとんど毎年、5月中下旬に可愛いヒナが姿をあらわし、大きく成長した6月の中旬に車の往来する内堀通りをわたって皇居のお濠(ほり)へと引っ越すことをくりかえしてきた。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)