2021年3月20日土曜日

春分の日に…

父は、春分の日で人が多いだろうと、散歩を止めました。
 
ツバメが空高く飛んでいるのを見ると「お帰り」と声をかけたくなる。
晴れているから空高く飛んでいるけど(私のレンズでは、届かない…)、

ツバメと天気は関係あるの?ツバメが低く飛ぶと雨、というのは本当ですか?」(KoKaNet 子供の科学)
育雛(いくすう)の季節

 南から帰って来たツバメが春風の中を快速で飛んでいる姿を見ると、昔なじみに再会したようでうれしい。
「長の旅御苦労さん」と、ねぎらいの言葉をかけてやりたい気になる。
ツバメは旅の疲れをいやす間もなく、わらを集め、泥を集めては巣作りに励む。
家の軒先や駅舎の軒下の巣からは、やがて賑(にぎ)やかな雛の声が聞こえてくる。
朝の通勤途上の人たちが思わず巣を見上げる。
親鳥に餌をせがむ雛たちの口の大きいことと言ったらない。
生命の活力って大したものだなと、しきりに感嘆する。
(後略)
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)
NHK映像ファイル あの人に会いたい「小柴昌俊(物理学者)
番組の中で、宇宙から降り注ぐ素粒子を解析するという100万ドルをかけた壮大な実験で第一回目は失敗します。

一つのね、事業をね、やりとげようと考えるときに最悪の事態が起こるということを想定して準備しなきゃいかん

翌年、実験は見事に成功。

カミオカンデでの観測では、陽子崩壊が本当に起きるのか、起きるとしたらいつなのか誰にも分らない。
多額の税金を使ったあげく、何も観測できなかったら?
常に最悪の事態を想定して準備することを学んだ小柴さんは
観測対象にニュートリノを加えるために完成したばかりのカミオカンデの改造を決断します。

1年半の改造を終え、観測を再開した2か月後
地球から16万光年離れた大マゼラン星雲で
400年に一度といわれる超新星爆発が起こります。
昭和62年2月23日、カミオカンデは宇宙から飛来した11個のニュートリノの観測に成功。
科学史上初の快挙は小柴さんが大学を退官する1か月前の出来事でした。

これやりたいと本当に思ったら、やれる。もう振り絞って考える。それが大事
 小柴さんの言葉を聞きながら
新味なきリバウンド対策5本柱 緊急事態解除「手詰まり」露呈〟(毎日新聞 3月18日)

橋本聖子会長、佐々木氏の演出案は「容姿を笑いものにするような発言で不適切」〟(読売新聞 3月18日)
などなど最近のニュースを見ていると、
最悪の事態が起こるということを想定して準備」すること、
振り絞って考える」こともやめているなぁと思う。

聖火ランナー辞退「国挙げた歓迎の空気ない」 メダリストの理由〟(毎日新聞 3月17日)
これからも聖火ランナーの辞退者は増えると思う。
一方、振り絞って考え、言葉を選んだ若者がいます。

 Shoko EgawaさんのTwitterに

全文読んで、心から応援したくなる、とてもいい宣誓でした。

ことばを考え抜いている。
先達のことばを受け継ぎ、今の自分たちの思いと考えをちゃんとことばにしている。
この子たちが、これからの日本を作っていくんだな~と感慨深い。


仙台育英・島貫主将 選手宣誓全文…3分超に「感謝」「感動」「希望」の思い込める〟(スポニチ 3月19日)

そしてNHK「クローズアップ現代+」公式のTwitterに

武田キャスターからのメッセージ。
動画でもお届けします。
(カットされている個所もあります。残念!)

追記)番組のサイトには全文載っていました。
“リコール不正署名問題”の深層」(クローズアップ現代+ 3月18日)

 「大阪知事“新大阪駅で検温 首都圏からの利用客対象に”」(関西NHK 3月19日)
というニュースがあったのだけど(知事の発言に対して呟いているとは限りませんが)、

Fumie Sakamoto,MPH,CIC 坂本史衣さんがこんなことを呟いていた

感染性の高い発症直前~直後は熱が出ないこともあるし、
出ても微熱だったりするし、
熱が1日出て下がってるけど感染性期間中の人もいるし、
熱が出て下がって数日後にまた上がる間の時期の人もいるし、
サーモグラフィーは誤差大きいし…

昨日紹介した「中国デジタル革命と監視社会の行方  倉澤治雄」を読んでいると、
中国政府はいま、14億の全国民を1秒で特定できる監視システムの構築を進めている」そうです。
DNAも集めることができていると思う。
というのは、新型コロナ対策としてPCR検査をおこなっているけど、
唾液などを採取したときにDNAの解析もしているのではないかな?
本居宣長について石川淳氏も「宣長略解」を書かれているので転記したいと思います。

宣長略解  石川淳
  歌文の世界
 宣長のやまとごころとは


 「花はさくら、桜は、山桜の、葉あかくてりて、ほそきが、まばらにまじりて、花しげく咲たるは、又たぐふべき物なく、うき世のもともと思はれず、葉青くて、花のまばらなるは、こよなくおくれたり、大かた山ざくらといふ中にも、しなじなの有て、こまかに見れば、一木ごとに、いさゝかかはれるところ有て、またく同じきはなきやう也、又今の世に、桐がやつ八重一重などいふも、やうかはりて、いとめでたし、すべてくもれる日の空に見あげたるは、花の色あざやかならず、松も何も、あをやかにしげりたるこなたに咲るは、色はえて、ことに見ゆ、空きよくはれたる日、日影のさすかたより見たるは、にほひこよなくて、おなじ花ともおぼえぬまでなん、朝日はさら也」(『玉かつま』六の巻「花のさだめ」)
(『日本の名著21 本居宣長』責任編集石川淳 中央公論社 昭和45年)
  本居宣長がはなはだ桜を好み、とりわけ山桜を愛したことは、つとに広く世に知られている。
右に桜のすがたのさまざまについて、『玉かつま』の中に記されたくだりを掲げたのは、鈴屋(すずのや)の文章のおもむきを示すやさしい一例としてでもあるが、それよりは意味深く、まずこの行間にひそむ宣長の心をつたえることからはじめるためである。
 花を愛するということに理屈はない。
性おのずからこれを好むのみである。
右のみじかい文章はすらすらとしてなんの奇もなく、その意は明瞭、ただ花の上上吉(じょうじょうきつ)は山桜にかぎるといっているだけである。
宣長の心はまっすぐに山桜に通(かよ)ってそこに雑念をまじえない。
この心から歌がおこる。
ただし、その歌はいかなる歌か。
これはまた別のことになる。
さしあたって、もう一つ見ておく文がある。
 「しき島の道又歌の道といふこと、後の世には常なれど、古今集ノ序を見るに、かの御世や歌のこゝろをしろしめしたりけむ云々、こゝにいにしへのことをも、歌のこゝろをも、しれる人云々、人まろなくなりにたれど、歌のこととゞまれるかななどあるは、後の世の文なりせば、かならず歌の道とぞいはましを、かく歌のこゝろ、歌のことなどいひて、道とはいはず、真字序には斯(コノ)道とも吾道ともあるを、かな序には、すべて歌に道といへること見えず、又桜の花を、さくら花といふこと、これも後の世にはつねなれど、古今集には、詞書には、いづこもいづこも、さくらの花と、のもじをそへてのみいひて、たゞにさくらばなといへることを、歌こそあれ、詞には一つも見えず」(『たまかつま』五の巻「歌の道 さくら花」)
 これは古代と後世との相違、漢文と国文との相違、また歌と文ではちがうところがあることを、二、三の語について示しているが、とくに道ということばの濫用は世が下るにつれてますますはげしい。
宣長が道というとき、それはただ一つ古学の宗とすべき道のことである。
そのことはのちに説く。
宣長にとって、古学にとって、ことばがいかに大切なものかということも、また後段におもいあたるだろう。
 右の文中に歌と桜とつづいて出ているのは、たまたま例としてならべてあるというほかに、格別のつながりがひそむわけのものではないが、これが宣長のこととなると、この二つが奇妙に結びついているように見える。
ただ歌も桜も、これを好む宣長の心は一つ。
またこの愛着は二つながら終生かわらない。
宣長を解するために、桜のほうは横目で見てすぎてもよいだろうが、歌はこれをおろそかに取りあつかうことができぬ筋合いのものである。
日常の事として風雅にいそしむためのみではなくて、古人のこころをさとるにも、古代のおもむきを知るにも、道に入る手だてとして、歌はいつもそこにあって古学との縁は切っても切れない。
古歌の鑑賞にとどまらず、歌はみずからはげんでこれを作る。
ただし、よく好みよくつとめて日々に作った歌といっても、いかんせん、それが秀歌とはいえない。
宣長の歌にポエジイを感じさせるものがまれなのは、だれでもすぐ気がつくことである。
しかも、当人はふつつかな歌をあきれるほど多く一生作りつづけてついにやむことを知らなかった。
 ところで、宣長といえばたれでも知っている歌に、そしておそらくはよくない印象をあたえている歌に、かの「敷島の大和心を……」というのがある。
今さらこのまずい歌に係りあうことはない。
捨て去るに如(し)かず。
しかし、この歌の泥は当の作者にはねかえって、宣長そのひとの印象をわるくして、鈴屋の学にまでわるい先入観をおよぼしているような傾向がないとはいえない。
この新編の『本居宣長』という本は鈴屋の学におもむく階梯のなかではなんといっても初歩にあたる本なのだから、ここに本居氏の門前にちかづこうとするとき、よくない印象をよくないままにしておくことはどうか。
歌いぶりはいかにも拙劣ではあるが、歌の真意はとくに反対派(わたしをもふくめて)の感情をたかぶらせるようなたちのものではない。
またこれをののしる側にも、歌の解としてどうやらゆがんだけはいがする。
そこで、あえてこの泥だらけの歌について、わたしの解するところを左に示す。
 「敷島の大和心」とは、まず三十一字の歌一首の形式をととのえるための修辞である。
敷島の大和は日本のことにはちがいないが、この修辞の意は「これは外国から輸入した心ではないぞ」というほどのところにある。
この心とは、すなわち漢意(からごころ)をも仏意(ぶつい)をもきびしくしりぞけた当人の宣長の心にほかならない。
宣長平常の主張がここにある。
自家の主張が歌にまでつよく出たからといって、この個人の心をすぐ日本人一般の心のほうに拡大して行って、さらに排他的な愛国心のほうにまで引きずりこもうとするのは、どうも力ずくの無理押しの曲解のようにわたしはおもう。
けだし後世の解釈のわるい癖である。
この歌は、その意をすこしバカ丁寧に現代語にうつしていえば、おれはこの国にうまれた人間だ、このおれの心はいかなる心と人が問うなら、晴れた日の朝まだきに、おれがもっとも好むところの、他国の産にはない山桜を見てくれということになる。
この「人問はば」もまた修辞である。
すべての修辞を取りはらって、ずばりと一言でいえば、なんのことはない、「山桜はおれだ」といっているだけのことである。
このおれは(歌の不出来までふくめて)まさに宣長そのひとである。
そういっても、たったこれだけの、しかも切実な心情を表現するのに、いかに「コジキ伝兵衛」にもせよ、なんとまあ泥くさい、まわりくどい、いやらしい歌いぶりだろう。
宣長の口吻をまねていえば「えもいはぬわろき歌」(なんともいえないわるい歌)である。
当人がわざわざ歌の真意に泥を塗っているようなものだから、後世の印象をわるくするのもやむをえない。
歌の徳、いや、不徳はおそろしいものである。
この山桜の歌と、さきの「花のさだめ」の文とをくらべてみれば、真意は一つにつながるのに、歌はおとり、文はまさる。
総じて、宣長の歌はみな取るべからず、もっぱらその文を見るべし。
後世が宣長と附合うのは、たかが歌の巧拙をあげつらうためではない。
その文において沈潜もしくは流露している鈴屋の学の真意を見そこなっては、せっかく伝えるべき言霊(ことだま)を取りおとして、これは後世の不徳ということになるだろう。

(後略)
(『日本の名著21 本居宣長』責任編集石川淳 中央公論社 昭和45年)
今夜から天気が荒れるみたいですね…

今週のたぬくじ(15日)に「しゅくだい大吉」とあったので明日は宿題をしようかな…

ネットでも提出できるみたいだけど、日本のセキュリティーは不安だらけです。
銀行口座も記入するようになっているので持参することにしています。

LINEでの行政サービス停止 総務省」(NHK)