2021年3月19日金曜日

お彼岸だけど…

桜が咲き出すと忙しいですね(^-^;
サクラだけでなく…

4月並みの暖かさで大阪のサクラは...?」(えりの気象日記 3月18日)
なかなか開いてくれなかったナシの花も咲き出しました♪

 な し

 夏も終わりに近づいて、つくつく法師が鳴き出すと、ナシ(梨)の季節となる。
 日本に栽培されるナシには、日本ナシ、西洋ナシ、支那ナシがあるが、何といっても日本ナシは大昔から水菓子の第一として親しまれたもので、中部以南の山に生えるニホンヤマナシから改良された純国産の果物である。
バラ科の落葉高木で花は白い五弁、果実の肌色で、褐色の赤梨と、淡黄色の緑梨(あおなし)に分けられる。
最近は西洋ナシも東北地方でかなり増えてきて、秋の果物の仲間入りしてきた。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
 ナシも含めて多くの果樹では、開花して花粉が雌しべにつき、受精してはじめて果実がなる。
当たり前のことだが、じつはこれがなかなか厄介なことなのである。
多くの果樹は同じ花、同じ木の花粉がついても受精せず、したがって果実がならない、自家不結実という性質がある。
また果物の品種というものは、最初の一本の原木から枝をとって、接ぎ木で次々に殖やしたものであるから、すべて同じ固体にほかならない。
ナシの主品種で全国に栽培される廿世紀も、すべての木が明治21年に千葉県松戸で発見された原木の「分身」なのである。
だから同一品種間でも自家不結実性であり、ナシ園に廿世紀だけ植えても実はならない。
廿世紀の実をならすには、これと同時に開花する他の品種を所々に混植して、その受粉用の木から出た花粉を廿世紀の雌しべに着かせねばならない。
  この交配は自然には蜜蜂にたよるわけだが、天候が悪かったり、受粉樹の開花期が主品種のとズレたりすると受粉はうまくゆかない。
安定して豊作を望むには、人工授粉が最も確実であるが、雲霞(うんか)の如く咲き乱れる花々に人工授粉するのは大変な仕事で、農家の知恵の絞りどころとなる。
まず花粉を集めるのが大仕事だが、最近はこれを共同化し、いわば花粉銀行といった方法をとっている所が多い。
主品種の開花直前になったら、授粉用品種の花蕾を摘み集めて、室内で適温に人工加温して雄しべを開かせ、花粉採集機にかけて花粉を採集しておく。
主品種が開花したら、花粉に石松子(せきしょうし)などを7~15倍まぜて増量し、必要量を果樹園にもっていって、その雌しべにつけてやるのある。
交配の作業は、まだ一般には筆や羽毛でいちいち塗りつける、手間のかかる方法で、人海戦術がとられている。
花粉銃などの機械で吹きつける能率的な方法もあるが、受精率が劣るので、機械の改良開発が切望されている。
また花粉をつけずに、ホルモン剤を散布して受精と同じ効果をあげる技術も将来の夢として期待されている。 (星川清親)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
何気に読んでいた夏目漱石に句について

思い出草」より

  二

 「落ちざまに虻(あぶ)を伏(ふ)せたる椿(つばき)かな」
 漱石先生の句である。
今から三十余年の昔、自分の高等学校学生時代に熊本から帰省(きせい)の途次(とじ)、門司(もじ)の宿屋である友人と一晩寝ないでかたり明かしたときに、この句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。
どんなことを論じたかは覚えていない。
(『科学と科学者のはなし 寺田寅彦エッセイ集』池内了編 岩波少年文庫 2000年)
 ところがこの二、三年前、偶然な機会から、椿の花が落ちるときに、たとえそれが落ち始める時にはうつむきに落ち始めても、空中で回転してあおむきになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察し、また実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。
それで樹(き)が高いほど、うつむきに落ちた花よりも、あおむきに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。
しかし低い樹だと、うつむきに枝を離れた花は空中で回転する間がないので、そのままにうつむきに落ちつくのが通例である。
この空中反転作用は花冠(かかん)の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率(かんせいのうりつ<回転のしやすさ>)等(とう)によって決定されることはもちろんである。
 それでもし虻が花の芯(しん)の上にしがみついてそのまま落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動し、その結果はいくらかでも上記の反転作用を減(げん)ずるようになるであろうと想像される。
すなわち虻を伏せやすくなるのである。
こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末(さまつ)な物理学的の考察をすることによって、この句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、したがってその詩の美しさが高まるような気がするのである。
(『科学と科学者のはなし 寺田寅彦エッセイ集』池内了編 岩波少年文庫 2000年)
【発言詳報】米中外交当局トップの初会談 異例の非難応酬」(NHK)を見ていて
楊政治局委員が、
アメリカにはアメリカの民主主義があり、中国には中国の民主主義がある。」
などと発言しているのを見ていて、『世界 2021年4月号』の「中国デジタル革命と監視社会の行方」を思い出しました。
今月号なので一部だけ転記しますφ(..)
中国の“民主主義”とは民衆を監視・管理することで、特に少数民族に対しては苛烈です。
中国デジタル革命と監視社会の行方  倉澤治雄

 ■究極の監視社会とデジタル技術

 新疆ウイグル自治区は習近平主席が提唱する現代版シルクロード「一帯一路」の重要拠点である。
ウイグル族への苛烈な監視が始まったのは2015年頃からと言われる。
米政府系のラジオ・フリー・アジアは最大100万人が「再教育キャンプ」という名の強制収容所に送られたと報じた。
また国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、中国がAIやビッグデータなどの最新技術を使って、ほぼすべてのウイグル族を監視していると告発した。
(『世界 2021年4月号』岩波書店)
 これに対して中国政府は一貫して「施設は職業訓練所である」と主張、2021年1月11日には「再教育」や「職業訓練」が2019年10月に終了したと発表した。
しかし2021年1月19日、バイデン大統領就任の前日にポンペオ国務長官は、中国がウイグル族などイスラム教徒の少数民族に対して「ジェノサイド(民族大量虐殺)」を犯したと認定、新任のブリンケン国務長官も1月27日の就任後初会見で「ウイグル族に対してジェノサイドが行なわれたという認識は変わっていない」と述べた。
 日本に住むウイグル人は「家族とは連絡を取りません」と語る。
ウイグルでは国際電話をかけること自体が監視の対象となるという。
ラジオ・フリー・アジアによると、スマホは監視アプリ「浄網衛士」のインストールが義務付けられている。
「浄網衛士」はスマホ内の情報をスキャンして、映像、写真、通信履歴、閲覧履歴、SNS利用歴などをチェックし、問題があれば当局に通報する。
 顔認証カメラ付き監視カメラがフル稼働するほか、スマホの位置情報や測位衛星「北斗」を利用して、住民が自宅から一定以上離れると当局に通報されるという。
 公安当局が熱心に収集しているのは住民の生体情報である。
ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、中国政府は新疆ウイグル自治区だけでなく、ほぼ全国でDNAを含む生体情報を収集していると非難する。
 生体情報で個人を特定するAI技術は格段の進歩を遂げた。
古くから使われている指紋のほか、顔認証、目の虹彩、声紋、掌紋、静脈などの認証技術がすでに実用化した。
人の歩き方で認証する技術も開発が進む。
「歩容認証」は歩行の周期や歩幅、骨の動き、荷物を持った時の癖などを分析して個人を特定する技術で、中国科学院自動化研究所傘下のAI企業「銀河水滴科技」は2019年7月、世界初の歩容認識システム「水滴慧眼」を開発したと発表した。
 またDNA情報は血縁関係の特定や、目、肌の色、髪の毛、顔立ちを予測するのに使われる。
「DNAフェノタイプ」と呼ばれる技術で、2019年2月、ニューヨーク・タイムズはこの技術が新疆ウイグル自治区で使われていると報じた。
 個人に関するあらゆる情報を収集する中国政府のビッグデータ・プロジェクトは「統合共同作戦プラットフォーム」と呼ばれている。
新疆ウイグル自治区は最先端技術を使った監視技術の実験場となっている。
(『世界 2021年4月号』岩波書店)
今朝の父の一枚です(^_^)v
母がすわって眺めていた枝垂桜を写していました。
明日は「春分の日」なのですが、お墓参りに行けません。

 彼 岸

 春分または秋分を「中日(ちゅうにち)」とした前後の七日間が彼岸です。
春と秋にありますが、俳句で「彼岸」といえば春の彼岸のこと、秋の彼岸は「秋彼岸と呼んでいます。
春彼岸とはいわないのです。
同様に「遍路」は春、秋の遍路は「秋遍路」です。
歳時記ならではの約束事です。
 彼岸に入る日が「彼岸の入り」「入彼岸」。
もともと彼岸は凡俗の此岸(しがん)から悟りの境地に至るという仏教に由縁する言葉で、寺では仏事が行われます。
先祖の墓参りやお詣りの人で賑(にぎ)わう寺を彼岸寺といいます。

  毎年よ彼岸の入に寒いのは  正岡子規(まさおかしき)

 正岡子規の母上の独り言を子規がそのまま書き留めた句として有名です。
俗に「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、春の彼岸は三月二十日ごろになり、地域によってはまだ寒く、気温が定まりません。
まるで儀式のように彼岸の入りにこの句を口遊(くちずさ)みますが、「毎年よ」に実感があります。
 当節では「春分の日」が国民の祝日になっていますので、格好の行楽日和となっています。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)