今朝は、「乾燥注意報」が出ているからか風がサラッとしていました。
もうじきジメジメした梅雨がやってくるのでしょうね…
昨日、父が元気に帰ってきましたが、雨が降って寒かったと話していました。
「奄美地方が梅雨入り 平年より9日 去年より3日遅く」(鹿児島NHK 5月21日)これからの季節、汗をかくことが多くなります。
散歩から帰ると、いつもシャワーを浴びていました。
今朝のニュースで紹介されていたのが
1970年の大阪万博で話題になった当時の三洋電機が出展した通称「人間洗濯機」(ものづくりイズム館)。
(当時、面白いなと思っていたけど実用化は?と思っていました)
介護施設で一人で操作ができて、ベッドが濡れない製品として開発されていました。
開発した亀井隆平さんは、「人間洗濯機」を出展した三洋電機の出身です。
「介護用洗身用具 switle BODY」前回の記事でヒョウタンボクには猛毒があると紹介しました。
庭木にしてはいけない樹木にキョウチクトウがあります。
キョウチクトウは植物の全ての部分に毒を持ちます。
●化学的な防御
物理的な防御の他に、化学的な防御をしている植物もあります。
いわゆる毒を持つ植物です。
シカやウシがいるところで、トゲがないのに食べ残されている植物は、毒を含んでいる植物が多いです。
植物の作る毒には2種類あります。
1つは高い毒性を示すもので、少量で効果があるものです(質的阻害物質<しつてきそがいぶっしつ>)。
多くのアブラナ科植物が持っている「カラシ油配糖体(ゆはいとうたい<いわゆるワサビやカラシの辛さの成分>)」が代表的な例です。
質的阻害物質を持つものは、草本に多く見られます。
特に、キンポウゲ科やケシ科の植物の多くは、有毒植物ということが知られています。
その他に、身近なものでは、スズランやキョウチクトウに「強心性配糖体(きょうしんせいはいとうたい)」という毒が含まれています。
これらを口にしてしまい、中毒になったという例も知られています。
…後略…
(『観察する目が変わる 植物学入門』矢野興一 ベレ出版 2012年)「ICC イスラエル首相やハマス指導者ら双方計5人の逮捕状請求」(NHK 5月21日)
ハマスとイスラエルの蛮行を認めることは、テロと虐殺を放置することになると思う。
イスラエル軍のパレスチナの子どもや女性などへの虐殺をこれいじょう繰り返させてはいけない。
このまま虐殺が続けば、反ユダヤ主義が顕在化すると思う。
反ユダヤ主義は、ヒトラーによって始まったのでもドイツに特有のことではないのですから。
ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある
「 (2)苦悩を生き抜く」(再放送 5月25日(土) 午後1:00~)
勝田茅生さんに小野正嗣さんのインタビューで番組が進行し
フランクルの映像や音声なども紹介されています。
番組とテキストをあわせてご覧になると理解が一層深まると思います。第2回 苦悩を生き抜く
輝かしい成功の影に
フランクルの人生は、苦難の連続だった戦中と戦後を経て、ようやく輝かしい成功にたどり着いたかのようでした。
けれども、これで万事解決したわけではありません。
彼がユダヤ人であるという問題は、それ以降もつきまとったのです。
これは、日本ではあまり知られていない事実です。
戦争直後のドイツやオーストリアでは、ナチの残党は厳しく制裁され、反ユダヤ主義への反省が叫ばれていました。
フランクルがウィーン市立総合病院で働き始めた頃は、反ユダヤの風潮は消え去ったかのようでした。
(『ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』勝田茅生 NHK出版 2024年) しかし、中世からヨーロッパに蔓延(まんえん)していたユダヤ人への反感は、非常に根深いものでした。
人々がナチの所業(しょぎょう)を忘れかけた頃、たびたび反ユダヤ主義の芽が吹き出て、大きな勢力に結びつき、反ユダヤを公言できるような空気になっていきました。
1970年代には、オーストリアではユダヤ人が責任ある地位に就くことが少しずつ難しくなっていったそうです。
フランクルの住居のドアに、ナチが用いた「●」(鉤十字<かぎじゅうじ>)の形に犬の糞(ふん)が塗りつけられたこともありました。
彼が高齢になり、足が不自由になってきた頃には、外出時に必ず警察が警備をつけていました。 悲しいことに、フランクルは同じユダヤ人からも攻撃されることがありました。
それは大きく分けて三つの理由があります。
その一つは、異教徒との結婚でした。
フランクルは、勤務先の看護師だったエリーという女性と二度目の結婚をしたのですが、彼女はカトリック教会の信者でした。
伝統的なユダヤ教の教義では、異教徒との婚姻は原則的に許されません。
そのためユダヤ人の友人たちは、フランクルの信仰心に疑念を持ち、少しずつ離れていったのです。 さらにもう一つの理由があります。
それは、フランクルが公(おおやけ)の場で「強制収容所では、ユダヤ人のカポーがユダヤ人の被収容者をことさら虐待することがあった」とか「ドイツ人の所長や医師には、ユダヤ人のためにポケットマネーで薬を買う人もいた」などと証言したことです。
ドイツ人に虐待されたり家族を殺されたりしたユダヤ人たちは、この発言を許すことができませんでした。
彼らにとってドイツ民族はすべて「悪人」なので、そのドイツ人を擁護(ようご)するかのようなフランクルは裏切り者とみなされ、批判されたのです。 さらに、フランクルは「元ナチ党員」と親しくしていたことも、彼が疎(うと)まれる一因となりました。
彼が親しくしていたのは、たとえば元ナチ党員のグスタフ・バウムハックルという精神科医です。
グスタフは戦時中、時勢に従って党員となったものの、ユダヤ人を迫害することはなく、ナチの蛮行(ばんこう)を知ったときには党員になったことを深く後悔しました。
フランクルは彼の悔恨(かいこん)をよく理解し、その善良さに惹かれたのです。
他にも、元ナチ党員の哲学者マルティン・ハイデガーなとどの交流も、ユダヤ人を刺戟しました。
こうしてフランクルは、少しずつ同胞の輪から押し出されていったのです。 それでも、彼は良心の声に従い、他人の批判的な意見によって自分の態度を曲げようとはしませんでした。
約二年半に及ぶ収容所生活の中で、彼は「人間」というものを知ったのです。
フランクルの二冊目の著書(邦題『夜と霧』)の一節には、そのことが記されています。 この地上には二種類の人間がいます。それも、品格のあるしっかりした「人間」か、またはそうでない「人間」か、この二種類だけなのです。
そしてこの「二種類の人間」は両方とも一般的に広まっていて、どんなグループにも入り込み、至るところに浸透しています。つまり、どんなグループでも、品格のあるしっかりした人間だけで成り立っているということはないし、あるいは、しっかりしていない人間だけで成り立っているということもないのです。(中略) 私たちは、おそらくかつてどんな世代の人たちも知らなかったような人間を知るようになりました。ではそれは一体どんな人間なのでしょう? その人間というのは、どんなときでも自分のあり方を自分で決める生き物です。人間はガス室を発明した生き物であり、また同時に、しっかりと背筋を伸ばして祈りを口にしながらガス室に入っていった生き物でもあるのです。
(● 鉤十字は表示できませんでした)
(『ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』勝田茅生 NHK出版 2024年)
(『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル著 霜山徳爾訳 みすず書房 1985年)
(『夜と霧【新版】』ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房 2002年)