「ももはじめてわらう」と読んだのですが「ももはじめてさく」。
辞書をひくと
わら・う【笑う・咲う】〘自五〙
③(比喩的に)つぼみが開くこと、果実が熟して皮が裂けること、また縫い目がほころびることなどをいう。
…後略…
(『広辞苑 第六版』岩波書店 2008年)
【咲】ショウ<セウ> さく・わらう
[意味]①花がさく。②わらう。
[解字]「笑」の古字「●(口+艹+天)」を書き誤ったもの。
古来中国では(2)の意味にしか用いない。
(1)は、「鳥鳴花咲=鳥なき花わらう」という慣用句から、日本で「さく」意に転用されたもの。
(『岩波 漢語辞典』山口明穂、竹田晃編 1987年)
NHK映像ファイル あの人に会いたい「田畑ヨシ(津波の語り部)」
田畑さんが読み聞かせをした紙芝居「つなみ」。
子どもたちに津波の恐ろしさを伝えるため自ら絵と文章を手がけました。
田畑さんは 昭和8年の昭和三陸地震。
そして平成23年の東日本大震災の2度も大きな津波を経験しています。
「伝えることが大切だと思いますね。
田老の場合は堤防があるから大丈夫だろうと思う方もあったと思いますね。
でも、あれを乗り越えてくるんですからね。」
……
平成23年3月11日。
東日本大震災で田老地区は、高い所で24メートルもの津波に襲われました。
「私は津波恐怖症だから、堤防なんか関係なくね。
第一に高台へ逃げることしか考えていませんで」
紙芝居で津波の教訓を伝えた中学生たちが避難の手助けをしたのです。
「生徒たちが子どもたちを裏の高台まで引き上げて
生徒たちが津波が来たら大変な活躍をしたんですよ」
……
「災害は忘れたころにやって来るって
おじいさんのように二度と遭いたくないと思ったが
私もとうとう二度遭ってしまいましたからね。
やはりね…自分の命は自分で守る。
(津波を)体験した人たちは、よく子どもたちに教えておかなければと思いますね。
海のそばに育つ方々は…」
見逃し配信を3月18日(土) 午前5:50 まで見ることができます。
「田畑ヨシ 津波の語り部」(NHKアーカイブス) 津波てんでんこ
2011年、日本人は津波の経験を新たにしました。
明治、昭和と二度の三陸大津波に襲われた岩手県田老町(現在の宮古市)では、1958年、総延長1350メートル、海面からの高さ10メートルという大規模な防潮堤が完成しました。
1960年、チリ地震津波が三陸海岸を襲いましたが、田老町では人的被害はありませんでした。
田老町の地図を見ると、1916年には家並みが砂浜につづいており、1969年には家屋と海の間に防潮堤が確認でき、2010年にはさらに海側に防潮堤が建設されています。
この総延長2433メートルの防潮堤は、2011年3月11日の津波で破壊され、1600戸が流されたと言われます。
(『四季の地球科学―日本列島の時空を歩く』尾池和夫 岩波新書 2012年) 三陸地方には「津波てんでんこ」という言い伝えがあります。
津波のときには他の家族にも構わずに「てんでばらばらに」逃げろという意味だそうです。
岩手県釜石市と大船渡市で、この知恵が多くの子供たちの命を救ったと言われます。
「学期末の短縮授業で184人の全校児童のうち約8割が下校していた市立釜石小。山側を除くほとんどの学区が津波にのまれたが、児童全員が無事だった。学校近くの住宅街で友人と遊んでいた同小の藤元響希(ひびき)君(12)は「家族や家が心配だったけど、無意識に高い方に走って逃げた」。その後、避難所で家族と再会できた。」(読売新聞、2011年3月28日夕刊) また1933年の三陸沖地震で津波の被害を受けた後、石巻市雄勝(おがつ)町の荒(あら)地区の人びとは、ホタテやワカメの養殖で生計を立てているため不便なのですが、再び災害を受けないようにと高台に住居を再建しました。
海辺の作業のための納屋は全部流されてしまいましたが、住居は今回の大災害を免れたといいます。(朝日新聞、2011年4月3日) 地震と原子力発電所
2007年7月16日の新潟県中越沖地震は、マグニチュード6.8、北東―南西方向に20キロメートル割れ目が走りました。
東京電力柏崎刈羽電子力発電所が活断層面の南西端近くにあり、震度7に近い揺れだったと推測されます。
このとき、原子炉は自動停止しました。
地震直後に、ケーブルがショートして煙を出している写真がニュースとなり、原子力発電所が火事を起こしていると言われてたいへんな騒ぎになりました。 2011年3月11日の巨大地震ででは、福島第一原子力発電所の原子炉は地震動で止まった推測されましたが、その後の津波で発電所の施設が被災し、原子炉を冷やす能力が失われました。
原子力発電所の事故のときに行うことは、「止める」「冷やす」「閉じ込める」と言われます。
この「止める」が本当にできていたのか、「冷やす」はいつできるのか、「閉じ込める」にはどのようにするのか、注視し続けることが大切です。
また、単に「閉じ込める」だけでなく、緊急の場合にはその逆にガスを放出する「ベント」という手段がとられますが、今回、それが確実に行われなかった可能性もあります。 わたしは政府の原発事故調査・検証委員会の委員を務めました。
調査を通じての教訓は、政府が国民の安全を最優先にして情報を正確に把握してそれを伝え、わかっていないことを明確にし、新しくわかったことを速報することが、何よりも重要だということです。
日本の特性に合った安全文化の確立のためにも、日本列島の地球科学的な特性を把握しておくことが重要だと思います。 ヨーロッパやアメリカ東岸の原子力発電所が安定大陸にあるのに対し、日本では地震帯の上にあります。
中国や韓国、台湾から東南アジア諸国などが、これからも原子力発電所をつくろとしています。
中国大陸にはもちろん、朝鮮半島や台湾島にも活断層があり、これらが動いたらたいへんなことになります。
日本の原子力発電所での多くの経験を積極的に海外にも知らせていくべきであると思います。 韓国では、釜山から慶州に向かう梁山(ヤンサン)断層や蔚山(ウルサン)断層が活断層だということを、わたしたちの研究グループが発見しました。
今では韓国に人たちが活断層の調査や地震の観測を熱心に進めています。
タイやベトナムは、国内には大地震が起こりませんが、地震帯に囲まれています。
2004年12月、スマトラ・アンダマン地震による大津波がタイに大きな被害をもたらしました。
その後、規模は小さいですが、タイにもベトナムにも、群発地震が誘発されました。
これは、この地域の地下にも地震を起こす仕組みがあることを示していると考えられます。 歴史の思考実験
巨大地震が起こるという認識のもとに、日本列島周辺一帯の地下を監視し、市民に向けて地震の予報を実行することを、世界に先駆けて真剣に考えなければなりません。
兵庫県南部地震の後、地震の研究成果を市民や防災行政に伝えるための、文部科学大臣を本部長とする地震調査研究推進本部が置かれました。
その予測を基に、2008年4月、東京電力が福島第一原子力発電所に来襲する津波を試算した結果は、最大波高10.2メートル、遡上高15.7メートルという、2011年3月11日に来襲した津波に近い内容でした。
しかし、この予測に対応した対策はとられていませんでした。 もし、2011年までに地震火山庁ができていて、前に触れた仙台沖の群発地震と3月9日の前震群を検出し、間もなく起こる本震は最大級であるという予報が出されたとしたらどうでしょうか。
原子力発電所では、最新の予測に基づく津波対策を完了して待機し、市民は高台に用意された避難所に早々に避難して、午後2時46分を迎えていたら――。
もしあの時点でこうしていたら事故は防げたのではないか、という思考実験をさまざまの分野で行なうことが、同様の事故を起こさないためにも、今世紀前半に予想される南海トラフの巨大地震で震災を軽減するためにも、必要であると思います。
(『四季の地球科学―日本列島の時空を歩く』尾池和夫 岩波新書 2012年)
福島第一原子力発電所を襲ったのは「想定外」ではなく試算した「予測」に近い津波だったのです。